年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

豊洲移転の5年で想う

2023年10月09日 | 築地市場にて
5年前の10月6日に築地市場の営業が終わった。最後の築地市場の水産部の店舗移動はいつだったか忘れたくらい昔と頭の中に記憶が残る。店舗移動は水産仲卸だけの行事で4年に一度あった。豊洲は築地市場と違って形が整っていて予想だが一斉の店舗交換は無いと思う。
 水産仲卸の店舗移動は自分がいた時に2回ほど記憶がある。移動日は5月の3連休で新店舗開業日は5月6日となる。買い出し人が地図を手にして今までの仕入れ先を巡る。店舗一斉移動のテレビ番組を見たがこれで落ちぶれる仲卸もあれば復活する仲卸もある。それによって従業員の店舗移動もあったと思われるが語られることはない。雇い主にとっては不祥事だろう。
この店舗移動の大義名分は店舗の場所による不公平を無くすという理由だった。バブル前に1600ほどあった水産部仲卸は最後は600程となり今では460と言う。神田にあった青果仲卸が大田市場に移転した時に、自分と神田の漬物業者と雑談した時、神田の業者は期待していたが自分は大手は大八車的運搬からフォ―クリフト使用で時間が減り、今まで営業できない所に手を出すからますます大きくなると言った。なんだか納得がいかないような顔をしていたが一番影響があったのが築地市場の青果部だった。東京の南の地区の八百屋の大口顧客が渋滞の無い大田市場に仕入れ先を変更した。東京都の統計デ―タを見ていて大田に移転するまで神田が3で築地が2の割合だった。ところが今では2対1の割合となって大手量販店の青果は大田市場になってしまった。それゆえ豊洲移転については青果部は表向きは移転に難色を示していたが、実際問題として築地の設備では、産地で予冷したレタスが築地で冷気がない所に置かれ、大田経由のレタスと痛みが一日以上の差があった。
結果は豊洲市場を営業している生命保険の女性から、水産と青果の差が激しいと言われた。どうも青果部の要望は無茶な設備要求以外は東京都からすべて認められた気がする。水産仲卸は移転反対派が多く、設備の要望を東京都の人が来ても、移転設備構想を考えてなく、使い勝手の悪い設計のようだ。素人が考えてもマグロの業者、活魚の業者、貝類、佃煮、かまぼこ等々の必要な設備が異なる。そこに衛生と問題があって、閉店後に閉めるいう世間の常識が加わる。さらに銃刀法も出るとは。だれも築地と同じと思っていたのが個別に今の法律と条令が来る。マグロをさばく包丁は長さが2mもあって、それを研ぐ業者が1ケ所に纏められて揉めていたと聞く。どうなったのだろうか。
 もう5年経った。そこでさらに中国の汚染水禁忌で香港中国が消えた。ただ世間の協力で通過するしかない。東京の水産部の困難な歴史は聞くに堪えがたい。明治の10年代のコレラでは夏場の水産部は休業状況だったようだ。衛生知識が入って対応策が取られたが戦後でもコレラはあったし、放射能もあった。原爆マグロも築地で廃棄して、引き取るところが無く築地市場に埋めた記録があって、掘り出しても放射能は検出されなかった。
 もう5年まだ5年。この5年でコロナもあったし、中国のいやがらせもあった。それも間も無く終わる。次は戦争の予感がする。それとも豊洲不動産バブルか?来年の温浴施設で観光客混雑か?だれも予期せぬことがおこりそう。現役でないので不祥事でお詫び会見もしないで引退した。不祥事でジャ二ーズのタレントが謝罪会見するとは今年の6月まで誰も思っていなかっただろう。
 東京都のいつもの言い草で(都民の貴重な税金で中央卸売市場を運営し、安価な賃料であるので日本国民の信頼を得る仕事をするように)と年頭の市場長の定番の挨拶がある。この時は都民でなく国民となる。これが築地人の天狗意識の元となる。世界の常識は築地・豊洲を超えている。世界の常識の無知が豊洲移転の厚生官僚の危機感だった。温度管理は国際公約だった。このことに言及していたライタ―は見かけない。多くはノスタルジ-であるが魚河岸の不祥事の歴史は衛生の部分が目立つ。
コメント
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