透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

繰り返しの美学、今年最後はこれ

2007-12-30 | B 繰り返しの美学




「繰り返しの美学」で最初に取り上げたのがこの建物でした(昨年の6月)。上の写真はまだ何を撮りたいのかはっきりしません。

今日、下の写真を撮りました。何を撮りたいのかはっきりしてきています。「建築の構成要素の繰り返し」にきちんと迫っていて余分なものは写していません。

これは堆肥舎です。別に美しさなど必要ないかもしれませんが、いえ建築は用途が何であれ美しくなくてはいけません。コンクリートの腰壁とその上の鉄骨の柱、そして小屋組みの繰り返しが美しいです。よく見ると腰壁の型枠の痕が分かりますが、それも揃っています。

黄色い重機はこの写真のアクセント。繰り返し感を強調するために後方を端まで写していません。まだずっと続くような印象を与えます。

今年最後の繰り返しの美学は原点回帰。来年はどんな繰り返しの美学と出合うことができるでしょう・・・。

「割り箸はもったいない?」

2007-12-30 | A 読書日記



 タイトルに?が付いているから、この本の著者が「割り箸はもったいことはない」というスタンスであることは明らかだ。

**マイ箸で世界の森林を守るなどと大上段に振りかざす声は非常に不快である。それは事実なのかどうか十分に確認もせず、自らは森林破壊に手を汚していないかのような主張はいただけない。** 著者の主張は実にストレートだ。

この本によると日本の割り箸需要は2005年の時点で年間250億から255億だったという。そのうちの98%が輸入によって支えられていて、そのほとんどが中国産だという。割り箸批判、そう割り箸が中国の森林を破壊しているという批判の論拠もここに置かれている。

割り箸に使用される木材など微々たるものだと、そのことを著者は否定する。そして中国では森林面積がこのところ増えていると指摘している(砂漠化が国土の西側から進んでいるとも聞くが、どうなんだろう)。

割り箸は熱帯林も破壊しているという指摘があるが、著者によれば割り箸として消費される量など全体から見れば誤差の範囲内ということだ。具体的な数字も示されているが省略する。

そのような「事実」を示した上で著者は日本は木材を自給することを考えるべき時期に来ていると主張する。

森林は適切に管理しないと荒れる。生長した木を消費して再び植林するという健全なサイクルを確立しないといけない。前にも書いたが、森林保全は国土保全に等しい。

「国産材の恒常的な需要の保持と安定した供給システムの復活」 森林保全には欠かせない条件だ。

もともと割り箸は製材の過程の歩留りを良くするためにつくられていたということだ。製材の過程でできる端材で割り箸を作ることも含めて木材供給システムの復活を考えなくてはならないだろう。

供給システムは需要がないと成立しない。だから国産の割り箸なら使うべきなのだ。マイ箸などといってプラスチック製の箸を持ち歩いてはいけない。などと他人に強制するのは良くないか・・・。