透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「伊豆の踊子」を読む

2024-06-10 | A 読書日記

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 川端康成の(などと書く必要もないだろうが)『伊豆の踊子』(新潮文庫)を続けて2回読んだ。40頁に満たない短編だから読むのにそれ程時間はかからない。この小説を初めて読んだのはたぶん高校生の時。奥付に1950年8月20日発行、2021年7月20日第154刷、2022年7月1日新版発行とある。長年読み継がれてきていることが分かる。

カバーの画はきれいな櫛。踊子が挿していたのは桃色だったことが文中に出ている。だが、この絵は踊子の櫛ということだろう。なかなか好いカバ―デザインだ。

20歳の一高生の私と14歳の踊子の淡い恋と括られる短編だが、ポイントは以下のくだりだろう。

伊豆で旅芸人一行と数日一緒に旅をする私。**二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に耐え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。**(38頁) 踊子が「いい人ね」と言うのが聞こえて、**私は言いようもなく有り難いのだった。**(38頁) **私はさっきの竹の杖を振り廻しながら秋草の頭を切った。**(38頁)心ウキウキな私。

**「あの芸人は今夜どこで泊るんでしょう」
「あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」**(12,13頁)

こんなことを聞かされて、私は心が乱れてしまう。料理屋のお座敷に呼ばれた芸人たち。**踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。**(19頁)となる。

小説の最後、私が東京へ帰る日。宿の外には女たちの姿が見えない。踊子もいない・・・。**昨夜遅く寝て起きられないので失礼させていただきました。**(41頁)と私に伝える一座の栄吉。

ところが乗船場の近くで踊子が待っていた。 

永吉が問う。
**「外(ほか)の者も来るのか」
踊子は頭を振った。
「皆まだ寝ているのか」
踊子はうなずいた。**(42頁)

いいなぁ、この場面。読んでいて涙が出た・・・。早朝なのに踊子が見送りに来てくれていた。これが淡い恋でなくて何であろう・・・。

読書はいい。この歳になってもこんな体験ができるのだから。


 


火の見櫓建設費用の負担

2024-06-10 | A 火の見櫓っておもしろい


 火の見櫓の建設費用はどうしていたんだろう・・・。

全額公費で、あるいは全額個人の寄付で賄うケース、全額地元住民が負担するケース、それからこれらの複合ケースがあっただろうと考えていた。一昨日(8日)火の見櫓建設の費用負担に関する資料が見つかった。

以下その報告。

上掲写真の火の見櫓は長野県朝日村西洗馬に立っていたが、隣りの消防団詰所と共に撤去された。見つかったのはこの火の見櫓の建設に関する資料。

この火の見櫓の建設工事契約書の写しと竣工記念写真は手元にある。契約書には請負金額  拾参萬圓也と記されている。記念写真には朝日村消防団第5分団 警鐘楼竣工記念 昭 30.8.12と文字入れされている(第5分団の第は略字)。

火の見櫓と消防団の詰所があった敷地には西洗馬公民館があるが、近々解体されることになっている。それで、一昨日の午前中にこの公民館2階の図書室に長年保存されていた書類等が一般公開されると知り、出かけた。この火の見櫓建設に関することが記載されている書類があるのではないか、と思ったので。


座卓に並べられた何点もの資料。


火の見櫓が建設された年、今から69年前の昭和30年(1955年)の記録簿を見つけた。火の見櫓の建設工事の契約日はこの年の6月21日、ということは契約書の写しで分かっている。予想していた通り、記録簿に建設費用支出に関する記録があった。

「警鐘楼建設補助金の件」 村費支辨(弁の旧字)以外不足金40,300円(記録簿には漢数字で書かれている、以下同じ)について各戸金100円平均負担として残り金13,000円を区にて負担するという内容が記されている(誤読はしていないと思う)。

この記録簿は上記の通り、自治体(村)と地元の区(西洗馬区)と地元住民が建設費用をそれぞれ負担したことを示す具体的な資料として貴重だ。

記録簿は今後も保管する予定、と聞いている。


記録簿には起工式が8月1日に、竣工式が8月12日に行われたことも記されている。これは契約書の工期(昭和30年6月21日~8月20日)より短い。

やはり記録するということは大事なことだと、改めて思った。