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■ 川上弘美の本とさよならしたのは2014年12月のことだった。あれからもう10年近くなる・・・。
『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』(講談社2023年 図書館本)
久しぶりに川上弘美の作品を読んだ。きっぱりと別れたつもりでもやはり忘れられないのだ。
昨日(14日)いつのもスタバでこの本を読んでいると、顔見知りの店員・Hさんに声をかけられた。
「私も読みました」
「会話がいいよね」
ぼくは感想を伝え、下線部分のことも話した。
川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』も同じだ。ストーリーらしいストーリーはない。私とカズはお互い惹かれてはいるのだろうが、恋愛関係になるわけでもなく、曖昧な関係。
小説の中の会話を読んでいて、実際の会話ってこんなんじゃなよな、と思うことがある。整然としすぎていて無駄がないのだ。この小説の魅力はリアルな会話。読んでいて同じところに一緒に座って会話を聞いているような気分になること。
**「なるほど、それはありえるかも」
「でもさ、六歳の子供のすしに、たっぷりのわさびなんか、入れるものかな」
「それもそうか」**(84頁)
**「先月、ここでミナトと会った」
「そうなんだ」
「ご機嫌うかがいしたいって」
「ビール、飲んだ?」
「そりゃ、飲むさ。娘と二人なんて、酒でも飲まなきゃ所在なくて」**(113頁)
『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』は表題作を含め、17編からなる連作短編小説。
ともにカルフォルニアで幼少時代を過ごした3人。主人公のわたしとカズとアンが半世紀ほど経って、東京で再会した。3人は60代になっていた。時々お酒を飲むような関係になる3人。で、上のような会話をする。
だいぶ前に川上弘美の作品について次のようなことを書いた(2011.05.28)。
**川上弘美はよく白も黒もごっちゃになった世界、境界のはっきりしない曖昧な世界を描く。長編の『真鶴』では失踪してしまった夫がまだこちらにいるのかあちらに行ってしまったのか、はっきりしない状況で物語が進むし、やはり長編の『風花』は夫と別れようか、どうしようか、とまるで風花のように気持ちが定まらない若い女性が主人公の物語だ。『真面目な二人』はふわふわ、ゆらゆらなカワカミワールドが上手く描かれた佳作。**
川上弘美が描く世界は、あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ。輪郭が曖昧でこのように形容される。『恋ははかない、あるいは、プール底のステーキ』も同じだ。この小説にストーリーらしいストーリーはない。私とカズはお互い惹かれてはいるのだろうが、恋愛関係になるわけでもなく、曖昧な関係で次のような会話をする。
**「なんか、色っぽいね、どうしたの」
「色っぽい?」
「おれのこと、好きになった?」
「いや、べつに」
「即答かよ」
「もともとけっこう好きだし」
「そういう意味の好きじゃなく」
「ナポリタン、頼もうよ」**(115,6頁)
このようなたわいもない会話を地の文がきっちりしめている。その中に時々ハッとさせられるようなことばが出てくるのも、魅力だ。両者のバランスが実に好い。やはり川上弘美はうまい。