透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

Aas Ani テキスタイル作品展『ここに在る』

2024-06-14 | C 名刺 今日の1枚

245枚目の名刺は鶴田希望(Aas Ani )さん 

鶴田さんとは2013年の11月に初めて会って、その時に名刺交換している(過去ログ)。
Aas Ani テキスタイル作品展『ここに在る』を観た。在廊していた鶴田希望さんとあれこれ話をすることができた。今日(14日)改めて名刺交換した。鶴田さんの作品は朝日美術館でも観る機会があった(過去ログ)。


屋根に設置されている窓からギャラリーに入り込む外光と作品とのコラボ。時のうつろいとともに表情が変わる。


柔らかな布に版画の技法によって制作された作品。淡い色彩がなんとも魅力的。服装の色も作品に合わせたとのことだった。見えるものでも風のように見えないものでも、同じように感じる・・・という感性。



見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
「星とたんぽぽ」より

鶴田さんは金子みすゞと同じようにこまやかな感性の持ち主なのかもしれないな、話をしていてそう思った。


作品を観ていて西條八十が訳した「風」という詩が浮かんだ。作者は覚えていなかったが、調べてクリスティーナ・ロセッティだと分かった。

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく


Aas Ani テキスタイル作品展『ここに在る』
会場: BLUE HOUSE STUDIO (長野県東筑摩郡朝日村針尾1037-6)
会期: 2024年6月13(木)〜17(月) 10:00-17:00


 


新聞各紙の表記は? 代表作は?

2024-06-14 | D 新聞を読んで

  
 12日付信濃毎日新聞に掲載された槇文彦さんの訃報の見出しを見て「あれ?」と思った。という漢字が使われていたので。槙文彦 この漢字表記を目にしたのは初めてではないかと思う。例えば槇さんの著書では。やはり見慣れた槇文彦 この表記でないと違和感を感じる。

全国紙はどうなっているのだろう。槙か槇か。それから見出しに挙げる代表作は? 気になって確認した。結果は以下の通りで( )内は小見出し。


読売新聞 槇(「ヒルサイドテラス」設計)
朝日新聞 槇(モダニズム建築  洗練)
産経新聞 槇(世界文化賞  幕張メッセ設計)13日に掲載された(他紙は12日)

毎日新聞 槙(建築家、幕張メッセ設計)
日経新聞 槙(建築家 幕張メッセなど設計)

結果は以上の通り。なるほど・・・。小見出しに建築家と入れている毎日、日経は共に槙。

読売、朝日、日経の3紙は評伝も載せている。3紙とも槇さんが国立競技場の当初案に異議を唱えたことにも触れていて、代表作としてヒルサイドテラスを挙げている。

読売新聞 
**設計した建築そのままの洗練された都会人だった。**
**いつも理知的、紳士的な話しぶりも、国立競技場の建て替えで当初示された設計案に異議を唱えた時は険しかった。**
「群造形」という考え方にも触れている。

朝日新聞 
**槇文彦さんは知的でダンディーな雰囲気を漂わせ、洗練された作品と鋭い論考で戦後建築の良識といえる存在だった。**
**印象的な建築を多数手掛けたが、一つ挙げるとすれば何期にもわたり造られたヒルサイドテラスだろう。**
**どこでも一人で現れ、聞く側の背筋が伸びるように語った。その姿は、スタイリッシュな槇建築と重なっていた。** 読売同様、「群造形」という考え方にも触れている。

日経新聞 **華麗な経歴にクールなたたずまいを兼ね備えた、日本のモダニズムを代表する建築家だった。** 

各紙の記事を読み比べると、違いがよく分かって興味深い。


2006.12.14 次のようなことを書いた(過去ログ)。

このブログを始めてまもなく、「顔文一致」というタイトルで書いた(2006.04.23)。その中で、「建築作品はその設計者の体型に似る」という自説を披露しておいた。ドイツの精神病理学者、クレッチマーは体型と気質との間には相関性が見られる、と唱えたがそれに倣って私はそのように考えていたのだが、どうやら「建築作品はその設計者の風貌に似る」と修正した方がよさそうだ。

12日の読売新聞と朝日新聞の槇さんの訃報の記事にこれと同じようなことが書かれていた。上掲記事中、太文字化した箇所。私と同じように考えている記者もいるんだなあ、と記事を読んで思った。他の建築家のことはともかく、槇さんには当てはまると思う。


 


追悼 槇文彦さん

2024-06-14 | A あれこれ

 建築家・槇 文彦さんの訃報が12日の新聞に掲載された。私は槇さんの知的で端正な建築デザインに惹かれていて、拙ブログでも槇さんの作品などについて機会ある度に書いてきた。今回はそれらの中から主な記事をピックアップし、各記事の一部を抜粋、加筆するなどして改めて掲載する。記事のタイトルと掲載日も載せる(太字表示)。


東京余録 2023.04.18


テレビ朝日本社( 2003年竣工)の屋上を本木ヒルズ森タワー52階 東京シティビューから俯瞰する。撮影:2023.04.13

さんは屋上も美しく設計しなくてはならないと、雑誌の記事に書いていたかと思う。その言葉通り、テレビ朝日社屋の屋上は美しい。
豊田講堂の記事を読んで 2014.10.28


「LIXIL eye」は株式会社LIXILが発行する情報誌。無料だが、内容が充実している。NO.6号(2014.10)の特集記事に名古屋大学豊田講堂が取り上げられている。名古屋大学豊田講堂は槇さんのデビュー作にして日本建築学会賞受賞作。
成熟社会に相応しい施設 2014.02.23


『建築ジャーナル』という月刊誌があるが、2014年の1月号と2月号に「新国立競技場案を考える」という特集が組まれた。国際コンペの当選案、いや新国立競技場のプログラムそのものに問題ありと指摘する建築家・槇文彦氏の論考「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」に多くの人が関心を持ち、一般紙にも取り上げられた。論考の中で槇氏はオリンピック後の維持管理や収支見通しなどについても、広く説明する責任があるという指摘もしている。

新国立競技場案 2013.10.03


日本スポーツ振興センターのウェブサイトより

**発表された新国立競技場案のパースが一葉、日本のメディアに公表された時、私の第一印象はその美醜、好悪を超えてスケールの巨大さであった。** と槇さんは上掲した論考に書いている。だが、本当のところは、当選したザハ・ハディドという建築家の案のあまりにも異様な外観が気になったのではないか。スケール感がつかめなかった私は、まずその異様な姿がとても気になった。

モダニストで美しい建築を創り続けてきた槇さんが、当選案を美しいと評価していたとは到底思えない。槇さんは理性的にそして注意深く論文を書いてはいる。だが、その異様な姿にこそ失望したのではないか、と私は勝手に推察する。その後、当選案は白紙撤回された。


まち並みを秩序づけるもの 2011.09.06


「代官山ヒルサイドテラス」はあの辺一体の地主だった朝倉家の「良質な生活環境の創出を」という願いを受けて槇さんが30年以上もかけてじっくり創ってきた街。ひとりの建築家がこれほど長い間、同じクライアントと関わりながらひとつの街を創り続けてきたということは極めて稀な事例だろう。






代官山ヒルサイドテラスの魅力、それは公的な(街に開かれた)空間と私的な空間のヒューマンなスケールとそれらの巧みな構成。建築相互を関係付ける「リンケージ」という概念によって創出されるまとまりのあるグループフォーム(群造形)。

混沌とした東京にあってこの街の秩序はまさに奇跡と言って良いだろう。変わらないこの街の上品で知的な雰囲気、それはやはり設計者の都会的でオシャレなセンスの反映だろう。槇さんの代表作。


『見えがくれする都市』槇 文彦他(SD選書 鹿島出版会1980年)
『記憶の形象 都市と建築との間で』槇 文彦(筑摩書房1992年8月20日初版第1刷発行、1993年4月20日初版第4刷発行)

『記憶の形象』は今から31年前に発行された本で定価5,974円(税込)は決して安くはないが、この頃は読みたい本は買い求めていた。

槇さんの作品はどれも実に知的で端正で美しい。今から40年以上も前のこと、1983の9月に富山県黒部市にあるYKKのゲストハウス「前沢ガーデンハウス」を見学したが、それが槇さんの作品をじっくり見た最初の機会だったように思う。その後、京都国立近代美術館も見学しているが、美しい階段が印象に残っている。


京都国立近代美術館 撮影日不明
今年の5月、東京は墨田区横網にある刀剣博物館に出かけた。この博物館も槇さんの設計。残念なことに休館していた。次回東京する時、ここのカフェでも良いし、青山のスパイラルのカフェでも良い、槇さんの空間で友人とカフェトークしようと思う。
デザインということばの原義は「整理すること」だとか。複雑な建築構成要素を整理して秩序だてることが、ものとしての建築のデザインだと解せば(その逆、意味もなく複雑な構成をしたとしか思えない、デザインの意図が分からない建築もあるが)、槇さんの建築は形が単純化され、各部の寸法が整えられ、材料や色、ディテールが限定されている。その洗練されたデザインが効果を充分発揮して実に上品な空間が創出されている。

だがそれだけではない。例えば基調となる水平・垂直線に敢えて斜めの線を加えたり、イレギュラーな形や色を採りこんだりと、建築を秩序だてるデザインルールから少し外した「遊び」も採り込んでいる。そしてこれが実に魅力的なのだ。