420
『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』三砂ちづる(光文社新書2024年)を読んだ。
頭に物を載せて運ぶ頭上運搬はアフリカや東南アジアなどで今も行われているが、かつては日本でも各地で行われていた。沖縄、伊豆諸島、瀬戸内海・・・。全国各地に頭上運搬を経験した高齢の女性を訪ねて行ったヒアリング等をまとめたルポルタージュ。
帯の写真は沖永良部島の住吉暗川から水を頭上運搬する女性たちを撮影したもの。雑誌などでこのように頭上運搬する女性の写真を見た記憶がある。
沖縄。糸満から那覇まで12kmの距離を、30Kgもの魚を入れたたらいを頭に載せて、小走りで運んだ女性たち。一日に3往復する女性もいた、ということが書かれている(64頁)。ということは・・・、総距離72kmにもなる。びっくり。
神津島。**一人前の女子であればだいたい16貫目程度の運搬能力を持っているという。1貫目が約3.75キロだから、16貫目とはおよそ60キロほどの重さではないか。体より重い荷物を頭にのせていたというのである。**(112頁)びっくり。
本書にはこのような事例がいくつも紹介されている。
本書に見開きで掲載されている日本の頭上運搬の分布図(『民俗學辭典』東京堂出版1951年、136,7頁)を私は興味深く見た。35カ所の地域が日本地図上にプロットされているが、琵琶湖近くの地域を除き、全て海沿いの地域だ。なぜだろう・・・。
著者の三砂ちづるさんは、**多くは海寄りで、魚を売ることに関わっていたであろうことがわかる。**(140頁)と書く。また、**女川町誌にあるように、江島は急勾配の続く島で、住宅も高い所に建っている。井戸は低いところにあるため、結果として頭上運搬が便利だったのだと思われる。江島の周囲の島は、もっと平らで道路もよかったので、頭上運搬する必要がなかったのだろう、(後略)**(142頁)という現地の方のコメントも載せている。
**もともと頭上運搬は、どこか特別なところで行われていたというものではなく、ほとんどの地方で、ほとんどの人が、日常的な運搬方法として行っていたことではないのか、それがだんだん廃れてきて、(中略)ある特殊な条件下にあるところでは、その風習が残った、ということではないか、という仮説である。**(152,3頁)と、民俗学者・瀬川清子の説も紹介している。
特殊な条件って一体どんな条件なんだろう・・・。どんな理由で残ったのだろう・・・。坂が多くて頭上運搬に代わる他の運搬方法が使えなかったところということか。
三砂さんは頭上運搬を追う理由について、**本当のところは、それが、女性の姿として美しいから、というのが一番大きな理由であり、きっかけであるように思う。**(101,2頁)と書いている。
**センターの通った、真っ直ぐな、軸の通った身体でなければ、頭上に何かものをのせて運ぶことはできない。**(189頁)と三砂さんは指摘しているが、これは身体に鉛直荷重しかかからないようにしないといけないということだ。頭上にものを載せても身体が真っ直ぐでなかったり、真っ直ぐであっても軸から外してものを背負うと身体に曲げモーメントがかかってしまう。頭上運搬は力学的に理にかなっている。だから見た目にもその姿は美しいということだろう、と私は思う。
三砂さんもこのことについて、**重力に逆らって持ち上げるような姿勢は、自ずと不自然なものになるであろう。**(189頁)と書いている。これは水を入れたバケツを片手で持って運ぶ場合を考えれば分かりやすい。
三砂さんは更に**よくととのった、すっきりとした身体を持ち、その頭の上に「もの」がのっている様子は、「敬意を込めて運ぶ」、つまりは供え物をする時の運び方として、まことにふさわしいやり方であったに違いない。**(189,190頁)と、人文学的と言っていいのか、そんな解釈もしている。**天に近いものがより尊く、高いところにあるものがよりよい**(188頁)というのだ。
**この本で取り上げている「頭上運搬」は、生活に必要な身体所作だったのであり、それを続けることでセンターが強化され、ゆるんだ体が結果として保たれる。実用性もあり、生活を支えていた運動でもあり、身体意識の強化にもつながっていた。労働の過酷さ、のみではない、身体づかいの妙味が提示されていたことに気づくのである。**(186頁)
頭上に載せたものに働く力(重力)の方向、そう地球の中心に向かう方向にきちんと身体の軸を一致させることができる身体意識、身体感覚をかつてはごく普通の女性たちが備えていたという指摘が本書の論旨、と解した。