透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

既知のものしか見えない

2007-08-02 | A あれこれ



 以前、私は「知らないことは見えない」とこのブログに書きました。あらかじめ見るべきものを用意しているんですね先入観によって見る、といってもいいかもしれません。

ケプラーが惑星の運動法則を発見できたのも、神様は美しくてシンプルなものをつくったはず、それは惑星の運動にも当て嵌まるはずだ、という先入観をもって観察したからだという指摘を昔何かで読んだ記憶があります。

しばらく前にとり上げたこの『生物と無生物のあいだ』にも同様の指摘があります。

第7章「チャンスは、準備された心に降り立つ」は次のような書き出しです。**訓練をつんだ医者は、胸部X線写真を眺めただけで、そこにわずかな結核の手がかりやあるいは早期ガンを疑うに足る陰影を認めることができる。(中略)実は、医者がX線写真をライトにかざすとき、彼が診ているものは、胸部の映像というよりはむしろ彼らの心の内にあるあらかじめ用意されている「理論」なのである。**

知らないことは見えない・・・、エスキモーは雪原の状態を何十種類にも区別することができるそうですが、それだけのデータを持ち合わせているってことなんですね。

脳が未知のものを認知するときはこのように既知のものに照らし合わせているんですね。要するに「未知との遭遇」を「既知との遭遇」に置き換えようとするわけです。初めて会う人の顔を認知するときも、脳は一所懸命既存のデータを参照して、目はこれ、鼻はこれ、口はこれ、顔の輪郭はこれ、というように既存のデータに帰着させるわけです。そう、ちょうど、犯人探しのためにモンタージュ写真をつくるときと同じ行為を脳がしているわけです。

外国人の顔はみな同じに見える、というのも理解できます。極めて少ないデータしか持ち合わせていないわけですから、いろんな顔が同じデータに帰着されてしまうんですね。

未知を嫌う脳は月の陰影がつくる模様も既知の何かに帰着させようとします。結果、うさぎだったり、カニだったり、本を読む人などに見えるわけですね。あれはうさぎだという先入観で見るからうさぎに見える、と理解してもよさそうです。

小説を読むのも同じ。村上春樹の小説も実はそのように先入観をもって読んでいるんですね。その先入観にうまく合致していたものを好きだと評価することになる、と理解してよさそうです。

『ねじまき鳥クロニクル』を読了したら、彼の長編小説で好きな作品を挙げるつもりですが、それもこのようなことに基づく評価ということなんです、きっと。


 


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