■ 浅田次郎の『長く高い壁』(角川書店2018年、図書館本)を読んだ。(以下、ミステリー小説のネタばらしにはならないように配慮したつもりですが・・・。)
昭和11年(1936年)2.26事件、昭和12年(1937年)盧溝橋事件、日中戦争勃発。
昭和13年秋、日中戦争下の張飛嶺(万里の長城)。大隊主力が前線に出た後、張飛嶺守備隊として残ったのは小隊30人、その第一分隊10人全員が死亡する。戦死か? 従軍作家の小柳逸馬が検閲班長の川津中尉と共に北京から現場に向かい、10人怪死の真相を解き明かす。
ミステリー仕立てのストーリーの大要はこの通りだが、この小説は単なる謎解きの娯楽作品ではない。作者・浅田次郎がこの小説で書きたかったことは、作品の中に見出せる。当然のことではあるが。
**探偵小説を好んで書くのは、そうした人間の本性を堂々と開陳できるからだ。読者にしたところで、何も人殺しを面白がっているわけではあるまい。他人を恨み、妬(ねた)み、嫉(そね)み、あげくには殺してしまう人間の怖ろしさ ―― むろんおのれのうちにも確実に存在する魔性を、小説の世界に垣間見ている。**(259頁)
**君は今、苦悩している。戦場に正義はあるのか、と。敵という名の人の命を奪い、またみずからもいつ殺されるかわからない戦場に、殺人を事件とするだけの正義がはたしてあるのか、と。**(267頁)
**どれほど腹が立とうと、当たりどころがない。だから得体の知れぬ泥のような怒りが、胸の中に澱り嵩んでゆく。(後略)**(270頁)
**正義感に燃えたのではない。義侠心でもない。我慢のならぬ理不尽がとうとう腹の中で膨らみ切って、反吐のようにせり上がってきたのだった。**(272頁)
従軍作家は事件の真相を明らかにする。だが「嗚呼忠烈 張飛嶺守備隊の最期」と題する報告レポートには真相とは異なることが書かれていた・・・。
浅田次郎は上手い。文中に織り込まれている中国語も難しい単語も効果的だ。こういうラストの構成は他に知らない。なかなか好い。
読了後、ふと松本清張なら終盤をどんな展開にしただろうなと思った。代表作の『砂の器』や『ゼロの焦点』のようにタイムスパンの長い小説にしたのではないか。事件後、何年も先のことが描かれる。
松本清張のようには構想できないけれど・・・。小柳逸馬には当時5歳のひとり娘がいた。時は流れ、太平洋戦争後、昭和32年。年頃になった娘にはフィアンセの新聞記者がいた(好きな作品の『球形の荒野』の主人公のフィアンセも新聞記者だった)。
病に伏せた父親が最期に二人に明かした手記の存在。葬儀を済ませ、二人が開封した手記には「張飛嶺守備隊最期の真相」という見出しが付けられていた・・・。