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■ 『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「まぼろしの報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)を読んだ。塩尻のえんぱーくで8月4日に行われた加藤陽子東大教授の講演「超長寿時代の平和と戦争を考えるために ―全ての世代の立場から―」で紹介された本。
**「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」について考察したい。**(6頁) 本書の魅力は課題(解き明かすべき謎)が明確に設定され、その課題(謎)を分かりやすい論理の展開によって解き明かしていくこと。そう、この本にはよく出来た推理小説のような謎解きの面白さがある。
謎解きの過程で著者は数多くの史料を丹念に読み込む。名探偵が解けない謎をさらりと解いてしまうのとは訳が違う。巻末に掲載されている史料のリストは実に26頁に及ぶ(ただし引用頁まで示しているため、複数回掲載されている同一史料もある)。
課題(謎)は第五章の「なぜ開戦の決定が行われたのか」において、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の経済学などの知見によって解き明かされる。
プロスペクト理論の説明で著者は次のような解りやすい例を示している。
(a)確実に3,000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4,000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。
このような場合には多くの人が(b)を選ぶという(ある調査では92%が(b)を選択したそうだ)。(b)の期待値は-3,200円で(a)の-3,000円より損失は大きいのに。このことについて、**人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動を取るのである。**と、著者。
このようなことが太平洋戦争開戦前にも起きていたのだ・・・。
(A)開戦しない 2,3年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服(ジリ貧)
(B) 非常に高い確率で致命的な敗北を招く(ドカ貧) 非常に低い確率でイギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、日本にとって有利な講話に応じる。
上の例で(b)を選ぶように(B) を選択した。で、この選択には.、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になるという集団意思決定の集団極化の理論が働いていたと著者は説く。
**つまりもともと個人の状態でもプロスペクト理論によってリスクの高い選択が行われやすい状態の中で、そうした人々が集団で意思決定をすれば、リスキーシフトが起きて極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択肢が選ばれてしまうのである。**(160頁)
謎解きの面白さがある、と紹介しておきながらその中身を具体的に書き過ぎた。
本書を近現代史に関心がある方にはもちろん、ない方にもおすすめしたい。