透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

路上観察 まだまだ蔵は続く・・・

2009-08-15 | A あれこれ



松本市今井にて路上観察

 松本市今井の蔵。このところ蔵の妻壁の開口部周りのデザインに注目している。なんの飾りもないプリミティブな開口部。

①の蔵は漆喰仕上げが施されておらず、本来は下地の土壁表し(あらわし 建築用語として普通に使うことばだが、「この使い方変ですよ」と指摘されたことがある)のままだ。素朴な味わいの蔵。

②の蔵は漆喰で仕上げてある。地棟の小口の仕上げに家紋などを入れる場合が多いがこの蔵は無地。その下に小さな窓というか、通気口が設けられている。腰壁はなまこ壁にすることが多いがこのふたつの蔵は上部の壁と同じ仕上げをしている。

下は朝日村で見かけた蔵の平側の様子。入り口の上部に床をつくって物が置けるようにしている。松本地方でよく見られる形式。③は木組み表しだが、ここを④のように漆喰仕上げにすることの方が多い、と思う。


朝日村古見にて路上観察

朝日村西洗馬にて路上観察

腰は共になまこ壁。なまこ壁の名は瓦と瓦の間の隙間にかまぼこ型に盛り上げた漆喰の断面が海鼠(なまこ)型になっていることに由来するといわれている(「民家のデザイン」川島宙次/相模書房などによる)。③の蔵は亀甲模様。


「ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男」を読む

2009-08-15 | A 読書日記
『旅人』湯川秀樹/角川ソフィア文庫読了。日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹が50歳の誕生日を迎えたことを機に自身の思索の旅を振り返る。

**未知の世界を研究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探求の結果として、できるのである。目的地がどこにあるか、まだわからない。もちろん、目的地へ向かって真直ぐな道など、できてはいない。**

幼少の頃から大学で理論物理学、量子論を研究するに至るまで(二十七歳数ヶ月になるまで)、学究の日々を淡々と綴る。

**あくる朝になって、昨夜考えたことを思いかえして見ると、実につまらないことである。私の期待は悪夢のように、朝の光とともに消え去ってゆく。こんなことが、何度くりかえされたか知れない。**

研究の道は決して平坦ではなかった・・・。

 *****



 さて、夏休みのもう一冊はこれ、『ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男』暮沢剛巳/朝日新聞出版。朝日選書でいい本を見つけた。まずこの表紙の端整なデザインがいい。コルビュジエの代表作のひとつ、ラ・トゥーレットの修道院の遠景写真が綺麗にレイアウトされている。文字のレイアウト、大きさもいい。朝日選書ってこんなに表紙が良かったっけ。

巻末に収録されている参考文献が多い。コルビュジエの略年表や相関図が載っているのもありがたい。

今日はこの本を読んで過ごそう。

昨年の8月15日はこの本を読んでいた。

路上観察 鄙里の道祖神

2009-08-14 | B 石神・石仏

 路上観察はこのところ蔵ばっかりでした。今回は久しぶりに道祖神です。

長野県の朝日村と隣りの山形村は松本平の西南に連なる里山の麓に位置する農村です。共にかつて高遠藩の飛び地であったことから、高遠の石工が何体もの道祖神を残したといわれています。手元の資料によると朝日村には31体、山形村には40体もの道祖神があるとのことです。


① 朝日村大石原の祝言跪座像 

まずは①、石の形がいいですね。自然石でこのように整った形のものを探すのはなかなか大変だったのではないかと思います。朝日村には抱肩握手像が最も多いそうですが、近年の作には祝言像も多いと手元の資料(「信州朝日村の道祖神」朝日村教育委員会 平成12年再発行)にあります。像が少し磨耗していて顔の表情など細かなところまで確認できないのが残念です。石の裏に明治二十六年十月日 大石 耕地中と刻字されています。


② 朝日村針尾中村の抱肩握手像



② お互い相手の肩に手をかけて別の手で握手をしています。で、抱肩握手像と呼ばれるんですね。下の写真で確認できるように、この像の横に天保四巳三月針尾中村、その下は中でしょうか、と刻字されています。天保四年は西暦1833年ですから、今から176年前ということになります。硬い石質なのでしょう、像は磨耗が無くて鮮明ですし、デザインは形も細部の表現を省略しているところもモダンな印象ですから、とてもそんなに古い像だとは思えません。数年前に彫ったものだと説明されても信じてしまいそうです。おだやかな顔の表情がいいですね。


③ 朝日村御馬越の抱肩握手像



③ この道祖神の裏側に天保十四癸卯年 十月吉日と刻字されています。西暦1843年ですから、②の道祖神の10年後に出来たものだということが分かります。素朴な形の石で像が磨耗していて、古いものという印象を受けます。二体を比較してみると②がやはり相当モダンに見えます。

同時代の建築のデザインが多様なように、道祖神のデザインも石工のセンス、感性の違いによるのでしょうか、やはり多様です。

鄙里の道祖神 過去ログ


 


「旅人」湯川秀樹

2009-08-14 | A 読書日記


『旅人 ある物理学者の回想』湯川秀樹/角川文庫

先日書店でこの文庫本が平積みされているのを見た。帯の**その寂しさに吸い寄せられてしまう。**という森見登美彦の感想に惹かれた。寂しいということばには弱い。

この文庫の奥付を見ると平成二十年に七十九版、初版発行は昭和三十五年だ。随分長い間読まれていることが分かる。この本が今、何故平積みされているのかは、分からないが、購入。

村上春樹の『1Q84』や高村薫の『太陽を曳く馬』にも惹かれるが、このところなぜか小説を読もうという気にならない。短い夏休みでは読了できないだろうと、購入を見送った。いつか読もう(いつになることやら・・・)。

さて『旅人』、湯川秀樹は京都の街の様子についてこんなふうに書いている。

**私は昔も今も、親しい友だちが少ない。性格的なものもあるだろうが、私が幼年期、少年期を過ごした、京都という町の環境にもよるのかもしれない。**

**京都の人家は、大抵、外部からひどく隔絶されるように出来ている。(中略)住宅街ともなれば、白壁の土塀がつづく。屋根の重い門がある。植込みがある。すまいは更に深いところにある。中庭があり、裏庭があり、たとえ、そこにさんさんと陽が射していても、外からは少しもうかがい知ることは出来ない。これは、京都人の性格を形成するには格好の構えである。いや、とかく心の門を閉ざし易い京都人が、自然に生み出した住居の設計であろうか。**

建築が人の性格に影響を与えるのか、性格が建築を規定するのか。両面あるとは思うが、よく議論されるテーマだ。それを湯川秀樹も考えていたことをこの一節で知った。

**明治――。
その名は私に、アルコール・ランプの上に置かれたフラスコの水が、次第に熱せられて、沸騰してゆく過程を思わせる。
私はその時代の終りに、幼年期を送ったわけだ。(後略)**

あとわずかで読了。

セミ 更に加筆

2009-08-13 | A あれこれ

 ミーン・ミンミンミンミンミー… と鳴いていましたからミンミンゼミだと思います。昨日(12日)の朝、勤務先の湯沸室の窓の外で鳴いているところを見つけて網戸越しに写真を撮りました。



セミやトンボの羽ってチョウと違ってなぜ透明なんでしょうね。神様のデザインには必ず意味があるはずですから、きっと意味があると思います。後方確認がきちんと出来るように? 調べてみると羽を透明にすることでその存在を消して目立たないようにして外敵から身を守っているのだ、という説明を見つけました。なるほど!な説明です。

羽についている模様というか葉脈のような翅脈(だと分かりました)にも、もちろん意味があるはずです。

うちわや扇子には竹(うちわにはプラスチックもよく使われていますが、やはり竹がいいですよね)の「骨」がありますが、もし「骨」がなければ、変形してしまってパタパタと扇ぐことはできませんね。

セミやトンボの翅脈はこの「骨」と同じように羽の補強材の役目を果たしているのでしょう。そして羽を動かす時、空気の抵抗を受けて羽に生じる応力分布に対応しているとみてよさそうです。



この本の著者、佐々木睦朗さんは日本を代表する構造家ですが、表紙にトンボの羽を使っています。

応力が集中する羽の付け根の部分はやはり翅脈が太くなっています。この翅脈の網目のパターンと「せんだいメディアテーク」の鋼板スラブの補強リブのパターンがよく似ていることを佐々木さんは示していたと思います(本が見つからないので確認できませんが)。

トンボの羽とセミの羽の翅脈模様を観察すれば共通することが見つかると思います。共に補強材という同じ役目を果たしているのでしょうから。

トンボの羽については材料工学や構造力学からアプローチしている研究があることも分かりました。確かに軽量で丈夫な構造ですから工学的に応用できればすごいですね。バイオミミクリー(←過去ログ)な考え方ですね。


 


木について語る の巻

2009-08-13 | A あれこれ

「Kちゃんしばらく。元気にしてた?」
「私はいつも元気ですよ~っ U1さんは?」
「元気、元気と言いたいところだけど、ちょっとお疲れモードかな」
「もう若くないんですから、無理しないように」
「ええ? なんだよ若くないって。まだまだこれからなのに。Kちゃん、今日はすっかり休日モードな服装だね」


「カワユイでしょ。U1さんはアイスコーヒーって飲まないんですか?夏でもホットですね
「そう、アイスコーヒーってホットコーヒーとは別の飲み物でしょ。飲まないね。ホットコーヒーのみ、混和剤なし!」

「混和剤って?」
「ミルクとか砂糖とか」
「いつもブラックでしたっけ」
「そ、ブラック」

「U1さん、この頃ブログに蔵のことよく載せてますね。なんだか私あんまり興味がなくて・・・」
「おいおい、ちゃんと読んでよ。ところでKちゃんってマンションでひとり暮らししてるんだよね」

「ええ、9階建ての5階。場所は秘密」
「独身貴族してるんだ」

「そんな、質素な暮らしですよ、ひとり寂しく・・・」
「9階建てだとSRCだな、きっと」

「SRC・・・」
「鉄骨鉄筋コンクリート造」
「そうなんだ。外壁はタイル貼りですけど」

「日本って明治になるまでは木造建築しかなかったんよね。奈良の大仏殿だって、松本城だって、みんな木造」
「ええ。民家は屋根まで草や木で出来てましたね」
「そう、でね、もし明治になっても近代建築、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の導入を拒んでさ、木の文化を守るということで、木造だけしか認めなかったとしたら、日本の国って社会構造が今とは全然違ったと思うね」

「・・・」
「東京に人口の1割が集まるなんてことも当然なかったわけだ、高層マンションが出来なければこれだけの人口集中は無理だからね。地方に分散するしかない」



「確かにそうですね。オフィスビルも高層が出来なければ多くの人が集まることは、出来ないですね」
「でしょ。国会議事堂だってもっと小さなものしか出来なくて、議員の数だってずっと少なかったかも知れない。あるいは審議のシステムが今とは違うとかさ」
「確かにそうですね。建築のキャパが条件になりますね」

「木造だけだったら、木の需要がいくらでもあるんだから、林業が今のように廃れることもなかっただろうね。治山がきちんとできて・・・」
「でも、そんな社会なんて考えられないですよ。鎖国している訳じゃないから、今のような国際社会で」
「もちろん、現状からすれば突拍子もない発想だけど」


「木って再生できる唯一の資源でしょ。鉄もコンクリートも有限な資源だけど、木は植林して育てて資材として使って、そこにまた木を植えてってやっていけば、いくらでも使える」
「ええ、そうですね」
「木造だけの、健全、エコロジカルな都市、いいでしょ。日本はそういう木の文化を延々と続けてきたんだよね。たった百数十年前までは。防災のために木の不燃化がもっと進んで、密集を避けるような法規が出来て、空地が緑に・・・。それが、いまじゃね木の模様のついたビニルクロスとか天井材、プラスチックの廻り縁や幅木・・・。まがいモノだらけの建築。弁当買えば、木の模様をプリントしたプラスチックの容器・・・、住宅の寿命はアメリカの半分、イギリスの三分の一。25年で、解体、そしてゴミ・・・」
「U1さん、嘆いてる・・・」
「そう、いまや複雑な継手や仕口は刻まない、ノコギリを目立てもせずに使い捨てする大工さんがいるとか・・・」


「U1さん、建築だって明治時代に他の自然科学なんかと一緒に学問としてヨーロッパに学んで取り入れたんでしょ。でも、千年以上も続いてきた木の文化があったのに、いきなりコンクリートだ、鉄骨だといって、木を隅に追いやってしまうことも無かったでしょうにね」
「そうだね。木に鉄をつなごうとしてもね・・・。木の文化を学問として体系づけるということはやはり難しかったんだろうね。そうなれば研究の対象外。日本の木の文化を西洋の知では、やはり無理だったかもね」

「・・・」
「五重塔が地震の時どんな挙動をするかなんてきちんと解析できないよ、つまりそういうこと、ね」
「う~ん、よく分からないけど」

「国家的なプロジェクトとして木の文化復興に取り組もう、なんてとても無理だね。車も家電産業もいいけどさ。木の文化を捨去ろうとしているのは残念だね」
「・・・」
「輸送エネルギーを大量に消費して食料や建築資材を地球の裏側から輸入して・・・。弁当大量につくって残って捨てて、住宅は25年で壊して・・・。世界で一番地球に負荷をかけて暮らしているんだよな・・・日本人って」
「・・・、なんだか済みませんって感じ」


「こんな話をするつもりじゃ・・・さて、ビール飲みに行こう!」


「ようやくいつもの中年オジサンになりましたネ」


路上観察 蔵

2009-08-13 | A あれこれ


■ 路上観察 長野県波田町の蔵

妻壁の窓廻りの形は複雑だが白漆喰のみ、モノトーンなのですっきり見える。左右対称だから、写真もキッチリ正面から撮る。

どのようなデザインにするのか、発注者と職人は打ち合わせをどの程度しているのだろう。基本的な仕様を決めたら、あとは職人の裁量なのかも知れない。端整、私の好み。

善光寺街道を描く

2009-08-11 | A あれこれ




右は中山道、左は善光寺街道(道標には善光寺道とあります)。
上の絵地図に描かれている場所です。


 現在朝日美術館(長野県朝日村)で開催中の「池田宗弘が見た 善光寺街道」では、塩尻市洗馬宿を起点に長野市善光寺までの善光寺街道80kmを描いた俯瞰絵地図を展示しています。

街道を旅しながら両側に並ぶ民家や石碑などをパンフレット(上の写真)のような絵地図に描く・・・その長さ100m! 絵地図は圧巻、見応えがあります。

池田さんはスペイン・サンディアゴ巡礼の道絵巻を描き、1996年に東京のギャラリーで展覧会を開催したそうですが、その作品を展覧会終了後、スペイン・ガルシア州政府に献納したそうです。

「街道てくてく旅」が趣味という人は案外多いかもしれません。でも街道の家並を全てスケッチするなどという大変なことをしている方は他にはどうでしょうね。池田さんおひとりでは。

地方の小美術館でなかなか興味深い展覧会を観ました。


 


太陽がいっぱい

2009-08-11 | A あれこれ

 先日読んだ谷村志穂さんの『余命』新潮文庫は、**「(前略)妊娠を知ったとほぼ同じときに、今回の再発にも気づいたんです。覚悟の上で、生んだ子です。私の代わりに生まれてきてくれた子なんです」** と、まあこういう内容の小説なんですが、ラストに先日の日食のシーンが出てきます。

**地元、奄美の人たちにとっても、この海辺で見るのは生涯で一度きりの日蝕になるだろう。「いよいよ始まるわ」(中略)「ねえお母さん、日蝕ってなんだか命みたいだね」(後略)** 

この作品では、先日の日食(小説では日蝕と表記されています)が、消えてゆく命と生まれてくる命、生命のリレーをイメージさせる現象として扱われています。

ところでこの写真(Yさんに掲載のOKをいただきました)、台所の穴あきおたまを使って先日の日食を捉えています。ピンホールカメラの原理ですね。地面に落ちる木漏れ日でも日食が確認できると、テレビで紹介しているのを見ました。同じ原理ですよね。

ちょっと写真が不鮮明ですが、よくみると下側が欠けていることが分かりますね。上下反転して写りますから、太陽はこのとき上側が欠けていたことになります(で、よかったかな?)。

先日の日食、私は残念ながら観察できませんでした。松本地方は雲っていましたので。調べてみると中部地方で皆既日食が起こるのは26年後、2035年9月2日です。随分先のことですね。観察できたらいいですね。

今回の写真は建築少年Yさんのブログから、タイトルはemumuさんのブログからお借りしました。


LCC

2009-08-09 | A あれこれ

本稿がちょうど1500稿目です。

「LCC」を検索するとライフサイクルコストとヒットします。昔はライフサイクルコーディネーションの意味の方が一般的でしたが。

このライフサイクルコストという概念を建築に当て嵌めると建設コスト(企画、設計段階も含めて考えることもあります)、何十年にも及ぶ使用期間中のランニングコスト(光熱水コスト、車の燃料代に相当するコストメンテナンスコスト(車の点検・修理代に相当するコスト)、それから取り壊す時にかかる解体・処分コストがあって、それらの総和ということになります。要するに建築の一生にかかる費用の合計、です。

ところでこの建築のライフサイクルコスト(LCC)、多少建設費が余分にかかってもメンテナンスコストやランニングコストが少なくなるなら、そのほうが「徳」ということを考慮して、使う材料や設備機器を選択することを理解してもらうのは案外難しいです。

車の場合だと燃費がいいから、つまりランニングコスト(車だから、本当にランニングコスト!)が少なくて済む、だから多少高くても数年でその分の元が取れる、ということは理解されやすいのに・・・。

建築もLCCは車の場合と同じ内容であるのにもかかわらず、あまり理解されないのは何故でしょう・・。車ほど判断材料が少なくないことが理由かも知れませんし、得することになるのが10年、20年先になることもあるので、そんな先のことはイメージできない、ということなのかも知れません。どうも日本人はあまり長いスパンのことを考えるのが苦手、あるいは嫌いなようですね。

最近LCCO2という概念も出てきました。生涯二酸化炭素排出量、これを建築に当て嵌めると、建築が一生の間に排出するCO2の総和、ということになります。

地球的な規模での環境保全という観点からこのLCCO2を低く押えることを考慮しなくてはならない、という事なんですね。

LCCとLCCO2との間には一体どのような関係があるのでしょう。LCCを低く押えればLCCO2も低くなるという関係にあればいいのですが、どうでしょう。どうもそううまいことにはなっていないような気がします。

ならば、LCCO2をの削減を優先するのか、LCC縮減を優先するかということになりますが、当然LCCO2の削減を優先すべき、というのが良識的な結論ですよね。CO2削減にコストがかかっても仕方がないと。

でも、でも、LCCもLCCO2もあまり考慮されることもなく、いまだに建設コストの縮減のみがテーマになっているような気がします。建築の一生がなかなか扱えないというのが現状です。

1500をネタに何か書けないか、と考えました。私の車は1500ccですから、そのことを取り上げようと思いました。でも建築と本にテーマを限定しているこのブログでは結果的にこんな展開になりました。


繰り返しの美学 応用編? 

2009-08-09 | B 繰り返しの美学

 このブログで時々取り上げている「繰り返しの美学」を成立させている数理的秩序は単純です。それは大きさや形、色などの変わらないもの(対象が建築ですから、建築を構成する例えば窓などの要素)を等間隔に直線状に並べるというものです。


自宅の近くに咲いているひまわり(090809)

ひまわりのタネは螺旋状の列に並んでいて渦になっています。この渦も数理的な秩序によってできているのですが、その秩序はフィボナッチ数列というものだそうです(この数列は高校の時、数学で教わっていると思います。ン?大学の講義だったかな。初項と第2項を決めればそれ以降の項は前の2項の和として定義される数列ですね)。

タネの渦には右回りと左回りの列があることがこの写真から分かりますが、その数は共にこの数列の数にあるのだとか。そしてそれぞれの列に並ぶタネの数も。

神様はこのフィボナッチ数列がお気に入りのようで、あちこちで使っているそうです。巻貝や松かさやパイナップルの実などもこの数列によって秩序づけられているのだそうです(ネットで「フィボナッチ数列」と「ひまわり」の2語検索するといくつもサイトがヒットしますので興味のある方はどうぞ)。どうやら植物の渦状の生長はこの数列に拠っているようです。この数列は建築デザインの分野でもよく出てきますが、今回はそのことには触れません。

直感的に理解しにくいこのルールは繰り返しの美学の応用編を成すものだとは思いますが私には説明がなかなか難しいので、このブログでは取り上げません。パスします。

ところで本稿は1499稿目です。1500稿には夏休み頃に到達するかなと思っていましたが、少し早くなりました。いつもこのブログを読んでいただいている方々に感謝します。ありがとうございます。 


対馬の倉

2009-08-09 | A あれこれ


民家 昔の記録 対馬の倉(8109) *蔵と倉を使い分ける。

 屋根を石で葺くことは別に珍しいことではない。諏訪地方の鉄平石一文字葺きや菱葺き、宮城県の北部、女川あたりの玄昌石うろこ葺き(現在復元工事中の東京駅の屋根にいままで使われていた玄昌石の産地もこのあたりではなかったか)、新島の抗火石葺きなどについては既に取り上げた。実は対馬の倉についても既に書いているが、再度取り上げる。

福岡で行われたある学会の大会に参加した際、「ついで」に対馬を訪ねた。もう随分昔のことだ。小型飛行機が随分揺れて怖い思いをしたことを覚えている。

屋根の平面(ひらめん)には驚くほど大きな石*を使っている。棟の部分の雨仕舞がやっかいだが、何層も細長い石を重ねることで処理している。



石葺きは耕地に恵まれない対馬で穀物をきちんと保存するための知恵だという。石の重量が半端ではないからかなり丈夫に造る必要があり、実際には倉の多くは草葺きで、完全に雨を防ぐことが出来なかったということだ。

柱が1.8mピッチに並んでいなかった。確か1.5m位の間隔だったと思う。屋根の重量を支えるためかもしれないが、場所が対馬故、あるいは朝鮮半島の影響を受けているのかもしれない。異文化を感じる。

関心は海外にまで及ぶ・・・。

貢岩質の粘板岩(『地域と民家 日本とその周辺』杉本尚次/明玄書房1977年発行 による)


 


松本の蔵

2009-08-08 | A あれこれ
    
松本大手にて路上観察

■ 窓に付けられた突き上げ式の鉄扉。支持棒で支える。突き上げた状態で、庇にもなるから小雨程度なら支障ない。

あちこちの蔵を載せたが、今回はこのくらいでオシマイ。人生いろいろ、男もいろいろ、蔵もいろいろ。

須崎の蔵

2009-08-08 | A あれこれ


■ 民家 昔の記録 高知県須崎の蔵(198003)

窓と水切瓦の奇妙な位置関係。もっとも水切瓦は壁を伝わる雨水を切るためにも付けるのだから、この関係もありかな。窓の位置が高すぎて庇が付けられない。

鉄扉が無くなって丁番の痕跡が残るのみ。雨仕舞い上支障ないんだろうか。当然あるワナ。