1932年(昭和7年)に建立された小林和平51歳の時の作品
拝殿
本殿
この卓越した造形力、デザイン力がまず凄いと思う。加えて彫りの技術が凄いのだから、鬼に金棒、もとい和平に鑿(のみ)。
阿像だから口を開けている。この表情はなんとなくユーモラス。
子獅子が親獅子の腹の下にいる。とても居心地が良さそうだ。
親獅子の後ろにも子獅子がいる。幼い我が子を亡くした和平の心情が表出した狛犬。
1932年(昭和7年)に建立された小林和平51歳の時の作品
拝殿
本殿
この卓越した造形力、デザイン力がまず凄いと思う。加えて彫りの技術が凄いのだから、鬼に金棒、もとい和平に鑿(のみ)。
阿像だから口を開けている。この表情はなんとなくユーモラス。
子獅子が親獅子の腹の下にいる。とても居心地が良さそうだ。
親獅子の後ろにも子獅子がいる。幼い我が子を亡くした和平の心情が表出した狛犬。
930 福島県石川郡古殿山上、国道349号の脇に立つ火の見櫓 4脚88型 撮影日171102
■ 櫓は上方に向かってあまり逓減していないので少し太目に見えるが、こういうプロポーションも好いと思う。総高は12mくらいか。
4角形の櫓に8角形の屋根、8角形の見張り台はこちらでは多い組合せなのかもしれない。
屋根にくるりんちょな蕨手を付けていない。屋根の下に帯や乳付きの半鐘が吊り下げてあり、その位置は中心を外してある。見張り台の手すりの飾りはハートを逆さにしたような形で長野県内でもよく目にする。
踊り場の手すりは4面共、少し張り出している。ここにも見張り台の手すりと同じデザインの飾りを施してある。
脚部の構成はあっさりしたもの。
福島県石川郡古殿町のマンホール蓋 撮影日171102
◎ ちょうどうまい具合に道路またぎ櫓の前にマンホール蓋があった。
蓋の外周に町の木・杉を配し、町の鳥・キジと町の花・ヤマユリをデザインしている。キジの頭の右横は町章。「ふるどの」と「おすい」と表記している。
928 福島県石川郡古殿町竹貫の火の見櫓 4脚88型 撮影日171102
■ ああ、この火の見櫓を見るためにわざわざこんなに遠くまで出かけて来たのだ・・・。確かにに火の見櫓が道をまたいで立っている。それもがに股というわけでもなく、ごく自然な状態で。道は奥の古殿町商工会館に通じている。
しばし感慨に浸る。
ここまでの走行距離は約428km。ドライブが好きでもない私が車でこんなに遠出をしたのは初めて。これで単なる櫓好きから、他人の理解の及ばないマニアの域に達したかもしれない。好天に恵まれたのは晴れ男故か、日頃の行いの良さ故か。
櫓の下の道を歩いて、商工会館の前から火の見櫓を逆方向から見る。櫓のプロポーションはなかなか好い。櫓の僅かなカーブも好い。屋根と見張り台の大きさのバランスも好い。櫓のブレースは一般的な交叉ブレースではなく、逆V形だ。これはこれですっきりしていて悪くない。
見張り台を見上げる
反りの付いた8角錘の急勾配屋根、半鐘が撤去されないでまだあるのは嬉しい。やはり半鐘があるのと無いのとでは見た目の印象が全く違う。見張り台の手すりは縦しげのシンプルなデザイン。まあ、スピーカーの設置は仕方ない。
踊り場のところのV形ブレースには水平部材を取り付けて手すりにしている。消火ホース掛けと外に飛び出している踊り場は後付けだろう。
脚部のプレートに「竹貫消防」という文字をパンチングしてある。
なかなか離れがたく・・・、最後に撮ったカット。
■ 2日の未明に出発して遠路はるばる福島県までやって来た。訪ねることにしていた神社については所在地を事前に調べて、カーナビにセットできるようにしておいたが、火の見櫓に関しては道路またぎ3基を除き全く調べてこなかった。
既に走行距離は400kmを超えていたが、我がヤグラセンサーの感度は良好だった(いや、案外鈍くなっていて、見逃したものもあったかもしれない)。県道14号(御斎所街道)を道路またぎ櫓目指して移動していて、この火の見櫓と出合った。
927 福島県石川郡石川町谷沢の火の見櫓 4脚88型 撮影日171102
櫓の全形が整っていて美しい。右隣の建物の正面シャッターに「中谷分団第3部屯所」と記してあった。この辺りでも屯所と呼ぶことが分かった。
柱頂部で梁を井桁に組んで屋根を載せている。軒先に桁の先端を当てて支えているが、長年これでもっているのだから強度的には問題無い、ということだろう。
屋根頂部の避雷針には蔓状植物のような飾りが絡みついている。
外付け梯子から簡易な踊り場に入り込むようにしてあるが、そこの開口の上部にも飾りを付けてある。この位置の飾りを見た記憶がない、初めてかもしれない。
脚部、前後はトラス状の脚にしてあるが、両側は柱材と横架材に材を添えて補強してあるだけ。なぜ?
926 福島県石川郡石川町双里の火の見櫓 4脚884(面取り)型 撮影日171102
■ 石川町下泉の石都々古和気神社から古殿町へ向かって県道14号を移動中に出合った火の見櫓。形が整っていて背が高い。
屋根の飾りの蕨手、見張り台の手すりの飾り、その形は長野で目にするものと特に違いはない。残念ながら半鐘はすでになく、替わりにサイレンが設置されている。
見張り台の下に寄贈者を記した銘板が設置してある。
石川郡石川町下泉の石都々古和気(いわつつこわけ)神社
鳥居と長い石段を望遠する。神社は後方の山頂に鎮座。
今出川の対岸にある御仮屋の狛犬 小林和平と大竹俊吉の合作 1939年(昭和14年)建立
オーソドックスな蹲踞の形
石段から鳥居を見返る 参道の両脇に一対の狛犬
■ 信州高遠藩を脱藩、遠く福島に移り住んだ石工・小松利平(1804~1888)。石彫りの技術は小松寅吉(1844~1915)、更に小林和平(1881~1966)へと継承されていった。石都々古和気神社の狛犬は小林和平1930年(昭和5年)の作品。この一対の狛犬では吽像に注目。
小林和平は長男、次男を生後まもなく亡くし、その後生まれた長女も亡くす。この狛犬は長女を亡くしたわずか3年後に彫られたという。このことを念頭にこの吽像を見ると、親子のにこやかな表情が心に沁みる。叶わなかった親子の暮しをこの狛犬で表現しているかのようだ。
子獅子の上、母獅子の胸にはいくつもの突起がある。この乳首は子獅子が飢えないようにという、利平の我が子への愛情の表現。
石段の設えに石の文化を感じる。
石段を何段も何段も登ってようやく拝殿に着いた。
拝殿
拝殿の後方、本殿の右横に立つ石の五重塔も小林和平の作品(1938年、昭和13年)
塔の頂部の龍 今にも動き出しそう。
■ 白河市東下野出島坂口の鹿島神社の狛犬も川田神社の狛犬と同じ石工・小松寅吉が59歳、まさに円熟期の作品。とても硬い石を彫ったとは思えない、精緻で流麗な姿・形だ。これは傑作! 寅吉は頑固者であり、技術研鑽に励んだそうだが、確かにこの狛犬を見ると凄い技術の持ち主だったということが分かる。
吽像をこの方向から見ると「飛翔狛犬」の意味がよく分かる。
■ 一昨日(11月2日)の午前3時に出発。途中休憩しながら高速道路(*1)を走り、最初の目的地、福島県西白河郡中島村川原田の川原田天満宮(川田神社)に午前8時半過ぎに到着。走行距離395.6km。
信州高遠藩出身の石工・小松利平(1804~1888)の弟子で後に利平の養子となった小松寅吉(1844~1915)の作品、その姿から飛翔狛犬と呼ばれる。蹲踞した旧来の狛犬からは想像もつかないほど独創的なデザイン。
*1 長野道→上信越道→関越道→北関東道→東北自動車道→あぶくま高原道路
■ 一昨日と昨日(11月2、3日)の2日間で福島県の古殿町、茨城県筑西市、栃木県栃木市にある道路またぎ櫓を見てきた。また福島県の南部・白河地方の神社を巡り、各神社の狛犬も見てきた。
その概要は以下の通り
2日(木)
①川田神社(西白河郡中島村川原田)
②鹿島神社(白河市東下野出島坂口)
③石都々古和気神社(石川郡石川町下泉)
④道路またぎ櫓(石川郡古殿町竹貫)
⑤古殿八幡神社(石川郡古殿町松川作根)
⑥鮫川村八幡神社(東白川郡鮫川村赤坂中野)
⑦八槻都都古別神社(東白川郡棚倉町八槻)
⑧鐘鋳神社(東白川郡棚倉町一色)
3日(金)
⑨茨城県筑西市丙の道路またぎ櫓
⑩栃木県栃木市藤岡町藤岡の道路またぎ櫓
以上予定していた火の見櫓と神社の狛犬に加え、途中で会った火の見櫓と狛犬も見てきた。
次稿から時系列に沿って掲載する。
走行距離:911.6km