こういうタイトルの唄をCDに収録するため、先週末に『ガヤ』で参加。
40・50歳はまだ若い、60・70歳は花盛り・・・・みたいな、
年寄りが幾つになっても元気で生きて行こう!っていう、
年寄りには馴染みの薄い8ビートのロックンロール。
そんな歌を唄う歳になってきたなぁ・・・って思う、今日この頃です。
今、僕は61歳。
実はこの先2年間が、僕にとって一つのハードルなのです。
というのも、僕の父親は63歳3か月で他界している。
61歳の時はまだピンピンしていて、『ゴルフを楽しむんだ!』と言って
ゴルフ会員権を購入して月に数回、ゴルフに出かけていた。
親父が62歳のある夏の日、突然左腕が動かないと言って暫く家で休んでいた。
それでも、何かおかしいので病院へ行ったら、最初の診断が『脳梗塞』。
それで暫く入院していたのだが、嘔吐したりでおかしいと思い、
友人の伝手を頼って、慶応病院で診て貰った。
すると今度は北里病院へ転院させられ、そこで初めて『大腸癌』だと判った。
その時はすでに末期で、余命半年・・・と医師に宣告された。
若いころからスポーツマンで、『病気』なんて本当に縁のない親父だった。
親父は宣告通り、翌年の2月にこの世を去った。
その時僕は、親父とじっくり話す機会が無いままだったなぁ…
そう思ったのでした。
長男の兄貴は、結婚する前に親父とじっくり話をしたそうだ。
三男の弟は嫁さんの御両親を面倒みるので、親父と同じ境遇になるため、
親父が弟に心構えみたいな話をしたと聞く。
兄弟で一人だけ、次男坊の僕は親父とじっくり話をしたことがなかった。
まぁ、仕方がない。
兄貴は商船大学を出て、海運会社に就職。
弟は化学系の大学を出て研究所で勤務。
僕はと言うと、高専卒業後は就職もせず、舞台関係の仕事をやっていて殆ど家に居ない。
その仕事もプツンと辞めてしまい、その後は叔父の珈琲輸入問屋の跡継ぎとして
修行していたけれど、やっぱり商売は向いていないと思い込んで飛び出した。
その後は自動車整備士、自動車の解体業など職を転々として不安定な生活をしていた。
そんな僕を親父はどう思っていたのだろう…?
誰にも話したことは無いけれど、その当時僕は、親父に心配をかけたままいるのが嫌で、
親父が亡くなる数年前から、仕事から帰ると電気工学の本を引っ張り出して、
こっそり夜中に勉強をやっていた。
いつかは親が行かせてくれた学校で学んだ、電気設計の仕事をしようと・・・・
親父の余命が半年と聞いて、その気持ちが固まって電気関係の仕事へ転職した。
その間に親父が亡くなった。
その1ヶ月後に、1部上場の会社に居た先輩と出会い、丁度人手不足だったので
その会社の外注業者として仕事をするようになった。
そこで部長に気に入られて、運よく2年後に、正社員として引き抜かれ入社、定年まで勤めた。
親父にその姿を見せられなかったという、悔いは今でもありますね。
そんな経験があるから、僕は親父が亡くなった63歳まで病気をしないで生きることが目標。
数年前から、この先の自分の人生なんてイメージしていない。
まずは今日を一生懸命生きること、明日があるなんて考えは少ないですね。
だから、定年後は自分のやりたい事をやりたいって・・・・
仕事は、自分の時間が無くなるようなら辞める。
旅行も、元気で体が動くうちに行きたかった所へ行きたい。
僕はいつまで生きられるか解らないから、僕がこの世から
居なくなった後の事は考えてあるって…
この間、家族と出かけた際に、車の中でその話を家族に話をした。
そんな事を考え、子供に話をする歳になってしまいました。
今年の劇団公演のテーマは『今を生きる』だった。
台本を手にした時から、何か僕の今と重なる部分があった気がします。
今を大事に出来ない人に楽しい未来はやって来ない。
そのためにも『今が最高!』って人生を送らないといけないなって思います。
7月くらいに出来上がるCDが楽しみです。