朝日新聞の『声』欄にあった、21歳の大学生の投稿を見て思う事。
東京の都立高校の約6割で、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、
見分けるために「地毛証明書」なるものを提出させているそうだ。
『学校側が間違って指導しないため』に作られたという。
生徒の見た目で学校の評判が落ちるのが困る…と言うのがその理由だそうだ。
僕が10代の頃、まだ茶髪なんていうものは流行って居なくて、
髪の毛にパーマをかけるのが、いわゆる『不良』の間で流行った。
パーマヘアに銀縁の細い眼鏡を少し斜めにしたものもアイテムだった。
暴走族にそういう連中が多かったのも事実。
その後、髪の毛を脱色して『茶髪』にすると非行の始まり…なんてことも言われた。
僕は高校生の時にパーマをかけた。
理由は髪の毛がぺったりとしていて、いつも前髪が顔にかかっているのを見たお袋に
『鬱陶しい』と言われ、近所の床屋に行って、その事を相談したら、
パーマで髪の毛をふんわりさせる事を進められ、お袋からやって来いと言われたから。
その当時はパーマをかけると『停学』なんて学校から言われたが、
僕はなぜいけないのか理由が解らないので、
『天然パーマの人はどうするんだ?どうやって見分けるんだ?』
と、教務主事に質問したら、学校は返答に困り、それ以降五月蠅く言わなくなった。
この投稿にも、似たような話で『黒く染めた場合は?』と疑問を投げかけている。
この青年の言っていることはごもっとも。
僕の場合、ただ単に
『自分のやっていることの何がいけないのか?』という疑問からだったのだが、
この青年の主張にあるとおり、万人の髪の毛が黒いとは限らないし、
髪の毛の色や見た目で、評判を気にする学校の対応が、
45年も前の母校の対応と全く違う所にも、違和感を感じた。
今や髪の毛を染めていない若者の方が少ないし、パーマなんて当たり前。
それくらい世の中の若者はお洒落になっているし、
自分の個性を髪型に出したりするのは、普通の事なのにね。
今の子は本当に格好いいし、お洒落だなって思う。
僕は娘があまりに髪型を気にしないので、二人とも僕の信頼する
美容室へ連れて行って、パーマとカラーリングを施してもらった。
その後、カラーリングに関しては『プリンみたいになる』と言って
止めたけれど、パーマに関しては続けている。
学校教育現場の人間に『個性ってなんですか?』って訊いてみたいですね。
『ゆとり教育』や『個性重視』なんて、数年前まで言っていたのに、
いまは『脱ゆとり』、『脱個性』の方向に進んでいるのだろうか?
これには現政権の戦前回帰の悪しき思惑が絡んでいるように感じる。
安倍政権、このまま任せていて大丈夫なのかな?
この青年の主張を見て、そんな事を感じたのでした。
ただね、生徒やその親があまりにも学校の言いなり…
と言う方がもっと気になる事かもしれません。