毎年、この日が来ると思う事。
終戦記念日と言う呼び名が、どうもしっくりと来ない。
そもそも『記念』と言う言葉に違和感があるからだ。
『記念』を辞書で調べてみると
①あとの思い出として残しておくこと。また、その物。
②過去の出来事への思いを新たにし、何かをすること。
とある。
確かに、意味としては間違っていない。
英語で記念日は『memorial day』『anniversary』とあるが、
どちらかと言うと『追悼』の意味がある『memorial』を使うのではないだろうか?
例えば自分の親が亡くなった日を『記念日』と言うだろうか?
親の残した思い出のある品物を『記念品』と呼ぶだろうか?
日本では前者は『命日』、後者は『遺品』『形見』と呼ぶ。
だから僕の感覚では、数十万人もの人が亡くなった第2次大戦終戦の日は
『戦没者慰霊の日』『戦没者追悼の日』であって記念日ではない。
今日はNHKスペシャル『戦慄の記録・インパール』を視ている。
この作戦を立案し、強行した上層部の無責任な言動に憤りを感じる。
上層部は作戦で何人、命を落とそうが作戦が成功すればそれで良く、
実際に戦地で戦った兵隊の事なんかは頭になかった。
戦後に語った、元司令官たちの言葉には責任逃れの言葉が溢れていた。
こんな人間が率いる組織に居て、命を失った多くの兵士が気の毒になる。
その一人である牟田口司令官は、作戦中止後に帰国して戦後を生きた。
司令官、下士官の戦死者は少ないのが軍隊なのでしょう。
食糧や武器弾薬を補給できない山岳地帯でなぜ、この無謀な作戦が強行されたのか?
作戦は無理だと報告すれば、左遷される。
検証によれば、日本軍の巨大な官僚機構としての体質が浮上してくる。
僕は親から『戦争なんて、単なる人殺し』と言う言葉を聞いた。
『人殺し』とは、敵を殺す事だけじゃない。
心無い、メンツだけで軍隊を率いてきた上層部によって、
多くの兵隊が『殺された』のだと、親父が話していた。
今の政治家に戦争体験者は居ない。
そんな人たちが、日本をどういう方向へ持って行くのか?
そういう事も凄く心配になりますね。
この番組の最後に、生き残った96歳の元兵士の言葉。
『この上層部の事を知ってしまった事の方が辛い』
と言って涙を流しておられた。
戦後73年、忘れたくても記憶から拭い去れない出来事だったのでしょう。
僕はそれを見て、何とも言えない重い物がずしりと来て、
言葉にならない悲しい気持ちになった。
この番組とは別に『NHK戦争証言アーカイブス』でも視られます。
※再放送必見
2017年8月26日(土)午前0時50分~2時03分(25日深夜)