大船渡へ出向いた、もう一つの理由が復興支援住宅の一つ『川原アパート』で、
世話人をしている平山さんという女性に会う事でした。
アパートにある集会所にお年寄りなどの、溜まり場を作っている。
毎日、お年寄りたちが何となく集まっては、おしゃべりして時間を過ごす。
来ない人がいると『死んでる』と思われるそうだ(笑)
今年で6年目になる大船渡を中心といて11月に開催される『The North Journey』で、
お年寄りたちに元気を出してほしいと思って、発案した『谷中プロジェクト』。
その時にお年寄りや子供に声をかけて集めて貰うパートナー的な存在として
その『The North Journey』主宰者の鈴木氏
から平山さんを紹介され、連絡先の電話番号とメールアドレスを教えられたのでした。
しかし僕自身、この方とは面識がない。年齢も判らない。
こういう場合、いきなり電話するのは何だか躊躇する。
ましてや、メールなんて迷惑メールと思われる可能性が高い。
それで、まずは自筆の手紙で挨拶状を送ることにした。
自筆の手紙なんて久しぶり。
しかも字が汚いから嫌なんだけれど、ワープロの文字じゃぁ、
気持ちが伝わらないから、下手くそな字でも手書きは欠かせない。
その手紙が先方に着くや、電話がかかって来た。
その時は仕事中で出られなかったので、僕から折り返し電話を入れた。
『こんな綺麗な字の手紙を貰ったのは初めてで、惚れちゃいそうです』
なんて、言われて照れちゃったけれど、これで掴みはOK!
電話の後に、今度はメールが来た。
それで、今回の東北行脚で会う約束が出来た。
2日目に港のお祭りへ誘われて一緒に行き、
3日目は大船渡市地域おこし協力隊で働く、元後輩を紹介して貰ったり…
そんな中、港祭り向かう車の中で、被災箇所を見ながら色々な話を聞かせてもらった。
震災で失った家や土地の事。
『家なんて100年も住めば新築したりで、ずっと住み続けるのはごくわずか。』という。
ましてやこの100年の間に、大船渡は3回もの津波に襲われている。
そう考えると、30年に一回新築するようなもの・・・・
この言葉を聞いて、決して本心じゃないけれど、そう考える事で
自分たちの気持ちを整理するしかないのだなぁ・・・・って。
翌日は元後輩に会うために、彼がやっている畑へ出かけた。
平山さんはここへ行くのは久しぶりで、あまり気乗りしない様子。
また話を聞くと、この畑の一角で旦那さんが亡くなったのだと言う。
元々、クリーニング店を営んでいらしたご夫妻。
津波ですべてを失い、食べて行くために市の農作業を手伝っていたらしい。
ところが、生まれてから人に使われたことが無い旦那様。
震災のショックに、仕事のストレスが溜まり、精神的に追い込まれていたらしい。
そんな折、農作業をするビニールハウスの中で熱中症になったらしく
倒れているのに気が付いたら、もう既に息を引き取っていたらしい。
旦那様が亡くなった場所に行くのが、辛かったのですね。
僕が行くのを止めようかと言ったら『避けてたら前に進めないね』と言って
意を決して、僕を畑の近くまで案内してくれた。
この二つの話を聞いて、東北人の芯の強さを見せられた気がした。
大船渡。
色々な意味でだんだん身近になってきました。
来月、再び行く予定です。