今日は仕事をひとつ片づけるため事務所に出かけた。
そろそろ仕事も無くなって、いよいよ引退の時の気がするけれど、
僕の代わりに電気回路などの修理をやりながら、たまにクライアントから来る、
技術的な対応ができるやる人が現れないと、この5年間でやっと築いてきた、
クライアントとの信頼関係が崩れてしまいそうで、なかなか悩ましい。
僕は『お小遣い稼ぎ出来るだけ幸せ』と考えて、続けているのですけれどね。
仕事を片付けて、帰宅する途中に自宅へ郵便物を取りに立ち寄った。
自宅に来ていたのは、共済の継続手続きの連絡。
来年1月に65歳になると同時に『年齢脱退』と称して、退会になり、
代わってシニア共済という共済への移行手続きの案内。
僕は定年退職する前から役職定年、雇用延長といった、年齢が一つの区切りになり、
本人の意思とは関係ない処で、その人の生き方を決めらてしまうのだとずっと思ってきた。
定年退職後に世話になった会社の会長から
『君の定年(仕事の辞め時)は私が決める』と言われて反発して、
『決めるのは私。最終的に来なければそれで終わり』と言って、自分の意志で決めると宣言してきた。
欧米と違って、日本には定年という制度がある。
これは年齢を理由に差別している制度だと思って居た。
まぁ、そのお陰で退職金なるものがあるのだから、どちらでもいいのですけれどね。
ところが退職と同時に、組合で継続してきた共済制度は上部団体のユニオンが扱うようになり、
組合で積み立ててきた個人年金について解らないことがあって、組合に電話しても、
『ユニオンの扱いなので・・・・』と、解らない、お答えできないの一点張り。
まぁ、組合は社員が対象なので僕らは部外者なんでしょうから仕方が無い。
それで今度は65歳を機に『年齢脱退』という、何だか心無いネーミングの書類が届いた。
別にシニア共済へ移行すれば、問題ないのは解っているのだけれど、こういった書類が届くと
『日本と言う国は年齢と共に社会から少しずつ排除されるんだ・・・・』
と感じざるを得ない。
そう感じるのは僕だけなのでしょうか?
65歳は社会から排除される年齢なのでしょうかねぇ?・・・・
一生懸命働いて、他人様に迷惑をかけないように歳を重ねてきたつもりだけれど、
ちょっと空しくなってしまいますね。
そろそろ仕事も無くなって、いよいよ引退の時の気がするけれど、
僕の代わりに電気回路などの修理をやりながら、たまにクライアントから来る、
技術的な対応ができるやる人が現れないと、この5年間でやっと築いてきた、
クライアントとの信頼関係が崩れてしまいそうで、なかなか悩ましい。
僕は『お小遣い稼ぎ出来るだけ幸せ』と考えて、続けているのですけれどね。
仕事を片付けて、帰宅する途中に自宅へ郵便物を取りに立ち寄った。
自宅に来ていたのは、共済の継続手続きの連絡。
来年1月に65歳になると同時に『年齢脱退』と称して、退会になり、
代わってシニア共済という共済への移行手続きの案内。
僕は定年退職する前から役職定年、雇用延長といった、年齢が一つの区切りになり、
本人の意思とは関係ない処で、その人の生き方を決めらてしまうのだとずっと思ってきた。
定年退職後に世話になった会社の会長から
『君の定年(仕事の辞め時)は私が決める』と言われて反発して、
『決めるのは私。最終的に来なければそれで終わり』と言って、自分の意志で決めると宣言してきた。
欧米と違って、日本には定年という制度がある。
これは年齢を理由に差別している制度だと思って居た。
まぁ、そのお陰で退職金なるものがあるのだから、どちらでもいいのですけれどね。
ところが退職と同時に、組合で継続してきた共済制度は上部団体のユニオンが扱うようになり、
組合で積み立ててきた個人年金について解らないことがあって、組合に電話しても、
『ユニオンの扱いなので・・・・』と、解らない、お答えできないの一点張り。
まぁ、組合は社員が対象なので僕らは部外者なんでしょうから仕方が無い。
それで今度は65歳を機に『年齢脱退』という、何だか心無いネーミングの書類が届いた。
別にシニア共済へ移行すれば、問題ないのは解っているのだけれど、こういった書類が届くと
『日本と言う国は年齢と共に社会から少しずつ排除されるんだ・・・・』
と感じざるを得ない。
そう感じるのは僕だけなのでしょうか?
65歳は社会から排除される年齢なのでしょうかねぇ?・・・・
一生懸命働いて、他人様に迷惑をかけないように歳を重ねてきたつもりだけれど、
ちょっと空しくなってしまいますね。