フィンランドは首都ヘルシンキは賑やかな街ですが、地方は湖水が点在する淋しい風景でした。
そんな写真をインターンットからお借りしました。
中国人は信義に篤いと言います。一旦親密になると生涯その関係を信じて良いのです。絶対に裏切らないのです。一生安心して付き合えます。
私にはそんな中国人の友人が2人いました。
一人は北京鋼鉄学院の周栄章教授で、もう一人は瀋陽にある東北工学院の金応培教授です。
しかしこの2人は紛れもない立派な共産党員でした。しかし個人的な付き合いの中では共産党員らしさが微塵も無いのです。
中国人は権力者には従いますが、心の中では個人的な信義を一番大切にしている民族なのです。
そんな周栄章さんとの付き合いの中で、楽しかったこと、感銘を受けたことをもう少し書いて置きたいと思います
(1)周栄章さんに連れて行ってもらった北海公園~仿膳飯荘
あれは確か、1980年のある秋の夜でした。下の写真の北海公園の石の回廊を、夜風に吹かれながら、周さんと2人だけで歩いていました。その先にある仿膳飯荘で北京鋼鉄学院の学長が私の歓迎会をしてくれるというのです。
(上の写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-57.htm )当時あった「茅台酒(マオタイシュ)」の乾杯の応酬で、私もいささか酔いました。
学長さんたちに感謝の言葉を述べました。すると学長は中国への旅の感想を聞きます。私はつぎのような話をしました。
中国は良い国です。しかし共産主義は独裁政治を生むので好きではありません。しかし中国が欧米の植民地にならないためには共産主義を選ぶ他は無かったと思います。中国が欧米列強の植民地にならなくて本当に良かったです。私も嬉しいのです。このような内容のことを、一気にしゃべりました。英語で喋りました。
これを聞いて学長さんは深くうなずいて、「あなたは中国について何を喋っても良いです。自由にこの国を楽しんで下さい」と言ったのです。この一言で私は途端に楽しくなったのです。中国の全てが楽しくなったのです。
下に仿膳飯荘の写真を示します。出された料理は女性権力者の西大后の好きそうな小さく綺麗に盛り付けた、いわゆる宮廷料理でした。しかし私の味の趣味は西大后様とは随分と違うようでした。のちに行った家内はその精妙さに惑わされたのか、美味しい!と感激していました。
・上と下の写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm(2)北京の食文化
北京の人々はどのような料理が大好きなのでしょう。答えは北京鴨です。周さんは北京鴨の有名店でなく裏町の小さな北京鴨店へ何度も連れて行ってくれました。
あまり冷えていない五星ビールを注文し、前菜でビールを飲んでいるとやがて下のように見事に焼きあがった鴨が出てきます。
(下の北京ダックの写真の出典:http://imagenavi.jp/search/#!/ )
うす暗い北京鴨の店でいろいろな話をしました。自分で皮を切り取って、白い餅に乗せ、ネギと味噌を塗って、餅でくるりと巻いて食べるのです。皮を全て食べ終わると料理人が出て来て、皮の無い鴨を下げます。調理場で肉を取って、2種類くらいの料理に仕上げて、又持ってきます。それを食べ終わる頃に鴨の骨でダシを取ったスープが出て来ます。これで終わりです。
(3)周栄章さんから教わった周恩来の魅力と人間的偉さ
裏町の北京鴨の店で周さんは、文化大革命で農村へ下放され、毎日、毎日、豚の餌やりと豚小屋の掃除にあけくれたそうです。1976年の秋に、毛沢東が死に、四人組が逮捕されて、やっと自由の身になったそうです。
そして周恩来を絶賛するのです。中国人が一番好きな人は周恩来ですと断言します。何度も断言します。毛沢東の発動した文化大革命で内戦状態になった中国で人民は塗炭の苦しみの底にあったのです。それを少しでも救おうとしたのが周恩来首相だったのです。当然、毛沢東は周恩来を亡き者にしようとします。
周恩来がチベット視察から帰るとき乗った旅客機を、毛沢東が空軍に命じて撃ち落とそうとしたのです。その命令に従って空軍のジェット戦闘機が2機、飛び立ったのです。周恩来の乗った旅客機を挟むように両側に並んだ戦闘機は発砲しません。翼を上下に揺らして歓迎しています。コックピットを覗き込むと、操縦士が周恩来へ敬礼をしていたそうです。
後で毛沢東へは霧で視界が悪く、周恩来機が発見出来なかったと報告したそうです。
1976年の2月に周恩来が病死し、4月の清明節のとき天安門広場で群衆が追悼の大集会をしました。それを毛沢東は軍隊をつかって解散させたのです。兵隊も周恩来が好きだったので群衆へ同情、手荒なことをしなかったそうです。
周栄章さんの話は何時までも尽きませんでした。
その周さんは私を自宅によんでくれて、その後で、いろいろな観光地へ招待してくれました。
北京原人の周口店、明の13陵、頤和園、天壇、大鐘の寺、長城、承徳、そして西安の秦の始皇帝の墓、兵馬俑、などなどです。
その後、私も周さんを日本へ招待し、いろいろな所へ案内しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)