年老いて懐かしく想うのは遥かなる我が故郷、仙台の風景です。
今日は私が通った学校や仙台の風景をご紹介したいと思います。
私は昭和11年に仙台で生まれ、昭和35年に仙台を出るまで24年間住んでいました。
18年程前に中学校の同期会があった秋に訪れてから行っていません。
写真にしたがってご説明いたします。

1番目の写真は昭和17年から23年まで通っていた向山小学校です。戦争中は向山国民学校という看板が石の門柱にかけてありました。
昭和20年の7月10日の夜にB29が百機来襲し、仙台の街が一面火の海になりました。

2番目の写真は私が卒業した東北大学の金属工学科の昔の建物です。現在は青葉山のキャンパスに引っ越して使っていませんが、赤レンガの建物が77年前と同じように残っていました。

3番目の写真は青葉城の石垣です。城の建物はすべて戊辰戦争のおりに焼かれてしまいこの石垣だけが残ったのです。

4番目の写真は城跡にある伊達政宗の騎馬像です。

5番目の写真は城跡から見下ろした現在の中心街の風景です。昭和20年の大空襲で一面の焼け野原になった町がこのような風景になったのです。

6番目の写真は広瀬川の評定河原橋付近から見た風景です。写真の左の小高い山に伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿があります。
それで評定河原橋を渡った地域を「霊屋(おたまや)下」とい地名になっています。
この霊屋下には友人達が幾人か住んでいたのでしょっちゅう遊びに行った場所でした。

7番目の写真は伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿のある経京ヶ峰の広瀬川に面した断崖の風景です。この写真の右手に家内が若い時に少しの間住んでいた公務員住宅があります。父親が東北大学で働いていたので仙台に少しの間住んでいました。
以上が私の故郷の仙台の思い出の風景でした。
皆様の故郷はどこでしょうか?遠方にある故郷は懐かしいものですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
懐かしい写真ありがとうございました。