冬は海鼠の美味しい季節。子供の頃から好きで「こいつ 酒飲みになるぞ」と言われていた。予想どうり酒飲みになり度が過ぎて禁酒の身になっても海鼠は好きだ。歯がダメになってきたがまだ食べられる。食べられなくなったらおしまいだ。
日本人とナマコのなじみは深く、江戸時代には天下の三珍の一つとして越前の雲丹(うに)、長崎の唐墨(からすみ)とともに三河の海鼠腸(このわた:ナマコの腸の塩辛)が挙げられている。
その名前の由来については諸説あるようだが、有力なものとしては古くは「海鼠」と書いて「コ」と呼んだが、後にミミズ形の動物一般を広く「コ」と呼ぶようになったので、混同を避けるため、家の中で飼うものを「カイコ(飼い子、蚕)」、生で食べるものを「ナマコ(海鼠)」のように区別して呼ぶようになったとする説がある。ナマコ料理の海鼠子(このこ:生殖巣の素干し)、煎海鼠(いりこ:ナマコの煮干し)もこれに由来するようだ。
ナマコにはこの他に奇妙な習性があり、外敵に襲われるなどの強いショックを受けると、肛門から内臓を吐出して敵の攻撃をかわす「内臓吐出」と呼ばれる行動をとることが知られている。失われた内臓は約1ヶ月ほどで再生するようだが、そのメカニズムに関してはまだよく分かっていない。
ナマコは捨てる部分のない生き物で、その加工方法も様々。先に挙げた「内臓吐出」の習性を利用して取り出した腸を塩漬けにした「海鼠腸(このわた)」や、生殖巣を素干しにしたもので高価(朝鮮人参並み)な「海鼠子(このこ)」、内臓を抜いたナマコを煮て干した「煎海鼠(いりこ)」など、主に珍味とされるものが多い。
俳人には海鼠を愛でる人が多く俳句も多い。
このわたに唯ながかりし父の酒 松本たかし
生きながらひとつに凍る海鼠かな 松尾芭蕉
尾頭の心もとなき海鼠かな 向井去来
心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな 石田波郷
思ふこと云ぬさまなるなまこ哉 与謝蕪村
日本人とナマコのなじみは深く、江戸時代には天下の三珍の一つとして越前の雲丹(うに)、長崎の唐墨(からすみ)とともに三河の海鼠腸(このわた:ナマコの腸の塩辛)が挙げられている。
その名前の由来については諸説あるようだが、有力なものとしては古くは「海鼠」と書いて「コ」と呼んだが、後にミミズ形の動物一般を広く「コ」と呼ぶようになったので、混同を避けるため、家の中で飼うものを「カイコ(飼い子、蚕)」、生で食べるものを「ナマコ(海鼠)」のように区別して呼ぶようになったとする説がある。ナマコ料理の海鼠子(このこ:生殖巣の素干し)、煎海鼠(いりこ:ナマコの煮干し)もこれに由来するようだ。
ナマコにはこの他に奇妙な習性があり、外敵に襲われるなどの強いショックを受けると、肛門から内臓を吐出して敵の攻撃をかわす「内臓吐出」と呼ばれる行動をとることが知られている。失われた内臓は約1ヶ月ほどで再生するようだが、そのメカニズムに関してはまだよく分かっていない。
ナマコは捨てる部分のない生き物で、その加工方法も様々。先に挙げた「内臓吐出」の習性を利用して取り出した腸を塩漬けにした「海鼠腸(このわた)」や、生殖巣を素干しにしたもので高価(朝鮮人参並み)な「海鼠子(このこ)」、内臓を抜いたナマコを煮て干した「煎海鼠(いりこ)」など、主に珍味とされるものが多い。
俳人には海鼠を愛でる人が多く俳句も多い。
このわたに唯ながかりし父の酒 松本たかし
生きながらひとつに凍る海鼠かな 松尾芭蕉
尾頭の心もとなき海鼠かな 向井去来
心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな 石田波郷
思ふこと云ぬさまなるなまこ哉 与謝蕪村