575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

思ひ羽根              草女

2008年02月01日 | Weblog
 オシドリの山吹色の銀杏に似た似た羽根を何故「思ひ羽」というの?と聞かれた事がある。大和言葉のようなその文学的な羽根の表現と、鳥類学者が名づけた名称では天と地ほどの隔たりがある。鳥類図鑑のどれを調べても第三列風切りの一部が変化した銀杏形の羽根(銀杏羽根)と記されている。
 想像するにオシドリの雄の美しい冬羽根が恋の季節限定で雌へのアピール羽だからそう表現されたという事だろう。
 この美しい雄の羽根も繁殖期が終わると、雌に似た目立たない色合いの夏羽根に変わる。バードウオッチング仲間ではこれをエクリプスと呼んでいる。そして秋が深まると再び鮮やかな冬羽根に変わる。
 鳥たちはオシドリのように冬羽根から夏羽根へと鮮やかに羽根が抜け変わらなくても、一年に一度以上羽根は抜け変わるのである。
 鳥たちは、毎日水浴びをしたり羽繕いをしたりして羽の手入れを怠らない。羽根は鳥の鳥たる所以であり命である。
 その羽根にも使用に耐えうる期限があるのだろう。だから年に一度は換羽する。命がかかっている。
 さてオシドリであるが、「鴛鴦夫婦」とよく言うが、本物のオシドリのカップルは一年のみである。雌雄が一緒に仲良く泳いでいるように見えるけれど、実は雄がせっかく手に入れた雌に他の雄が近かないようにいつも寄り添っているにすぎないし、産卵すれば雄は一切子育てには関わらないのである。
 ツバメは雌雄で子育てをしてどちらかが死ぬと相手方も雛も命をなくしてしまう。しかしそんなツバメでもカップルなのは一シーズンのみ。ただ鶴は一生同じカップルで終えるそうだ。
 こうした姿を見ると色々考えさせられるが、これも鳥類が置かれた環境や進化の過程の中で獲得してきたもので、我々がとやかく言う筋合いのものでは無いと思っている。
 
  雨催いよりそふ鴛鴦の深眠り        水野吐紫
  親燕出入りさかんに旅人宿         加藤耕子
  祝ぎの如夕焼けの鶴仰がるる        阿波野青畝
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする