575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

凧きのふの空のありどころ  蕪村

2008年02月03日 | Weblog
凧は中国から伝来したもの。
日本では江戸時代から一般に普及したそうです。
蕪村の句も、案外、新しいものへの興味から生まれたのかも知れません。

現在でも浜松などでは、子供の誕生を祝って、凧を揚げます。
そこには子の幸せを願う親の思いがありますが、
空につながりたいという思いは、永遠なるものにつながりたいという
気持ちがあるように感じられます。

     

「昨日の空のありどころ」という表現は、なにをあらわしているのでしょうか?

昨日はどこへ行ってしまったのか?
過ぎ去った時間、どこにあるのか、見えない。しかし確かにあった昨日。
目の前に凧を浮かべた空が無限に広がっている。
昨日という時間を含んだ空が、きっとあるはずだ。
そんな思いが「昨日の空のありどころ」という表現となったのでは。

およそ100年前に、ヨーロッパの時間観念が、日本に入ってきました。
時間は一本の直線のようなもので、振り返れば、永劫の過去。
未来も見通すことは不可能です。
この時間の捉え方で読めば、この句は永遠に去ってしまったものへの哀惜。

      

しかし、つい最近まで、日本人は、時間を円環と考え、
永遠に循環するものと考えていたそうです。
そう考えると、どうでしょうか?

昨日の空は、まためぐってくる。今の空でもあり、未来の空でもある。

はかない命の人間が揚げている凧。
「きのふの空のありどころ」という表現は、確かに永遠につながっているのだ、
という気分を、表現するためのレトリックではないでしょうか?(遅足)




コメント (1)
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