時々、朝鮮日報の記事を覗いていますが、
こんなニュースが載っていました。
ノーベル文学賞に関する話です。
2008年のノーベル文学賞にフランス人作家のル・クレジオ氏が選ばれると、
米英メディアは「意外な結果だ」と伝えた。
「米英圏で翻訳もされていないフランスの小説家がノーベル文学賞を取った」
などという具合に伝えた。
これに対し、仏メディアは40編以上あるル・クレジオの小説が
英語にほとんど翻訳されていないという事実を強調した。
(略)
英語とフランス語による静かな文学戦争は、
21世紀の文化コンテンツの中心として
文学が占める重みに改めて気づかせてくれる。
音楽や美術のように言語を超越する芸術とは異なり、
文学は言語共同体の枠組みにとどまりながらも、
映画やミュージカルなど言語を超えた二次商品に転換されやすい
ストーリーテリング産業の核心でもある。
英米文壇とフランス文壇がそれぞれの言語を母国語としない外国の作家を
新たなスターとして祭り上げるのに熱心なのは、
結局は言語のヘゲモニー(覇権)を獲得し、文化産業戦争で勝つことが目的だ。
コトバにも国籍があり、文化戦争があるんですね。
当然のことながら。
俳句などは、世界のなかで、どういう位置にあるんでしょうね?
こんなニュースが載っていました。
ノーベル文学賞に関する話です。
2008年のノーベル文学賞にフランス人作家のル・クレジオ氏が選ばれると、
米英メディアは「意外な結果だ」と伝えた。
「米英圏で翻訳もされていないフランスの小説家がノーベル文学賞を取った」
などという具合に伝えた。
これに対し、仏メディアは40編以上あるル・クレジオの小説が
英語にほとんど翻訳されていないという事実を強調した。
(略)
英語とフランス語による静かな文学戦争は、
21世紀の文化コンテンツの中心として
文学が占める重みに改めて気づかせてくれる。
音楽や美術のように言語を超越する芸術とは異なり、
文学は言語共同体の枠組みにとどまりながらも、
映画やミュージカルなど言語を超えた二次商品に転換されやすい
ストーリーテリング産業の核心でもある。
英米文壇とフランス文壇がそれぞれの言語を母国語としない外国の作家を
新たなスターとして祭り上げるのに熱心なのは、
結局は言語のヘゲモニー(覇権)を獲得し、文化産業戦争で勝つことが目的だ。
コトバにも国籍があり、文化戦争があるんですね。
当然のことながら。
俳句などは、世界のなかで、どういう位置にあるんでしょうね?