先月、東京へ行ってきました。写真は根岸の子規庵にある机です。
子規が晩年、読書をしたり原稿を書いたところ。
手前の切込みに立膝を入れていたそうです。
病に悩まされていた子規。その方が楽だったのでしょう。
目の前にあるささやかな庭が子規の全宇宙。
いくたびも雪の深さを尋ねけり
鶏頭の十四五本もありぬべし
その庭に立つと句のこころが実感できました。
子規が亡くなった夜、隣室に詰めていたのが高浜虚子。
すぐ近くに住んでいた河東碧梧桐の家に知らせに走ります。
子規逝くや十七日の月明に 虚子
子規庵のガイドさん。とても熱心な方で外でした。
わざわざ「ここがその句を詠んだところ」と教えて下さいました。
そこだけは、昔のまま少し道が曲がっていました。
子規庵の近くには、碧悟桐の他、子規の勤めていた「日本新聞」
社長の陸羯南や洋画家・浅井忠なども住んでいたそうです。
100年以上経った今、ラブ・ホテルの街に変っていました。