575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

八月や白木の箱に石ひとつ  亜子

2022年09月16日 | Weblog

選句された皆さんのコメントを紹介します

竹葉さん: 八月は戦争を考える月ですが、帰らぬ人を思う悲しみと怒りを静かに訴える珠玉の句だと思います。

結宇さん: 身に沁みます。小生の父の白木の箱が2個ありましてね。国からのは、一片の紙切れ。他方は戦友が現地から持参してくれました。中は炭化した人差し指でした。 失礼。

能登さん: 合掌あるのみ。先の愚戦の無責任参謀たちは、戦後をのうのうと生き抜いた人も多かったとか。

千香子さん: 「 八月や」 が語られるうちはまだ大丈夫という声もありますが 「 戦争が廊下の奥に立ってゐた」と渡辺白泉が詠んだのは1939年 太平洋戦争の始まる前でした。戦争の愚かさを いくら語っても語り尽くすことはないと思います 朝ドラでも沖縄の遺骨収集の場面が出てきました

 

 作者の亜子さんは八月には必ず戦争の句をつくると決めていらっしゃるそうです。この575の会にも毎年投稿されています。

 どんなに時が経とうと、語る人、語り継ぐ人がいる限りこの事実は風化しません。私も今年は「原爆忌」の句をつくりました。

 

  蝉奏づ哀しみの通奏低音  郁子

竹葉さん: 蝉のなく8月の哀しみを「通奏低音」という音楽用語を使いながら、何となくその語感から意味が分かる凄い句だと思います。

麗子さん: 「通奏低音」という専門用語を俳句に用いたところが斬新でした。日本にとって、8月は哀しみの月。この時期、蝉の鳴き声がより一層哀しみを深くし忘れることはできません。①(白木の箱)の句は戦争の記憶の具体的な俳句ですが、こちらは蝉の奏でる哀しみという抽象表現。今回はこちらをいただきました。

亜子さん:  蝉の声を「哀しみの通奏低音」と表現。その哀しみは蝉自身の命の短さか、あるいは日本の戦中、戦後の人々の哀しみか。比喩として「一つのテーマが流れている」というこの通奏低音という言葉を俳句に取り込むのは難しいが蝉の声とよく合っている。

 

 黙とうの最中いっそう響き渡る蝉の声が今も何か問いかけているように感じました。  郁子

 

コメント (1)
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