11月に入りますと、花屋さんは待ってましたとばかり、シクラメンやポインセチアの鉢を並べ始めます。
クリスマス商戦を意識した人為的なものを感じますが、彼岸花に関しては自然界のなすがまま。
気候変動でどんな異常気象であろうとも、不思議に時期をたがえず、お彼岸に合わせるように咲いてくれます。
作者は、愛知県半田市にある ごんぎつねの里で、矢勝川の堤防に広がる一面の彼岸花を見てきました。
皆さんからのコメントです。
竹葉さん: 子狐と彼岸花が幻想的な絵本の世界を想像させてくれます。
等さん:本当に子狐の瞳の中が見えたかは分かりませんが、子狐と彼岸花の取り合わせがよく合っていていると思いました。
泉さん: 新美南吉の「ごんぎつね」が浮かびました。
私もいただきました。
作者は瞳に「映る」か「揺れる」か迷ったそうです。花が揺れていたのでということでしたが、
彼岸花の群生に驚く子ぎつねの瞳と童話そのままの里山の風景に目をうるませる作者の眼が重なりました。
青森の捨て子よ見たかいわし雲 結宇
この捨て子は誰だろう、句意はどのような?という声が聞かれました。
句を選んだ佐保子さんは、読まれていた本から昭和史に残る連続射殺事件の永山則夫の凄惨な生い立ちが重なったということでしたが
作者によると 寺山修司を思ったとのことです。
既成の枠にとらわれずに詩や演劇など前衛的な活動をした寺山修司の創作の原点は、中学時代に始めた俳句だったと知りました。
戦争で父を亡くし、青森で一人置き去りにされた修司。その母との確執は生涯続き作品などにも影響を与えました。
青森の捨て子は いわし雲をどのように見たのか、作者の思いなどまた機会があれば聞いてみたいと思います。 郁子