575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

また職をさがさねばならず鳥ぐもり  安住敦

2011年12月12日 | Weblog
また失職してしまった。
渡り鳥が北へ帰るころ。空は一面の雲。
気分は、また冬へ逆戻り・・・
しかし職を、また探さねばならない。
ココロを決めて歩みだす。
同じ作者の句。

てんと虫一兵われの死なざりし

戦争に負けた日本。瓦礫の中から復興へ。
やがて高度経済成長の時代。
ほとんどの国民は「自分は中の上」と、中産階層の夢のなか。
しかし、現実は厳しく、経済の統計によれば、
格差は厳然として存在していたといいます。
その頃の句でしょうか。

今の日本は夢も破れ、むき出しの格差社会・・・

今朝のNHKのニュース。
タイの洪水で、技術を持ったタイ人の正社員が日本の工場へ。
日本の契約社員に教えていました。
その一方で、ソーシャル・ゲームの会社が急成長・・・

2人の息子がいますが、一人は失業。
また職をさがさねばならない状態です。   遅足
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米兵の聖夜泥酔我がパンパン    朱露

2011年12月11日 | Weblog
 若い方々には何の事か分からない。
 1945年8月14日無条件降伏。
 それは分かるけどパンパンが・・・
 広辞苑に出てますから見て下さい。

          



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「名作」で鍛えるトコトン考える力     遅足

2011年12月11日 | Weblog
古池や蛙飛び込む水の音   芭蕉

鑑賞する時は、頭に場面を浮かべて、
その映像がアニメや映画のように動き出すのを楽しんだらいい。
そこに読解の楽しさがある。

古池。
色を思い浮かべてみよう。青ミドロか茶色か。
江戸時代には汚染はないから透明か。
いやいやハスや水草に覆われているか。
周りに柵はあるか。芭蕉は立っているのか。通りすがりか。

蛙。どんな蛙だろうか。
一匹か。何百匹か。

飛び込む。・・・ジャンプか。縁からピョンと行くか。・・・

これは情景だ。しかし情景はそのまま意見になる。見解になる。
古い池に飛び込む。その池は日常、ということか。
池は溜まっている場。新陳代謝はあまりない。
この蛙は誰?
頑張って現状を変えようとしている人か。
疲れたか。・・・・

なんで飛び込んだのか。なぜ古池なのか、とテーマを絞り込んでも良い。
実際の場面かもしれないし、想像かもしれない。
定説にとらわれなくてもいい。君の新鮮な解釈が欲しい。

「名作」で鍛えるトコトン考える力(宮川俊彦)からの引用です。
他にこんな問題も・・・

「笠地蔵」のおじいさんは、なぜ笠をお地蔵さんに被せたのか。
おじいさんは、何に笠を被せたのか。
お地蔵さんは何を意味しているのだろうか。
また、なぜ被せたのか。

この問題、なかなか難しいですよ。     
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水仙やひそかに厳と昇給差   草間時彦

2011年12月10日 | Weblog
私の入社した時の同期は10人。
アナウンサーだった女性は途中で退社。男6人が残った。
定年まで数年、年俸交渉(と言っても実態は会社からの
言い渡しの儀式)で、先輩に当たる上司から、こう言われた。
「君はどうして同期のなかで、こんなに低いんだ」と。

水仙は大地に近く咲く。
冷たい風に耐えている。
時には、ほっとするような暖かい日もある。
そんな水仙の花に共感するものがあったのだろうか。

確かに給与の差は、厳然とあって、しかも公然の秘密。
その頃に、こう思った。
仕事は好きだけれど、会社はキライ、と。

                   遅足


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京都のお菓子      遅足

2011年12月09日 | Weblog
今回訪れたのは、本家・尾張屋の蕎麦板。

むかしより京の名物伝左がそばさては蕎麦菓子、と
いうキャッチ・フレーズ

尾張から京に移り住んで五百数十年。
蕎麦屋さんとして有名なお店。
ここの干菓子がソバ粉と小麦粉、卵、砂糖、ゴマ、塩でつくった蕎麦板。
ぱりぱりした口当たりに、ほどよい甘さ。
ついつい手が出てしまう美味しさです。

「俳味豊かな」という宣伝文句の通り、雅な味ではないのが
私にはウレシイのです。

以前に紹介した水田玉雲堂の唐板によく似たお菓子ですが、
水田玉雲堂の方が雅な味があると感じました。

菓子屋として始まり、そば処としても、
京の町衆に親しまれるようになりました、とある蕎麦。
今度は蕎麦を食べてみよう。


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冬籠り捨てる残すと本の山    大橋静荷

2011年12月09日 | Weblog
これは句集「塔」のなかの静荷さんの一句。

最近、断捨離、というコトバが流行したことがあります。
モノの過剰な生活。モノから自由になりたいという贅沢な欲求。
以前は、財産でもあった蔵書。今では、ちょっとお荷物に。

古本をブック・オフに持っていきましたが、
綺麗な本以外はゴミとして処分されるとのこと。
それでは本が可哀想・・・
古本屋さんに買ってもらいました。
意外な本が案外良い値段。全集などは二束三文。

源氏物語の読書会をずっと続けてきた静荷さん。
本の山のなかに暮らしているのでしょう。
大切な本の山ではあれど、年のことを考えると
そろそろ処分する本を決めないと・・・

かくして短い一日は暮れていきます。

             

私が、まだ学生だった頃、家にブリタニカ百科事典の
セールスマンがやってきて熱心に勧誘。
母がようやく、お断りに成功してホッとしたのも束の間。
ドーンと百科事典が送りつけられてきました。
セールスマン氏、矛先を父に変え、職場で契約成功。

この後の父母の会話は覚えていません。
この百科事典、当然、英語です。
弟が、「オレがもらう」と持っていきました。
あの百科事典、いま、どうなっているんでしょう・・・

                   遅足


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出世城   麗

2011年12月08日 | Weblog
昨日、浜松に日帰りトリップ。
家康が29歳から45歳までを過ごした浜松城は出世城と呼ばれ
歴代25代の城主の中に老中5人、大阪城代2人を出しあの天保の改革で有名な
水野忠邦もその一人だそうです。

紅葉も見納め、美術館で「徳川家康と浜松」という展覧会も見て来ました。
風の強い浜松。凧揚げで有名ですが明るい日差しに名古屋とはちょっと違う文化圏という感じでした。浜松城も太平洋戦争で焼け多くの人が亡くなったそうです。合掌。

     浜松の風強く吹く70年  麗
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12月8日は       遅足

2011年12月08日 | Weblog
あの太平洋戦争の始まった1941年12月8日からちょうど70年。
私は、まだ生まれていませんでした。
2008年に愚足さんが、このブログに掲載したものを、
もう一度、紹介したいと思います。

「記念日俳句」というHPがあります。    
365日記念日の無い日は無いのですが、その記念日に合わせたお題で
俳句の応募を募り載せています。
その中から、十二月八日の終戦記念日の句会の様子を紹介させていただきます。

   太平洋戦争開戦記念日    寒蝉選
                 Date: 2005年12月08日 (木)

【天】  
   太平洋戦争開戦記念日梵鐘の流離譚          青榧

【地】  
   文箱冠水す太平洋戦争開戦記念日           中村安伸

【人】  
   太平洋戦争開戦記念日 謝らぬ子を押し入れに    ほにゃらか

【選評】
 天の句は戦争を真正面から批判するのでなく、梵鐘たちの流離譚を
思い起こさせることによって却って反省を促す効果がある。
梵鐘や銅像は供出されて軍艦や飛行機になり、
例えば大和のように轟沈し海の藻屑となったり、
例えば長門のように武装解除された後水爆実験で沈められたり・・・。

 地の句のシュールな光景もまた先の戦争への痛烈な批判となっている。
文箱は日本の伝統的な文化を象徴すると見た。
それが冠水するとは勿論軍艦の沈没するイメージを重ねながら
アメリカ文化に染まって失われていく日本の文化の状況を言っているとも取れる。
いやそのような戦後の状況と取らなくても戦争が起こることによって
文化の被る軍部からの圧迫(例えば新興俳句の弾圧など)を
指しているのかもしれない。実に深い句だ。

 人の句は誰にも覚えのある幼い頃叱られた思い出に戦争で
負けたわが国の状態を喩えている。
押入れに押し込めようとしているのはアメリカとも取れるし
「謝らぬ子を」という表現からは中国とも。
いずれにせよ先の戦争は子供が親に反抗するような無謀なものだったとの見方。

  太平洋戦争開戦記念日草鞋のやうなステーキ食ふ  寒蝉

                          (愚足)

             

では、開戦の日を、当時の俳人はどう詠んでいたのでしょうか。

  うてとのらすみことに冬日凛々たり    臼田亜浪
  かしこみて布子の膝に涙しぬ       富安風生
  冬霧にぬかづき祈る勝たせたまへ    水原秋櫻子
  大詔や寒屋を急ぎ出づ           石田波郷

大詔は、おおみことのり、と読みます。
感情を直接には詠まない石田波郷の句のほうが、今に伝わるものが・・・

  影の濃き男や十二月八日      遅足



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縄文の月球体にして真(まこと) 郁子

2011年12月07日 | Weblog
朱露さんから、かつてお聞きしたことのある「縄文人のこころ」
と、いうフレーズが私の中に残っていて、飛び出てきました。

いろいろなしがらみや、思い込みが、
もの事や形を決めつけてしまうことがあります。
しかし、そうしたものを、かなぐり捨てて見れば、違うものが見えるかも。
それがホントの姿などと、おこがましく思ったことが、
「真(まこと)」などという蛇足を生みました。

体の奥底に眠る、縄文人の血を活性化させて、
これからもいろいろ見ていきたいと思います、と作者。

月って球体なんだ!というオドロキ。オドロキこそ俳句の原点。
既成概念で色のついた目を洗い流す薬があったら・・・
赤ちゃんの目には、どう見えているんでしょうね?
                       
                        (遅足)
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白鳥の湖    鳥野

2011年12月06日 | Weblog
長野道を豊科ICで出て、平行する幹線を北上すると、「犀川白鳥湖」の標識に出会います。
こんなところに湖が、と訝りながら案内に従って畑中を進むと、、広くはない駐車スペースが。
立派ではない観察小屋も建っています。

確かに白鳥はここに飛来するらしい。

土手に上ってみると、犀川の遊水池と思われる流れの緩やかな一画に、白鳥はいました。

時期からみて、まだ一陣か2陣か。数は少ないものの、圧倒される美しさ。

近くの田んぼでは、別の一群が、ゆっくりと餌を探していました。

灰色の羽の、やや小振りなのは幼鳥か。

孵化して3ヶ月ほどで5000キロ。健気な旅を終え、親鳥に寄り添っています。

1984年に一家5羽が飛来して以来続いているという白鳥湖。
「アルプス白鳥の会」の努力があってこそ、です。

 ・ 5千キロの憂き旅を終え白鳥は楽園のごとき犀川に浮く

                     鳥野



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八ヶ岳北横岳神秘池  能登

2011年12月05日 | Weblog
11月22日、八ヶ岳の北横岳に登って来ました。
と言っても、ラピタス蓼科ロープウェイが2240メート
ルまで何の苦もなく連れてってくれますので、後は標高に
して240メートル、距離2キロメートルほど登るだけの
楽々登山です。
頂上は快晴、気温-3度、風強く体感温度は-10度以下。
南東側には南アルプスから中央アルプスのパノラマが広が
り、北東側は真っ白な樹氷に覆われた灌木帯が続きます。
あまりの寒さに山頂には長居出来ず、近くの北横岳ヒュッ
テ(もう営業終了)のベンチで昼食休憩をとりました。
そのヒュッテから分岐路があり、七ツ池まで近いとの標識
に誘われ、樹氷の中の小道を辿ると、突然、神秘の池が出
現したのです。
樹氷の木々に囲まれ、全面結氷寸前の無人の池が、静かに
佇んでいました。誰に見せるでもなく、何を主張するでも
なく、ただ、美しく其処に在るだけでした。
静寂、清冽、不動、無私。
しばし我を忘れました。 
3.11以来、あまりにも美しい自然は、その存在そのも
のを不思議に感じてしまいます。

写真はヒュッテから2番目の比較的大きな池。名前通り七
つの池があるようですが、この季節は途中から通行禁止の
立て札があって、全部は廻れないようでした。
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待ち人は未だ来たらず神無月   狗子

2011年12月05日 | Weblog
待っているのは、一体、誰なんでしょう?
読み手に皆さんは、さまざま。

晩婚の私としては、即いただきました(笑)。
「残りものには福がある神在月」ナンテ、と値遇さん。

日本の現状を見ると、リーダーシップのある総理が待たれる。
しかし未だ・・・と晴代さん。

良縁を求めている。
しかし・・・おみくじに待ち人来たらず、と、あるその気持ち。
この麗子さんの読みが、作者の意図に一番近いそうです。
少し神様を皮肉って、と狗子さん。

題詠の神無月。
神がいなくなる、不在が、日ごろは意識することの少ない神の存在を
改めて感じさせてくれました。
日本の神様たちは、まだまだ死んでいないようです。

次回の題詠は「クリスマス」
私の子供の頃は、お父さんが盛り場で盛り上がり、
お土産にケーキを持って帰るの図でした。
その後、いろいろあって・・・
今年は「絆」の聖夜となりそうです。   遅足


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木枯の果てはありけり海の音    池西言水

2011年12月04日 | Weblog
先日、訪れた京都。
新京極をぶらぶらしていたら、誠心院というお寺が。
覘いてみると、和泉式部のお墓がありました。
立派なお墓の近くに小さな石碑を見つけました。
写真は、この石碑です。
読んでみると、江戸時代の俳人・池西言水の句。

  木枯の果てはありけり海の音

と読めました。
言水は芭蕉とも交友のあった人で、この句は評判を取って、
「木枯の言水」といわれたそうです。

  海に出て木枯し帰るところなし

山口誓子のこの有名な句。
言水の句を本歌取りにした句とされているそうです。

                 遅足

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同窓の友それぞれに神無月   郁子

2011年12月04日 | Weblog
30年ぶりに友に会った興奮からできた即興句です。
季語のもつ意味を熟考せず、お手軽に作りすぎました、と作者。
こういう句も楽しい、という声も。
(この句、同窓の友それぞれの神無月、
とすると・・・どうかな?あまり変わらないか。)

俳句には日記としての役割もあります。
575に書き残せば、その時のことが鮮やかに蘇ってきます。
私も、いくつか、そういう句があります。
  
   催花雨のはげしきなかを通夜の客

父の通夜は本降りの雨。数多くの方々が弔問に来て下さいました。
出棺の日は満開の桜・・・・

俳人の岡本眸さんが、一日一句。
日記としてのつくり方を薦めていたと思います。(遅足)



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ラーメンや異郷に冬の音すする    吉村保

2011年12月03日 | Weblog
冬の音をすする、とは・・・
視力に障害のある人たちが詠んだ俳句と短歌を集めた本。
「盲目の俳句・短歌集」(メタ・ブレーン)のなかの一句です。

これは途中で視力を失った方の歌。

  視力ありし日は遠かりき
        密やかに開きては閉ず我が舞扇  竹本登代寿

音で情景を描いた句。

  落葉降る音は落葉に重なりて   川村荷風
 
音が重なる。まるで、耳で見ているようです。

  硝子戸の裏が表を知る霙   佐々木王蔵

この方は少し見えるのでしょうか。ハッとさせられる句です。

  雪虫や午後の日差しは逃げ易し  寺井紀三夫

肌で感じた冬。雪虫のはかなさと、冬の日差しの頼りなさ。
読み進むうちに、作者たちが目の見えないことを、すっかり忘れていました。

                       遅足



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