575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

選句について      遅足

2015年03月16日 | Weblog
毎回、句会の度に選句をしています。
一体、どんな基準で選句しているのか?案外、自覚していません。
好きだから、という答えをすることも。
では、どこが好きなのか?一歩踏み込むと霧がかかってしまう。

①まず共感できるか、どうか?好きになるには共感は不可欠。
つまり、どこかで共通点が感じられること。
共感はあっても採らない句も。
なぜか?どこかで誰かが詠んでいるという常識感。
それって、知っているよ、と。

②それを越えて新しいことを教えてくれる句。
「そうか!そんなんだよ」と。

共感をベースにした発見。これが多くの人の選句のモノサシ。

この新鮮さはどこから生まれるのか?

俳句は写生。映像が浮かぶように、と。
絵に喩えると、「この色はキレイ」と感ずることがありますが、
「この言葉はキレイだ」と、新鮮に感ずるキラりと光る言葉がある。
手垢を洗いなおした言葉。そこに発見が隠れてもいる。

選句は好きなだけで良いのか?そんな声が聞こえてきそうです。
好きな句があれば反対にキライな句、あるいは苦手な句もあります。
こうした句とどうお付き合いをするのか?
難しい課題です。

              

応答の一日一句

   春塵や花粉も払ふドアの前    孝

   春塵や近くて遠き歩道橋     亜子

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開花待つ庭に背伸びの椿かな    立雄

2015年03月15日 | Weblog
句会では「背伸び」という言い方がよい、との声。

開花待つ、で一旦切れます。
庭に背伸びの椿かな、と「椿」に「かな」という切れ字。
作者の感動は背伸びをするような椿の姿に。

読みは、私は椿の開花を待っている。
庭には背伸びをするように春をまっている椿。その椿よ。
と、いう感じになるのでしょうか。
「背伸び」が椿と作者の両方にかかっているようです。
さりげない技巧が光っています。(遅足)

         

応答の一日一句

  春光や巨船と競ふポンポン船    孝

  春光や傷癒えし鳥放たれて     亜子

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ウインナーワルツに乗って椿飛ぶ  狗子

2015年03月13日 | Weblog
平和な江戸時代、日本は園芸大国に、様々な花がヨーロッパ紹介されました。
椿の美しさに魅せられたのがイエズス会のゲオルク・ヨーゼフ・カメル。
その種を入手してヨーロッパに紹介した人物です。
やがて東洋から来た美しい花として珍重されるようになります。
今の感覚で言うと、蘭の花のような扱いだった、とか。
そして小説やオペラの『椿姫』が誕生することに。

小説の舞台はパリの夜の世界。主人公は高級娼婦・マルグリット・ゴーティエ。
月の25日間は白い椿を、残り5日は赤い椿を身に付けたため『椿姫』の名が。
やがて出会った青年との悲恋の物語・・・

ウインナー・ワルツといえば、ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートの定番。
あの軽やかな音楽にのって椿が空を飛んでゆく・・・
もちろん血のような真紅の椿。たのしい一句です。(遅足)

           

応答の一日一句

  公園に紙の飛行機風光る   孝

  観覧車動き始めて風光る   亜子


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あの日から     麗

2015年03月12日 | Weblog
あの日から四年経ちました。
昨日、震災関連の番組を見て悲しみを新たにし、放射能汚染への対策などに苛立ちを感じた人も多かったはず。
でも、被災していない人にとっては次第に過去のことになってきているのも事実です。
遺族代表の宮城の菅原彩加さん(当時15歳)のお母さんとの別れのシーンを知るにつけ胸がしめつけられました。東北の多くの方がこのような辛い体験をされたのです。

福島県の元職員、伊東功さんの震災句集から

     五輪より一輪の花被災地へ

我が家の庭に雪にも負けず水仙が咲きました。季節はめぐります。
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3月句会が近づいてきました。    遅足

2015年03月11日 | Weblog
起きたら青空。でも雪が・・・。春の雪です。
紅梅の花に白い帽子。
せっかく花を開いたさくらんぼは震えています。

          

3月句会が近づいてきました。
今回の題詠は「ぶらんこ」です。
歳時記には、ふらここ、ふらんと、鞦韆、秋千(しゅうせん)半仙戯など
様々な言い方があるようです。

鞦韆という言葉は、蘇軾の七言絶句「春夜」のなかに出てきます。

 春宵一刻値千金  春宵(しゅんしょう)一刻値千金
 花有香月有陰  花に香(せいこう)有り月に陰有り
 歌管樓臺聲細細  歌管(かかん)樓臺(ろうたい 聲細細(こえさいさい)
 鞦韆院落夜沈沈  鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(よるちんちん)

 春の宵は一刻が千金に価する
 花は芳しく香り月の光がさやかだ
 歌舞管弦もいまはひっそりと静まり
 中庭ではブランコが揺れ夜が更けて行く

公園のブランコで遊ぶ子供たちの姿を見ることが少なくなりました。
少子化のせいでしょうか?
それとも室内でのゲーム遊びのほうが面白いのでしょうか?
午後の公園にブランコが風をのせて遊んでいます。




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赤べこの首   鳥野

2015年03月10日 | Weblog
郷土玩具といえば、飛騨の猿ぼぼに負けない
人気の赤べこ。べことは、牛のことです。
あるか無きかの風にも、幼な子の細い指にも、
よく首を振ってくれます。
伝承によれば、この首ふり張子が生まれたの
は、800年くらい前のことと言います。

土地の名僧が、虚空蔵菩薩を迎えるため、お
堂の建立を始めました。
そのなかに、ただ黙々と働く赤牛が一頭。厳
しい仕事がようやく終わり、堂が完成した時、
その牛は境内の一角で石になっていた、とい
います。
その忠誠に報いるために、参詣が絶えず、厄
除けのマスコットとしても、愛され親しまれ
てきました。

わが手元の赤べこは、どうしたことか、万両
箱を振分けにして、背負っています。さてご
利益の程は。

 ・ 春立ちて赤べこの首よく動く  鳥野

  
 
    
 





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椿の葉蕾を庇い打ち震え    すみ

2015年03月09日 | Weblog
いまだ春浅い時でしょうか。
蕾が打ち震えるというのは、常識的な感もありそうですが、
景色としてきれいですね、と結宇さん。

風にもまれる椿の木。葉が蕾を守っているようでした。
庇い打ち震え、という部分は、言葉が重ねられています。
しかし、どちらか一つに絞り、別の言葉を持ってきて
イメージを広げることが出来そうです。

日本の椿と言えば藪椿です。
一方、北陸から東北の日本海側には雪椿。
近江の余呉湖を横に見て越前に向かう北国街道。国境は木の芽峠。
少し近江に下がった所に椿坂という地名があり、「椿峠」というとか。
ここから南が藪椿、北が雪椿の世界でしょうか?

             

応答の一日一句

  地下街に袴が目立つ卒業期    孝

  丸刈りの卒業写真征しまま    亜子

我が家の梅もそろそろ終わりを迎えています。
今度はサクランボの花がちらほら。
よそのお宅の庭ではもう満開。
なにごとも遅い我が家です。     遅足

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参道に血の目印か椿落つ   能登

2015年03月08日 | Weblog
山の上に神社かお寺があるのでしょう。
その参道に藪椿が花を落としています。
奥の院なら参道は山道。
ほの暗き椿の道に真っ赤な花が点々と・・・

作者は、それを「血の目印」と感じました。
一体、誰の血でしょうか?
昔話なら、悪事を重ねた怪物が退治され傷を負って
山奥に帰っていった血の跡・・・とも。

心に傷を負った作者の心象風景でしょうか?

          

応答の一日一句

  路地裏に干されし布団暖かし   孝

  少女より譲られし席あたたかし  亜子

今日は朝から晴天。ベランダにお布団を干しました。

                   遅足


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玉椿大義の色に染まりしか    郁子

2015年03月07日 | Weblog
真紅でしょうか、純白でしょうか。大義とは、と鳥野さん。
「大義」が今一つつかみにくいのですが、
そんな詮索を必要なしでしょうね、と結宇さん。


時代というものを見つめる作者の目を感じます。
時代によって異なる大義。
大義は、もともとの色、本来の色を失い時代の色に。
時代は知らぬ間に人々を大義の色に染めてしまうのでは?

玉椿は椿の美称。
玉と言うと幕末維新の頃は天皇のこと。
そう思うと、この句なかなか意味が深いようです。

           

応答の一日一句

  小走りにゴミ捨てにいく余寒かな   孝

  湯冷ましで飲む粉薬余寒なお     亜子

リレンザという薬のおかげもあってか、現段階では高熱にならずに。
熱が下がっても2日間は外出しないように、とのこと。

                      遅足


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切り切って椿一輪客迎へ   結宇

2015年03月06日 | Weblog
茶室の渋めの焼き物の中に、長さを調節しつつ活け、
接待準備を整える女性がイメージされました、と智恵さん。
一輪だけでも凛とした花の美しさは感じられ、
愛らしい咲き姿に心を魅了されます。

茶席で椿が好まれるようになったのは秀吉の頃から。
秀吉はことに椿を好んだようです。
その秀吉と利休は茶の湯の弟子と師匠。
ある時、秀吉が利休の茶室に、朝顔が咲いていると聞いて出掛けます。
しかし庭には朝顔の花はなく、茶室に一輪だけが・・・
この二人、美意識が全く逆。最後には衝突して、利休は切腹となります。
その真相は分かっていませんが、先回の大河ドラマでは利休が
朝鮮出兵に反対したためとしていました。

             

応答の一日一句

  地下道に佇立の法師春寒し    孝

  一画の欠けたるネオン春寒し   亜子

いまごろになって夫婦ともどもインフルエンザに。
久しぶりです。
                      遅足


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佐布里梅      麗

2015年03月05日 | Weblog
ソウリウメと読みます。
手術から半年の検診を無事に終え、ちょっと足をのばして早春の知多半島へ行ってきました。
満開の梅林があるということで「佐布里緑と花のふれあい公園」へ出かけました。そこで初めて知ったソウリウメ。

佐布里梅は、明治時代の始めに愛知県知多市の佐布里(そうり)に住む鰐部亀蔵(わにべかめぞう)さんが苦心して桃の木に梅を接ぎ木して生み出したそうです。五輪の白っぽいほのかに薄紅色の花です。

佐布里池周辺には25種類、4600本の紅白さまざまな梅が植えられ、今まさに満開の時期を迎え、平日にもかかわらず多くの人でにぎわっていました。小高い丘の上には愛知用水神社もありました。
このあたりは水不足で大変だったそうです。
伊勢湾台風で梅林が消滅したことも。
多くの苦難を乗り越え咲き誇る佐布里梅たち。
私もこの半年いろいろありましたが、早春の息吹にやっと一心地。梅林で深呼吸しました。

         検診を終えて梅見の深呼吸   麗
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梅の香や去年(こぞ)よりの髪刈られをり   立雄

2015年03月04日 | Weblog
奥さんに髪を刈ってもらった時の一句。
そういえば、去年の暮から刈ってもらっていない・・・
温かな日に庭で奥さんが散髪を。
梅の香に奥さんへの思いが込められているのかも。
庭に咲いた梅の香に心動かされた一句ですね。
句会でも、仲の良い御夫婦の様子が目に、と感想が。

能に「胡蝶」という演目があります。
胡蝶の精が梅の花に逢えないと歎き、怨みに思ってます。
旅の僧をみかけて、里の女に姿をかえて現われ、
梅の花に逢いたい思いをつげます。
仏の慈悲で、梅の花と逢い、胡蝶は喜びの舞をまって消えていく。
そんな筋書です。

我が家の梅が八分咲き。いよいよ見頃です。
確かに梅の花が咲くころはまだ寒く蝶の姿は見えません。
胡蝶の逢いたかったのは紅梅でしょうか?白梅でしょうか?
能舞台には紅梅の作り物が置かれるそうです。

          

応答の一日一句

  私にも言い分があり蕗の薹     孝

  おむすびの逃げて止まって蕗の薹  亜子


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お誕生日の御祝詞を   鳥野

2015年03月03日 | Weblog
 
 ・ ゆで玉子つるりとむける誕生日二月
   八日を手のひらに置く

松田宗匠、立て続けに中日歌壇への登場です。
何時もの作風、壮大さと繊細さを織り交ぜた
作品とは違い、じっと見つめ、じっと味合う
一首、と言うべきでしょうか。

選者小島ゆかりの評 <何とも独創的な誕生日
の歌。一首の展開の詩的センスに脱帽する>

理不尽は世の習い。何時も抵抗するゆで玉子の
殻、それが難なくむけた些細な安堵。素晴らし
い一首を味あわせていただきました。
遅蒔きながら、お誕生日おめでとうございます。

                 鳥野 
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抱擁をとけばこぼるる白椿   遅足

2015年03月02日 | Weblog
大切に包んで持ってきた白椿。
渡そうと思って、開いた途端・・・
ぽろっと花が落ちてしまいました。
思い人への贈り物だったのでしょうか、と立雄さん。
素晴らしい読みをして下さいました。
ありがとうございます。

小島ゆかりさんにこんな歌が。

  全身が瞠(みひら)くやうなあやふさの午後なり
                 白い椿が落ちて

同じ心の句は、斎藤玄さん。             

  青天や落ちてみひらく花椿

         

応答の一日一句

  桜湯や遥かより来し角封筒  孝

  腕白の花婿となる春立つ日  亜子




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椿咲く鵯の来て目白来て    佐保子

2015年03月01日 | Weblog
心晴れ晴れの春。花もひかりも美しく、と鳥野さん。
椿と目白が春、鵯は秋の季語ですが、もちろん椿が季語。

一見、さりげない句ですが、俳句の技法を知った作者。
一句の中に動詞が3つもあるには、句をうるさくしてしまいます。
しかし「来て」の繰り返しが弾むようなリズムが生み出して
春らしさを表現することに成功しています。
動詞をひとつ減らせば

  火の椿鵯が来て目白来て

          

応答の一日一句

  蕗の薹控え目ながら自己主張   孝

  分校の帰りはひとり蕗の薹    亜子

今日の雨は春雨のイメージとは違って荒々しい雨か?
三寒四温と一日一日、本格的な春となっていきます。
桜の季節もそこまで来ています。

                  遅足



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