毎回、句会の度に選句をしています。
一体、どんな基準で選句しているのか?案外、自覚していません。
好きだから、という答えをすることも。
では、どこが好きなのか?一歩踏み込むと霧がかかってしまう。
①まず共感できるか、どうか?好きになるには共感は不可欠。
つまり、どこかで共通点が感じられること。
共感はあっても採らない句も。
なぜか?どこかで誰かが詠んでいるという常識感。
それって、知っているよ、と。
②それを越えて新しいことを教えてくれる句。
「そうか!そんなんだよ」と。
共感をベースにした発見。これが多くの人の選句のモノサシ。
この新鮮さはどこから生まれるのか?
俳句は写生。映像が浮かぶように、と。
絵に喩えると、「この色はキレイ」と感ずることがありますが、
「この言葉はキレイだ」と、新鮮に感ずるキラりと光る言葉がある。
手垢を洗いなおした言葉。そこに発見が隠れてもいる。
選句は好きなだけで良いのか?そんな声が聞こえてきそうです。
好きな句があれば反対にキライな句、あるいは苦手な句もあります。
こうした句とどうお付き合いをするのか?
難しい課題です。
応答の一日一句
春塵や花粉も払ふドアの前 孝
春塵や近くて遠き歩道橋 亜子
一体、どんな基準で選句しているのか?案外、自覚していません。
好きだから、という答えをすることも。
では、どこが好きなのか?一歩踏み込むと霧がかかってしまう。
①まず共感できるか、どうか?好きになるには共感は不可欠。
つまり、どこかで共通点が感じられること。
共感はあっても採らない句も。
なぜか?どこかで誰かが詠んでいるという常識感。
それって、知っているよ、と。
②それを越えて新しいことを教えてくれる句。
「そうか!そんなんだよ」と。
共感をベースにした発見。これが多くの人の選句のモノサシ。
この新鮮さはどこから生まれるのか?
俳句は写生。映像が浮かぶように、と。
絵に喩えると、「この色はキレイ」と感ずることがありますが、
「この言葉はキレイだ」と、新鮮に感ずるキラりと光る言葉がある。
手垢を洗いなおした言葉。そこに発見が隠れてもいる。
選句は好きなだけで良いのか?そんな声が聞こえてきそうです。
好きな句があれば反対にキライな句、あるいは苦手な句もあります。
こうした句とどうお付き合いをするのか?
難しい課題です。
応答の一日一句
春塵や花粉も払ふドアの前 孝
春塵や近くて遠き歩道橋 亜子