575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

火はひとり炎はふたりふりしきる花びらをてのひらにあつめて  荻原裕幸

2020年04月14日 | Weblog
荻原裕幸さんの歌集が出版されました。
タイトルは「リリカル・アンドロイド」。
そのなかの桜の一首です。




そのほか55歳から59歳までに創作した476首が収録されているそうです。遅足
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「新聞紙の詩」

2020年04月12日 | Weblog


「新聞紙の詩」
 
けふ此頃の新聞紙をみろ

此の血みどろの活字をみろ

目をみひらいて讀め

これが世界の現象である

全世界を手にとるやうにみせる一枚の新聞紙

その隅から隅まで目をとほせ

活字の下をほじくつてみろ

その何處かに赭土の痩せた穀物畠はないか注意せよ

そしてその畝畝の間にしのびかくれて

世界のことなどは何も知らず

よしんばこれが人間の終焉であればとて

貧しい農夫はわれと妻子のくふ穀物を作らねばならない

そこに殘つた原始の時代

そこから再び世界は息をふきかへすのだ

此の黄金色した幻想に實のる希望よ


山村暮鳥「新聞紙の詩」は1918年に刊行された詩集
「風は草木にささやいた」に収められています。この
年、スペイン風邪が世界的流行となり日本における感
染者数2,380万人、死者は38万人。そして102年とい
う時を経て新型コロナウイルス感染症の爆発的感染。
暮鳥「血みどろの活字」が再び紙面を襲います。<殿>
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4月句会の投句が集まりました。

2020年04月12日 | Weblog
コロナウイルスの感染が身近に・・・。大変な時代に遭遇。
それでも春になれば「風はひかり」花の季節に。

題詠は「風光る」です。

1  疾走の人馬一体風光る
2 ここよりは石と死の街風ひかる
3 鞘かかげカラスノエンドウ風光る
4 風光る町を待つなり世界中
5 二世帯の新表札や風光る
6 風光る露人の墓標帰れるや
7 釣り糸を放つ水面や風光る
8 風光る新(さら)の自転車新のベル
9 おさなごの震える柔毛風光る
10 風光る竹の擦り合う音楽し
11 手作りの弁当広げ風光る
12 誰を待つ 揺れる三つ編み 風光る
13 うたた寝の 祖母の童顔 風光る
14 風光る画集の旅のボツティテェリ
15 ランドセル公園デビュー風光る
16 風光る煉瓦の母校飛花の中
17 日本丸満船飾の風光る

自由題

1 対角線切るや燕(ツバクロ)胸白し
2 花籠の送られ来たり巣立鳥
3 空と海 縫いあげてゆく 春驟雨
4 ここにあり主張の枝垂れ桜かな
5 春満月手配書じっと見る漢(をとこ)
6 石仏の ささめきあまた 風眩し
7 浮かれ気分宙ぶらりんに春の行く
8 水鳥は風と光を蹴って発つ
9 四月馬鹿と一蹴したきウイルス禍
10 チューリップ死にたくないと病める夫
11 満開の桜は知らずコロナの禍
12 桜咲くブルーシートなしの一人勝ち
13 弔問の帰路ふりそそぐ花吹雪
14 ミモザあればミラノの女史に航空便
15 空一面花ふぶき湧き溺れたり
16 若芝をひたすら摘まむ幼子や
17 万愚節であってほしいコロナ厄

夢なら覚めてほしいウイルスの悪夢。
さて、どの句が票を集めるのでしょうね。  遅足



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不要不急の八割減

2020年04月10日 | Weblog



この言葉を聞かない日はありあません。
不要不急=重要ではなく急がないこと。
そこで、自分の暮らしを見直しました。
確かになんと不要不急で出かけていたことか。
モーニングやランチでお店に3時間いたことも
ありました。小人閑居して不善をなす 笑
多少なりとも役に立つ戒めとなりました。

次に、人との接触を極力8割減にというので
身の回りの人間関係を見直してみました。
SNSやグループラインで
気づかぬうちに増えている
接触せずともよい人の何と多いこと!
待てよ。
「私自身」が接触せずともよい人では?と気づく。
2割の大事な人の側に回るか
8割の不要不急の人側に回るか
人の選別が始まるとしたら怖い話ですね。

この時期、デートの約束を断られるということは
8割に選別されたということ。
この先もかなりの影を落としそうです。
いろんな意味で転換点です。


花冷えや不要不急の人となる  郁子
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春なのに。。。麗

2020年04月09日 | Weblog
「春なのに。。。」と柏原芳江さんの歌を口ずさむことが多くなりました。
本当にこんなことになるなんて2020年が始まった頃、誰が予想したでしょうか?
ウイルスとの闘いはまだまだ続きそうです。
大阪の病院に入院中の母には面会禁止のため、この一か月、誰も会えていません。多くの老人が孤独の中にいるはずですが、感染しても恐ろしいことになるのでじっと我慢しています。

自粛ばかりでは運動不足になるので昨日、落合公園に散歩に行きました。春爛漫、落下盛んなソメイヨシノに続いて八重桜が満開を迎えつつありました。
愛知県には緊急事態宣言が出されなかったからか、三密でなければ大丈夫と、公園内は子供たちであふれ、寄り添うカップル、踊る高校生、幼子を抱えたママたちでいつもの公園と変わりなく思えました。目にみえない新型コロナウイルスの危険を忘れてしまうほどです。
かわいい白のオウムを連れて来ているおじさんの周りに人が集まっていました。「のどかな春なのに。。。」

ウォーキング途中のおば様たちからも嘆きの声が上がっていました。そして公園内のあちこちにマスクが落ちていました。
来年の桜の季節にはきっと楽しいお花見ができることを祈ります。

             春なのに自宅待機の中にあり  麗
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あの土手へ一足飛びや土筆摘み  竹葉

2020年04月08日 | Weblog


幼い頃から70年、ほぼ毎年ずーと土筆を取って食べてきました。
犬が来ない所、農薬のない所を探すのが我が家の春の行事です。
その時必ず故郷の堤防の土筆の生え場所を思い浮かべています、と作者。

一足飛びや、は実際の土手に一足飛びにゆく、とも
思い出のなかの土手へ一足飛びとも読めるんですね。
「あの」土手の「あの」という表現。
具体的で抽象的でもあり効果的です。(遅足)
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駆け足で 落ちる点滴 春夕焼け

2020年04月06日 | Weblog


「駆け足で 落ちる点滴 春夕焼け」

駆け足。点滴。春夕焼け。上五、中七、下五の語句が
持つスピード感がそれぞれ違います。また、点滴は駆
け足より静かな印象があるのですが....。

「点滴は 囁くように 春の月」<理酔>

学ぶことばかりの俳句。語句の意味など調べていると
時を忘れます。そのため、座右の銘は「偶成」この漢
詩は、中国の儒学者「朱熹」の作と思われてきました。
しかし、検証が進み、阿波生まれの「観中中諦」とい
う僧が作者といわれています。

少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

要約すると、若さを楽しんでいるうちに秋風が吹いて
きた。前半は学問の勧めで後半は比喩という構成。な
お、偶成とは、偶然生まれた詩のこと。池塘<ちとう>
は池の堤で階前は堂の階段、梧葉<ごよう>は青桐の葉。

錆びついていく頭。偶成の二文字が頭をよぎります。<殿>
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ひとひらのわが子へつなぐさくらぶえ  遅足

2020年04月06日 | Weblog




NHKを見ていたら、宮城県の桜の名所を紹介していました。
番組案内にはこう書いてあります。

  残雪の蔵王連峰を背に千本の桜が咲き誇る「一目千本桜」。
  白石川の堤に8キロに渡って桜が咲き誇ります。
  子供たちが花びらを口にあてた「さくらぶえ」の音色が響きます。

草笛は知っていますが、さくらぶえは初めて聞きました。
お父さんが教えるさくらぶえ。
小さな花びらで音を出すには難しそうでした。
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4月句会が近づいてきました。   遅足

2020年04月05日 | Weblog


いよいよ春本番です。満開の桜の花も、今朝の強い北風に散っています。
心配しているコロナウイルスの感染爆発が近づいているようです。
というか、もう爆発しているんでしょうね。
せめて句会で俳句を楽しみましょう。

今回の兼題は「風光る」
春の風がきらきらと光り輝くように感じられることをいう。
たしかに今日の様に風のある朝には光っているようです。
春の到来のよろこびや希望を、吹く風に託した季語です。

どんな句が集まるのか?たのしみです。遅足

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春寒し 猫いっぴきの 通学路

2020年04月04日 | Weblog


「春寒し 猫いっぴきの 通学路」

「猫の子一匹いない」という諺を巧みに利用。否定を
肯定に変え諧謔性を加味。聞き覚えのある諺なので惹
きこまれ詠んでしまいます。当句は人影のない通学路。
コロナ禍による休校を詠んだものと思われます。しか
し、数年後、この句を詠んだら作者の真意が伝わるだ
ろうかという疑問が頭を離れません。また、時事に捉
われなければ、荷風のように洒脱で奥行きのある句に
なった気もします。<下記参照>

いまや犬より猫が多い日本。しかし縄文時代から飼わ
れていた犬と比べ、古事記や日本書記に猫の記述はあ
りません。その後、奈良時代に貴重な経典を鼠から守
るため中国より輸入。長い間、猫は愛玩動物ではなく
鼠を捕まえるハンターでした。猫がいまのようにのん
びりできるのは江戸時代になってからのようです。

俳句における猫の存在はきわめて重要。猫の恋、うか
れ猫、猫の妻、猫の夫、はらみ猫、猫の子、子猫。こ
れらはすべて春の季語。かまど猫、へっつい猫、灰猫、
かじけ猫、こたつ猫は冬の季語。犬と比べさまざまな
顔を持つ猫。漱石と子規は親友。漱石が犬ではなく猫
を選んだのも必然かもしれません。

「色町や 真昼しづかに 猫の恋」<永井荷風>

遅足氏の代筆にて駄文お許し願います<殿>
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癖のある文字の葉書や春深し  晴代

2020年04月03日 | Weblog


仲の良い知人・友人がどんな文字を書いているか
メールやラインでやりとりするようになってから
わからなくなりました。
郵便物も印刷物が多い中、手書きの葉書を見つけ
「あ。あの人からだ!」とわかる。
その人間関係の親密さがうらやましくもあります。
長い時をかけて培ったものなのでしょう。


この句にある葉書の文字は
どんな癖のある字だったのでしょう?
読めないほどの達筆でしょうか
トメ、ハネ、ハライ、筆圧にも個性がでます。
絵文字、スタンプに負けない
その人となりが現れそうです。

この句の季語は生きているでしょうか。
おそらく葉書の主は、
ご病気か何かでしばらく落ち込んで
筆をとることができなかったかもしれません。
春も深まったある日、久しぶりに投函された葉書
「あの人だ」と文字でわかる。その嬉しさ。
その方を案じていた
作者の気持ちも読み取れるように思いました。

新型コロナは、濃厚接触✖
猜疑心や分断生む恐ろしいウイルスですね。
人のぬくもりはなくしてはいけませんね。郁子


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白ブルーピンク混じりてモネの春  郁子

2020年04月02日 | Weblog


花冷えの一日になりそうです。皆様お変わりありませんか?

先月、句会の自由題で採らせて頂いた一句。
まだコロナに怯えなくてよかった頃、句会のあとに愛知県美術館で開催されていたコートールド美術館展を訪れました。
マネの晩年の傑作「フォリー・ベルジェールのバー」を見たくて出かけたのですが、その作品の不思議さはもとより、ルノアール、セザンヌ、ドガなどたくさんの印象派の絵を堪能することが出来、至福の時でした。
その展覧会にモネの「花瓶」という作品も展示されていました。まさにこの句のように淡いピンクブルー、白が混ざりあって一足早い春を絵画で味わえました。
ところが、展覧会も新型コロナの影響で途中で閉鎖、神戸の展覧会も延期になってしまいました。
思えば気軽に美術館に出かけられるのは本当に幸せなことだったと、自粛を余儀なくされている今実感しています。
しばらく展覧会もお預けですが、この絵のように本当の春が来るのを心待ちにしています。麗子
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摘み草を 飾る酢飯の 宴かな

2020年04月01日 | Weblog


「摘み草を 飾る酢飯の 宴かな」

当句の宴、祝いの集まりなのでしょうか。摘み
草と酢飯の色や香り、宴の談笑まで聴こえてき
ます。作者は英語と独語に堪能。夏目漱石のよ
うに訳すことを前提に詠んでいる気がします。
時間軸に従いバランスよく語句が配置された明
快な句。

万葉の時代、摘み草は風雅な遊びとして楽しま
れました。また、蔬菜の栽培が普及するまで野
草や山菜は副食。酢飯の飾りではなく重要な食
材だったようです。

万葉集 2-221
「妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上
の*うはぎ 過ぎにけらずや」<柿本人麻呂>

歌意
ここに妻がいれば一緒に摘み食べることができ
ただろう。沙弥の山、野のヨメナは時が過ぎて
しまった。

「*うはぎ」は春の摘み草の「ヨメナ」<嫁菜>
のこと。菜飯、天ぷら、和え物。汁の実などに
用いられます。都内のカントウヨメナは別種。
葉が堅く香りもなく食用には適しません。

代々木公園にひっそりと咲くカントウヨメナ。
手前に大きな注意書きがあります。「公園の
草木は採らないでください」万葉の歌人なら
窮屈な世だと苦笑するかもしれません。


遅足氏の代筆にて駄文お許し願います。<殿>

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