日本男道記

ある日本男子の生き様

電子基準点(倉敷市堀南)

2005年05月19日 | 散歩の楽しみ
国土地理院は、地震・火山等の調査研究のための地殻変動監視及び各種測量の基準点として利用するために、全国に約25km間隔で約950点の電子基準点を設置しています。
・所在地   岡山県倉敷市堀南621
・基準点コード 5133-66-9002
・種別     電子基準点
・標高     7.72m
・標識の種類  三脚アンテナ高 2.732m ・埋設法 地上
・選点     平成 8年 5月28日
・埋標     平成 9年 2月12日
・観測     平成11年12月 9日
・説明板  『電子基準点は、地上約2万Kmの高さを周回するGPS衛星が発信する電波を受信しこの地点の位置を観測するための施設です。受信データは、つくば市にある国土地理院に毎日転送しています。この受信データは、土地の測量、地図の作成、地震、火山噴火予知の基礎資料に利用されます。 茨城県つくば市北郷1番 国土地理院 電話0298(64)1111』
・撮影日  2005/05/06
位置図
・メモ   倉敷市立大高小学校の校庭にある。
  電子基準点は、高さ5mのステンレス製のタワーにGPS衛星からの電波を受信する アンテナと受信機が内蔵された構造になっている。得られたGPS観測データの解析結果は、ホームページに現在の地殻変動情報として公開されている。
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三角点(烏帽子山)

2005年05月15日 | 散歩の楽しみ
三角点は、正確な位置を求める測量をおこなうために、国土地理院が作った位置の基準となる点のことです。地図(2万5千分の1、5万分の1、20万分の1など)に△の記号で表示されており、一等から四等までの4種類があり、重要さや基本的性質から区別されています。
・所在地    広島県県庄原市比和町大字河内字腰原3232/186
・基準点コード 5233-40-8401
・種別     三等三角点
・標高     1218.36m
・標識の種類 -  ・埋設法 地上(保護石1個)
・選点   明治27年4月20日
・造標   -
・観測   明治27年5月 1日
・現況   正常2002/12/16
・撮影日  2005/04/30
・三角点周囲の状況 草地
・メモ   烏帽子山(標高1225m)の頂上にある。形も小さく三角点かどうか自信はない。

位置図


記念碑(吉備公館址)

2005年05月14日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県吉備郡真備町土師谷
・建立年  明治33年(1900)
・建立者  不明
・撮影日  2005/04/29
・説明板  『不滅の遺徳を仰がん この碑石は、この地に生をうけた文学者として、また政治家として、多くの功績をのこされた先賢吉備真備公をたたえるために建てられたものある、願わくは、この偉人のけ高い理想と貴徳が、祖国日本の青少年の永遠の模範となり、不滅の指標とならんことを 昭和三十八年十月二日 愛宮真備』
・メモ   吉備真備公が生まれた屋敷跡と言い伝えられていた公館址。また吉備公の御家人の子孫が住んでいた場所ともいい、「吉備公館址」と自然石に刻まれている。その左側に、珍しいラテン語の顕彰碑が立っている。この記念碑のすぐ近くにあるのが「吉備公産湯の井戸」
位置図

一里塚(岡山県小田郡矢掛町)

2005年05月13日 | 散歩の楽しみ
・所在地   岡山県小田郡矢掛町矢掛
・建立年   昭和十七年(1942)
・建立者   不明
・刻字    正面 矢掛一里塚趾
       左面 昭和十七年四月一日      
・説明板   『史蹟 旧山陽道 一里塚跡 一里塚とは一里ごとの目印として道路の両側に土を盛って、木を植えた所をいいます。一里塚を造り始めたのは織田信長で、その後、豊臣秀吉・徳川家康が全国に広めました。江戸時代の一里塚は、三十六町を一里とし街道の両側に榎・松等を植えさせました。これは旅人の里程の目安となり木陰は休憩所になりました。現在矢掛には3ヶ所の一里塚跡が確認できます。東は東三成の真備町境にあり、道路の拡幅工事とともに松ノ木が伐採されました。中央の一里塚は旧矢掛宿内の東町の一里塚で、南北とも黒松で、北側の松は明治十六年に積雪で倒れ、南側は昭和十六年に省営バス路線工事のため伐採されました。西は浅海の毎戸の西端にありました。  平成十六年 やかげ歴史の復元元事業』
・撮影日   2005/04/29
・メモ    近くにある宿場町の面影をしのばせる「国指定重要文化財旧矢掛本陣石井家」

「国指定重要文化財旧矢掛脇本陣高草家
くわしくは矢掛町HP
位置図

水準点(岡山県小田郡矢掛町東川面)

2005年05月13日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県小田郡矢掛町東川面字有森809-2
・標識番号 第1600号
・種別   一等水準点
・標高   23.3093m
・標識の種類 -  ・埋設法 地下(マンホール)
・選点   昭和12年11月 5日
・埋設   昭和12年11月 8日
・観測   平成11年11月29日
・現況   正常2003/12/10
・撮影日  2005/04/29
・メモ  道路工事の為、新設されたばかりのようである。「水準点を大切に」の標識がある。
位置図
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水準点(岡山県小田郡矢掛町矢掛)

2005年05月10日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県小田郡矢掛町矢掛153
・標識番号 第1599号
・種別   一等水準点
・標高   18.8785m
・標識の種類 標石  ・埋設法 地上(保護石4個)
・選点   昭和10年 3月13日
・埋設   昭和10年 3月15日
・観測   平成11年11月28日
・履歴   改測1982/02/01
・現況   正常2007/12/16
・撮影日  2005/04/29
・メモ  矢掛神社の入り口にある。「水準点を大切にしましょう」の標識もある。
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水準点(岡山県小田郡矢掛町東三成)

2005年05月07日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県小田郡矢掛町大字東三成字吉野1529-2
・標識番号 第1598号
・種別   一等水準点
・標高   19.9588m
・標識の種類 標石  ・埋設法 地下(マンホール)
・選点   平成11年 8月26日
・埋設   平成11年10月 1日
・観測   平成11年11月28日
・履歴   移転1999/10/14
・現況   正常2003/12/16
・撮影日  2005/04/29
・メモ  測量士の方の絵が書かれたマンホールのしたにあり標石はみえない。「水準点を大切に」の標識がある。
位置図

数寄屋橋跡碑

2005年05月06日 | 散歩の楽しみ
・所在地 東京都中央区銀座5-1-1数寄屋橋公園
・建立年 昭和34年(1959)
・撮影月日 2005/04/28
・メモ 数寄屋橋は寛永6年(1629年)江戸城外郭見附として架けられ、橋の有楽町側に南町奉行所があった。関東大震災後、近代的な美観の石橋に架け替えられ、以来銀座の入口として親しまれてきた。今は外濠の埋め立てにより、首都高速と地下鉄に上下を挟まれ橋もない。昭和27~29年に放送され、放送時刻の8時半には全国の女湯がカラになるといわれたほど人気となった、菊田一夫原作のラジオドラマ『君の名は』で、主人公春樹と真知子が再会を約した場所として一挙に東京新名所となった。橋の遺材を用いて造られたこの石碑には、菊田一夫の筆により「数寄屋橋此処にありき」と刻まれている。下の写真は同じく数寄屋橋公園内にある昭和41年に岡本太郎さんが制作した「若い時計台」。この時計台の右の柳の下にあるのが数寄屋橋跡碑。
位置図

銀座発祥の地 

2005年05月06日 | 散歩の楽しみ
・所在地 東京都中央区銀座2丁目
・建立年 昭和30年4月1日
・建立者 銀座通連合会
・説明板 『銀座発祥の地 銀座役所趾
 慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
 当時町名を新両替町と称せしも 通称を銀座町と呼称せられ 明治2年 逐に銀座を町名とする事に 公示さる 昭和30年4月1日建之 銀座通連合会』      
・撮影月日 2005/04/28
・メモ 銀座通りの有名文房具店伊東屋、ティファニ-、英国屋の近くにある。
位置図
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銀恋の碑

2005年05月03日 | 散歩の楽しみ

・所在地 東京都中央区銀座5-1-1数寄屋橋公園
・建立年 平成2年(1990)
・建立者 西銀座通会、銀座通連合会、テイチク(株)
・撮影月日 2005/04/28
・メモ  石原裕次郎と牧村旬子のデュエットで昭和36(1961)年1月にリリースされた「銀座の恋の物語」(大高ひさを作詞、鏑木創作曲)は、当時200万枚以上の売上を記録する爆発的なヒットを飛ばし、翌年、同名の映画が石原裕次郎と浅丘ルリ子の共演で公開され更に話題を呼んだ。現在もカラオケのデュエット曲の定番として多くの人々に歌われるスタンダードナンバー。この栄誉を記念して建立されたのこと。碑には「心の底までしびれるような」で始まる歌詞と楽譜が刻まれており、碑を挟んでカップルで記念写真が撮れるよう左右には座席が設けられている。
位置図


三角点(毛無山)

2005年05月01日 | 散歩の楽しみ
三角点は、正確な位置を求める測量をおこなうために、国土地理院が作った位置の基準となる点のことです。地図(2万5千分の1、5万分の1、20万分の1など)に△の記号で表示されており、一等から四等までの4種類があり、重要さや基本的性質から区別されています。
・所在地    岡山県真庭郡新庄村字田浪3294-2
・基準点コード 5233-64-7101
・種別     三等三角点
・標高     1218.36m
・標識の種類 標石  ・埋設法 地上
・選点   明治27年4月9日
・造標   -
・観測   明治27年10月21日
・現況   現況報告なし
・撮影日  2005/04/23
・三角点周囲の状況 熊笹 全方向見通し良好
・メモ   毛無山(標高1218m)の頂上にある。
位置図

水準点(岡山県総社市美袋)

2005年05月01日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県総社市美袋字秋葉谷2187
・標識番号 第2190号
・種別   一等水準点
・標高   37.6532m
・標識の種類 標石  ・埋設法 地上(保護石4個)
・選点   昭和39年4月21日
・埋説   昭和39年4月21日
・観測   平成14年11月6日
・現況   正常2001/01/31
・撮影日  2005/04/23
・メモ  国道180号線の脇にある。回りに記念碑(不明)歌碑(不明)がある。
位置図


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水準点(広島市西区井口)

2005年04月30日 | 散歩の楽しみ
・所在地  広島県西区井口1-1-8
・標識番号 第1972号
・種別   一等水準点
・標高   3.478m
・標識の種類 金属標  ・埋設法 地上(保護石0個)
・選点   昭和57年8月3日
・埋設   昭和58年1月20日
・観測   平成13年12月18日
・現況   正常2001/12/04
・撮影日  2005/04/20
・メモ  会社の近くにあったもの、昼休み中探していたがやっとみつけることが出来た。雨上がりの後で水に埋没している為見にくいが一等水準点、NO1672が読みと取れる。下の写真のカーブミラーの所にある。
位置図


水準点(倉敷市松山)

2005年04月27日 | 散歩の楽しみ
・所在地  岡山県倉敷市中庄町別府
・標識番号 第370号
・種別   一等水準点
・標高   1.9129m
・石質   花崗岩 ・防衛石数 四個
・選点   昭和10年3月8日
・埋標   昭和10年3月8日
・観測   昭和30年10月12日
・現況   正常1994/08/01
・撮影日  2005/04/10
・メモ   何時も散歩で歩いていた場所なのですが、見過ごしていた。民家の真裏にあり、道に少しはみ出た状態。
位置図


深川芭蕉庵旧地 

2005年04月26日 | 散歩の楽しみ
・所在地 東京都江東区常盤1-3
・建立年 不明
・説明板 『深川芭蕉庵旧地の由来
俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とし、「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正六年(1917)津波襲来のあと芭蕉が愛好したといわれる石像の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定した。
昭和二十年(1945)戦災のため当所がが荒廃し、地元の芭蕉遺蹟保存会が昭和三十年(1955)復旧に尽くした。しかし、当所が狭隘であるので常盤北方の地に旧跡を移し江東区において芭蕉記念館を建設した。     昭和五十六年(1981)         三月吉日 芭蕉遺蹟保存会』                  
・撮影月日 2005/04/15
・メモ 史蹟 芭蕉庵跡、俳聖芭蕉翁生誕百五十年祭記念、奥の細道旅立ち三百周年記念などの石碑がある。また狭い境内には蛙の置物が数多く見られる。(下の写真)しかし芭蕉愛好の石像の蛙が発見されたとあるがホンマの話かな?。
位置図