【原文】
二十九日。船出(い)だして行(ゆ)く。うらうらと照りて、漕(こ)ぎ行(ゆ)く。
爪(つめ)のいと長くなりにたるを見て、日をかぞふれば、今日(けふ)は子(ね)の日(ひ)なりければ、切らず。正月(むつき)なれば、京の子の日のこといひ出でて、「小松もがな」といへど、海中(うみなか)なれば、かたしかし。ある女(をむな)の書きて出だせる歌、
おぼつかな今日(けふ)は子(ね)の日か海女(あま)ならば海松(うみまつ)をだに引かましものを
とぞいへる。海にて、「子の日」の歌にては、いかがあらむ。
また、ある人のよめる歌、
今日なれど若菜(わかな)も摘(つ)まず春日野(かすがの)の我が漕ぎ渡る浦になければ
かくいひつつ漕ぎ行(ゆ)く。
【現代語訳】
二十九日。船を出して行く。うららかに日が照って、その中を漕いで行く。 爪がかなり長く延んだのを見て、出発以来の日を数えてみると、今日は子の日なので切らない。正月(の子の日)なので、京の子の日のことを(誰となく)言い出して、「小松があったらなあ」と言うけど、海の中なので難しい。ある女が書いて出した歌は、 おぼつかな… (たよりないなあ、今日は本当に子の日なのかな、自分がもし海女ならせめて海松を小松の代わりに引いてみようものを) と言う。海の中で、「子の日」の歌と言うのはどんなものだろうか。 また、ある人が詠んだ歌は、 今日なれど… (正月子の日は今日なのに若菜も摘まない。春日野は今自分が漕ぎ渡っている浦には無いのだから) このように言い言いしながら漕いで行く。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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