【まくら】
江戸時代は、実際にはそんなに簡単に武士が町人を殺したりはしなかった。
武士に許されているのは、きちんと届け出て許可が下りた敵討ちだけであって、それ以外で殺したらもちろん殺人罪でつかまる。
が歌舞伎で、武士が町人に向かって「首切(くびっきれ)の素町人めが」と罵倒する場面がある。どうも首にこだわっている。
喧嘩の多い吉原や芝居町では、加害者の身代わりになる係がいて、それを「首代」という。実際に重罪だと首を斬られるからだ。
刑務所で首を斬る役割の人物を「首切浅右衛門」と呼んでいた。
首を斬る場所を首の座といい、斬った首を乗せる板を首板と言う。
首をくるむ布は首布(ぎぬ)で、斬った首を入れる桶は首桶である。
敵の首を取って争った戦国時代の名残であはあるが、「お前は首だ」という言葉に残っているように、日本人はどうも首にこだわっている。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
博打で懐の暖かい江戸っ子の酔っぱらいが芝山内を通りかかった。
最近辻斬りや追いはぎが出るのでぶっそなので、景気付けに大声で通り抜けようとしたら武士に呼び止められた。
辻斬りか追い剥ぎかと一瞬ビックリしたが、その様でもなさそう。
安心して酔っぱらった勢いで武士に反抗し毒づいた。
追いはぎではなく「麻布にめえるにはどうしたらいいか 」と聞いてきたが、道の聞き方を改めて説教し、さんざん武士に反抗する。
切りたかったら、切りやがれと悪口狼藉。その上、痰を紋服に吐きかけて悪口を並べる始末。
武士の顔色が変わると改めて、もう一つ吐きかける。
さすがの武士も我慢が出来ず、雪駄をならして後ろから腰をひねって「えぃ!」。チャリーンと鞘に収める早業は目にも止まらぬさまであった 。
謡曲を謡いながら去っていった。
それでも後ろ姿に毒ずく酔っぱらい。(首が徐々に横向いていく)、品川の女郎との一人のろけをしていると(また首が徐々に横向いていく)、俺の首はこんな建付が悪くは無いんだが。
声がかすれて「どこからか声がもれているぞ」。ガックと首が落ちそうになる所をかろうじて両手で直した。
首筋を触って血が付いているのを見つけ、「野郎、やりやがったな」。
そこに近くで火事が出た。人が出てきて混み合ってきた。
弓張り提灯を持った人が駆けて来るし、「じゃまだ、じゃまだ!」とぶつかる者も出始めた。
こちとら壊れ物を持っているのだ、落っこどしては大変と自分の首を 提灯のようにヒョイと差し上げ「はいゴメン、はいゴメン、はいゴメン!」。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
見立て落ち(意表をつく結末になるもの )と仕草落ち(身振りで表して終わるもの)を兼ねる。
【語句豆辞典】
【三里の灸】ひざ下三寸(約9センチ)の脛の外側に添った、筋肉の所へ灸を吸えると、のぼせが下がるほか、健康によく、旅の場合は足が軽くなると言われ、江戸時代には盛んにすえた。。
【この噺を得意とした落語家】
・八代目 林家正蔵
・六代目 三遊亭圓生
・五代目 柳家小さん
【落語豆知識】
【仲入り】寄席興行の番組半ばでの休憩時間のこと。「中入り」でもよいのだが、「仲入り」と書くのは、人に多く入ってほしいという縁起かつぎから。
江戸時代は、実際にはそんなに簡単に武士が町人を殺したりはしなかった。
武士に許されているのは、きちんと届け出て許可が下りた敵討ちだけであって、それ以外で殺したらもちろん殺人罪でつかまる。
が歌舞伎で、武士が町人に向かって「首切(くびっきれ)の素町人めが」と罵倒する場面がある。どうも首にこだわっている。
喧嘩の多い吉原や芝居町では、加害者の身代わりになる係がいて、それを「首代」という。実際に重罪だと首を斬られるからだ。
刑務所で首を斬る役割の人物を「首切浅右衛門」と呼んでいた。
首を斬る場所を首の座といい、斬った首を乗せる板を首板と言う。
首をくるむ布は首布(ぎぬ)で、斬った首を入れる桶は首桶である。
敵の首を取って争った戦国時代の名残であはあるが、「お前は首だ」という言葉に残っているように、日本人はどうも首にこだわっている。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
博打で懐の暖かい江戸っ子の酔っぱらいが芝山内を通りかかった。
最近辻斬りや追いはぎが出るのでぶっそなので、景気付けに大声で通り抜けようとしたら武士に呼び止められた。
辻斬りか追い剥ぎかと一瞬ビックリしたが、その様でもなさそう。
安心して酔っぱらった勢いで武士に反抗し毒づいた。
追いはぎではなく「麻布にめえるにはどうしたらいいか 」と聞いてきたが、道の聞き方を改めて説教し、さんざん武士に反抗する。
切りたかったら、切りやがれと悪口狼藉。その上、痰を紋服に吐きかけて悪口を並べる始末。
武士の顔色が変わると改めて、もう一つ吐きかける。
さすがの武士も我慢が出来ず、雪駄をならして後ろから腰をひねって「えぃ!」。チャリーンと鞘に収める早業は目にも止まらぬさまであった 。
謡曲を謡いながら去っていった。
それでも後ろ姿に毒ずく酔っぱらい。(首が徐々に横向いていく)、品川の女郎との一人のろけをしていると(また首が徐々に横向いていく)、俺の首はこんな建付が悪くは無いんだが。
声がかすれて「どこからか声がもれているぞ」。ガックと首が落ちそうになる所をかろうじて両手で直した。
首筋を触って血が付いているのを見つけ、「野郎、やりやがったな」。
そこに近くで火事が出た。人が出てきて混み合ってきた。
弓張り提灯を持った人が駆けて来るし、「じゃまだ、じゃまだ!」とぶつかる者も出始めた。
こちとら壊れ物を持っているのだ、落っこどしては大変と自分の首を 提灯のようにヒョイと差し上げ「はいゴメン、はいゴメン、はいゴメン!」。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
見立て落ち(意表をつく結末になるもの )と仕草落ち(身振りで表して終わるもの)を兼ねる。
【語句豆辞典】
【三里の灸】ひざ下三寸(約9センチ)の脛の外側に添った、筋肉の所へ灸を吸えると、のぼせが下がるほか、健康によく、旅の場合は足が軽くなると言われ、江戸時代には盛んにすえた。。
【この噺を得意とした落語家】
・八代目 林家正蔵
・六代目 三遊亭圓生
・五代目 柳家小さん
【落語豆知識】
【仲入り】寄席興行の番組半ばでの休憩時間のこと。「中入り」でもよいのだが、「仲入り」と書くのは、人に多く入ってほしいという縁起かつぎから。
なんとも首という言葉は妙なところがありまして、
クビと一言言うと、切られるというイメージがわ
きますね。一方でクビがつながるもありますが.。
あっ、今日アップしました北小浦のダイビングセ
ンターは小学校の校舎を利用しています。あんな
かたちでも、建物が残るというのはありがたいで
すね。島内のあちこちに廃校舎がありますから。
首にする、英語ではfire、これも激しいですね。
小学校の廃校利用が、ダイビングセンター?あれっと思いましたが、建物だけでも残れればいいですね。
多分私の卒業した学校も近い将来廃校になるのではと心配していますが・・・。
私の時代には二組で合計72名の同級生がいました。