【原文】
かくいふあいだに、夜やうやく明けゆくに、梶取ら、「黒き雲にはかに出で来ぬ。風吹きぬべし。御船返してむ」といひて船返る。このあひだに、雨降りぬ。いとわびし。
十八日。なほ、同じところにあり。海荒ければ、船出ださず。
この泊、遠く見れども、近く見れども、いとおもしろし。
かかれども、苦しければ、何事も思ほえず。男どちは、心やりにやあらむ。漢詩などいふべし。船も出ださで、いたづらなれば、ある人のよめる、
磯ふりの寄する磯には年月をいつともわかぬ雪のみぞ降る
この歌は、常にせぬ人の言なり。また、人のよめる、
風による波の磯には鶯も春もえ知らぬ花のみぞ咲く
【現代語訳】
こう言っている間に、夜が次第に明けてきたのに、船頭たちが「黒い雲が急に出てきました。きっと風も出てくるでしょう。船を返しちゃおう」と言って船を戻した。この間、雨が降った。とてもわびしい。 十八日。さらに、同じところにいる。海が荒れているので、船を出さない。 この港は遠くから見ても、近くからみてもとても美しい。 ではあるけれど、やはり、こう旅がはかどらぬと嫌になって、何の感興もわかない。男の仲間たちは憂さ晴らしであろうか、漢詩など歌っている。 船も出さないで、することがないので、ある人が次のように詠んだ。 磯(いそ)ふりの… (荒波の打ち寄せる磯には年月を分かたず四季の区別なく雪だけが降っている。) この歌は日ごろ、歌を詠まない人が詠んだ歌だ。 また、別の人が次のように詠んだ。 風による波の… (風が吹いて白波が打ち寄せる磯には鶯も春も知らない波の花だけが咲いている) |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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