昨夜午後10時22分。
まだ日曜日の関川マラソン大会の疲れが完全にとれないから早めに休もう、と寝床に入って間もないときだった。
突然スマホが大きな警戒音を出してうなり始めた。
夜にはいささか大きすぎるその音に、いそいで画面を開いてみると、

これに近い画面が表示された。
緊急地震速報
山形県で地震発生。強い揺れに備えて下さい。
…えっ? 山形県? 近いなあ。
そう思ってすぐに、下からズーンと縦揺れが一つきた。
続いて、横揺れが。
その横揺れは、すぐにはおさまらず少しずつ大きくなるようにも感じた。
…け、結構デカいかも…!
いた場所が2階だったせいもあって、揺れ方は強く大きく感じた。
そばの本棚が倒れてくるような気がして、そこを押さえ、揺れがおさまるのを待った。
揺れが弱まるのを待って、妻と娘に「大丈夫か?」と声をかけた。
「大丈夫。」という返答に、ほっとした。
地域の生活安全メールがスマホに送られてきたが、それによると「震度4」とのこと。
それよりも大きかったように感じたが…。
下に降り、まだ起きていた息子を合わせ、家族4人でテレビの地震についての報道を見守った。
村上市で震度6強、という放送が流れていた。
村上市は、10年余り前の大合併以来、非常に広い面積を持つ市となった。
震源に近い、県境の旧山北町の地域に被害が大きいのだろうと推測した。
津波注意報もあり、1mの津波がすぐ到達と出ていた。
やがて、各地の震度情報が出たが、いわき市等太平洋側でも震度4だったという情報に、いやあそれならこちらは震度5弱くらいはあったはずだと思ってしまった。
ふと目を上げると、茶の間の掛け時計が止まっていた。

最近2,3分進んでいたので、止まったのは地震の起きた時なのだろうと思った。
わが家の地震による被害(?)は、幸いこれだけだった。
1時間近くテレビでの情報を得ていたが、どうやら人命にかかわるほど大きな影響はなかったようで、ホッとした。
津波も起こったが、弱いものだったので被害が出ず、何よりだった。
夜中の1時過ぎに津波注意報も解除され、とりあえず本格的に寝ることにした。
今回の教訓は、こうした緊急の災害に対した備えが、家ではおろそかになっていたと気付かされたことだ。
東日本大震災以来、防災に関する意識は高まっていたはずだったが、いつのまにかまた薄れていたことを改めて教えてもらったような気がした。
家では、非常持ち出し袋の点検や非常用具の使用の可不可の確認などを、今ひとたび行っておいた。
6月。奇しくも55年前に新潟地震があったのと同じ月だった。
油断せず、危機管理意識をもって過ごしたいものだ。
まだ日曜日の関川マラソン大会の疲れが完全にとれないから早めに休もう、と寝床に入って間もないときだった。
突然スマホが大きな警戒音を出してうなり始めた。
夜にはいささか大きすぎるその音に、いそいで画面を開いてみると、

これに近い画面が表示された。
緊急地震速報
山形県で地震発生。強い揺れに備えて下さい。
…えっ? 山形県? 近いなあ。
そう思ってすぐに、下からズーンと縦揺れが一つきた。
続いて、横揺れが。
その横揺れは、すぐにはおさまらず少しずつ大きくなるようにも感じた。
…け、結構デカいかも…!
いた場所が2階だったせいもあって、揺れ方は強く大きく感じた。
そばの本棚が倒れてくるような気がして、そこを押さえ、揺れがおさまるのを待った。
揺れが弱まるのを待って、妻と娘に「大丈夫か?」と声をかけた。
「大丈夫。」という返答に、ほっとした。
地域の生活安全メールがスマホに送られてきたが、それによると「震度4」とのこと。
それよりも大きかったように感じたが…。
下に降り、まだ起きていた息子を合わせ、家族4人でテレビの地震についての報道を見守った。
村上市で震度6強、という放送が流れていた。
村上市は、10年余り前の大合併以来、非常に広い面積を持つ市となった。
震源に近い、県境の旧山北町の地域に被害が大きいのだろうと推測した。
津波注意報もあり、1mの津波がすぐ到達と出ていた。
やがて、各地の震度情報が出たが、いわき市等太平洋側でも震度4だったという情報に、いやあそれならこちらは震度5弱くらいはあったはずだと思ってしまった。
ふと目を上げると、茶の間の掛け時計が止まっていた。

最近2,3分進んでいたので、止まったのは地震の起きた時なのだろうと思った。
わが家の地震による被害(?)は、幸いこれだけだった。
1時間近くテレビでの情報を得ていたが、どうやら人命にかかわるほど大きな影響はなかったようで、ホッとした。
津波も起こったが、弱いものだったので被害が出ず、何よりだった。
夜中の1時過ぎに津波注意報も解除され、とりあえず本格的に寝ることにした。
今回の教訓は、こうした緊急の災害に対した備えが、家ではおろそかになっていたと気付かされたことだ。
東日本大震災以来、防災に関する意識は高まっていたはずだったが、いつのまにかまた薄れていたことを改めて教えてもらったような気がした。
家では、非常持ち出し袋の点検や非常用具の使用の可不可の確認などを、今ひとたび行っておいた。
6月。奇しくも55年前に新潟地震があったのと同じ月だった。
油断せず、危機管理意識をもって過ごしたいものだ。