ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(94)~そして7年半後の現在地~

2020-12-11 21:58:31 | 生き方


「三十路になりたくない!」
…そう言って騒いでいた娘が、突然倒れてしまった時から、早いもので7年半。
退院して自宅で暮らすようになってから6年と数か月。
また新たに誕生日を迎えた。
なりたくなかった三十路どころか、アラフォー世代になってきてしまった。
家で普通の生活をして過ごしていられるのは、よいと思う。
ICU(集中治療室)で、太い管を口から通されて、ベッドに固定されたままガリガリにやせていき、今後どうなるのかわからなかった時期があったことを思うと、現在、普通に生活ができることほどありがたいことはない。

ただ、1日2回の服薬と定期的な通院が欠かせないのは変わらない。
薬は、相変わらず日に2回、1回につき数種類10錠くらいを飲む。
当初からほんの少ししか減っていない。
まあ、薬の処方箋を書いている医師自身が、「どの薬が効いているのかよく分からない」と言うのだから、仕方がない。
今も、「発作が起きたり倒れたりしないようにするためには、薬を飲み続けた方がいい」ということになっている。
通院も続いている。
だが、その回数は、半減してはいる。
1つの病院は、月4回だったのが、今は月2回。
もう1つの病院は、毎月1回だったのが、2月に1回に減った。
まあ、当分これ以上回数が減ることはないだろうけど。

家でのリハビリ的な生活も、いろいろとやるようになった。
病でダメージを受けた脳の働きをよくするために、毎日やっている「脳活」関連の問題を解くのもずいぶん早くなった。
その難易度も以前に比べればかなり上がっている。
詩の暗唱も、いろいろやってきた。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、清少納言の「枕草子」から「春はあけぼの」、落語の「寿限無」、谷川俊太郎の詩「明日」などを、毎日声を出して読むことによって、それぞれ暗唱できるようになった。
昔やっていたピアノの練習も毎日行い、かなりスムーズに指が動くようになってきた。
足腰を鍛えるために、スクワット30回、ステッパーで1000回以上をノルマにしている。
そのほかに、天気が悪くなければ毎日3000歩以上の散歩もしている。
食後は、1日3回とも、家族全員の食器洗いを担当して行っている。
このように、リハビリと称して、様々なことをこなしている。

日課の散歩は、週に1回、3kmのジョギングになる。
半年前にジョギングを始めた頃は、1km9分くらいで2kmを走るだけだった。
だが、今は、1km7分を切るくらいで3kmを走っている。
まだまだ速いスピードではないけれども、走る足音を聞いていると、リズムが乱れずにいい感じのジョギングだ。
さすが、昔は持久走の女王だっただけはあると、この年になっても親バカは思う。

7年半前、新しい職場になって2か月間働いていたときに、突然倒れて救急車で運ばれた娘だった。
それから、2つの病院で1年と4か月の入院生活を送ってから、6年と2か月余り。
中学校を卒業した子が、高校・大学を卒業して働き出すのよりも多くの時間がたってしまった。

先日、娘もつれてドライブに出たとき、7年前に働いていた職場のそばを通り、その建物を見せた。
だが、娘は、7年前とはいえ2か月間も通って勤めたはずなのに、見覚えがないと言う。
車でどこから入り、どこに止めたかはおろか、中のことも何も覚えていないのだと以前からずっと言ってはいたが…。
完全に、その部分の記憶は欠落してしまっているのだ。
改めてそういう病だったのだ、と私も妻も再認識した。

それでも、まずはここまでしっかり元気になって生きてきている。
幸いなのは、こんな現状であっても、娘は暗い顔を見せない。
明るく周囲を笑わすことが好きなのだ。
だから、私たちは希望をもって明日を信じて生きていくことができるのだ。

HAPPY BIRTHDAY !


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雨の降らない関東と毎日雨の新潟

2020-12-10 20:50:09 | 自然・季節
今日のテレビで知って驚いたのは、千葉県南房総市の小学校で、給食前に手を洗うのが水でなくウエットティッシュだったことだ。
その理由が、感染症がらみなのだろうと思って見ていたら、違っていた。
なぜウエットティッシュかといえば、水不足で節水のためなのだとか。
関東では、ずっと雨が降っていないため、ダムの貯水量もかなり落ちているのだそうだ。
今年の11月からの降水量は異常に少ないという。

たしかに、先月に埼玉に行ったときも、ずうっと雨が降らなかった。
ただでさえ、冬の関東はからっ風で肌はよく乾燥する。
去年も12月に埼玉に行ったときに、手指がカサカサになり、顔もカピカピになって困ったのであった。
埼玉の妻の実家も、水やりをする人がいないから、貴重な庭木がいろいろと枯れていっている。
ただし、乾燥に強い雑草や木などは、それなりに伸びている。

反対に、新潟はどうかというと、今、毎日雨である。
これは、寒波が来れば雪になるのだろうけれど、うっとうしいように雨が降る。
また、青空から、急変して雨が降ったりするのも、特徴的な初冬である。
晴れ間はあっても、一日中晴れという日がない。
これだけ雨が降ると、妻と顔を見合わせ、
「この雨、少しは埼玉の庭木に分けてあげたいねえ。」
とため息をついている。
関東と新潟と、なんと対照的な天候だろう。

そんな雨ばかりのうちの庭に、気温が低くなってきたというのに、一輪のバラの花が咲いた。

その色もオレンジ。
雨で暗い庭の片隅に、ポッと灯がともったような雰囲気のする明るさがうれしい今日この頃である。




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初雪もまだなのに、春の花のつぼみが

2020-12-09 20:04:08 | 草木花
朝方まで雨。
今日は新潟県内もいい天気になるという予報だったのに。
それでも、午前中の遅い時間帯は、青空が広がった。
残念ながら、あまり長く続かなかったのだが。

青空に、黄葉した葉が美しい。

この木の葉は、まだ完全に落葉しない。
12月の今ごろになっても葉が落ちていないというのは、なんだかうれしい。
例年なら、空から冬の使者が落ちてきて、葉を落とし枝を白く染めるものなのだが、今年は、まだ葉がついている。

この木は、何かというと、この特徴的な実がついているのでわかる。

そう、これは、ロウバイ(蠟梅)の木。

おや?よく見ると、小枝の先や途中に丸いものが…。
え?ひょっとすると、…

これって、つぼみじゃないか!?

花が咲くのは、ふつう3月ころだと思うのに、雪が降る前からもうつぼみをつけているなんて、今まで見たことがなかったぞ。

雪もまだ降っていないのに、なんだかもう春が近いような気分になれた。
めでたし、めでたし。

…だが、天気予報では、いよいよ来週の火曜日・水曜日は雪になるとか。
いやいや、雪にあわずに、このままロウバイの花開く春になればいいのだがなあ。
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墓場の中を走って忘れ物を取りに行っていたことを思い出した

2020-12-08 22:18:06 | 生き方
12月8日。
巷では、ジョン・レノンの命日に関してのニュースが、あった。
もう、それから40年にもなる。
太平洋戦争開戦の日にちなんだニュースもあった。
当県では、長岡市の中学生がハワイとネットでつないで交信したというニュースが流れていた。
…まあ、これらは今日の代表的な(?)歴史的出来事だ。

自分としては、今日がどういう日かというと、父方の伯母の命日である。
昔は、同居したりわが家の隣に住んだりしたりしていたので、非常にお世話になった方であった。
亡くなったのは、私の母が亡くなった翌年であり、13回忌も昨年済んでいる。
だが、お世話になったことへの感謝の心で、先日、命日を前に墓参りをしてきた。

墓のある場所は、かつて私たちが住んでいた家から歩いて300メートルほど行ったところにあるのだが、実は家の前も墓場だったのだ。
その墓場も、以前多くあった松の木がすべて枯れてなくなってしまい、ずいぶん明るくなっていた。



雰囲気が変わったなあと思いながら、墓場だけにじっくり見たことはなかった。
今回、ちょっとその墓場をのぞいてみようかと少しだけ中に入ってみた。

そこには、少年時代の懐かしい風景が残っていた。



少しは偉い家人の墓だったのだろうか、少し大きな墓が並び、その周りには石が垣根のようにつながっていた。
伸びた笹竹の向こうには、小学校の建物が見えた。
この小学校は、かつて私が通った学校だった。

当時は、忘れ物をすると、「家まで走って取りに行ってきなさい」と、先生に叱られたものだ。
今の時代は、そんなことをさせると事故が起きたときの学校の責任が問われるから、絶対にさせない。
あの当時は、それが普通だった。
家から遠かった級友は、走って忘れ物を取って戻ってくると、もう次の時間の授業になっていて、取りに行ったことが全くムダということが結構あったのだった。
さて、実は今もそうなのだが、忘れ物をするのは、私は大得意(?)であった。
「家まで取りに行って来い!」と怒鳴られて、家まで走って帰ったのは一度や二度ではない。
毎週、ひょっとすると毎日のように忘れ物をすることがあった私であった。
そして、家まで走ることになるわけだが、少しでも早く家に帰って少しでも早く学校に戻らなくてはいけないので、通学路ではない近道を走るのが普通だった。
通学路は、直角三角形の直角を挟む2辺のような普通の道。
近道は、直角三角形の斜辺のような道なのであった。
その近道が、実は、この墓場の中を通ることなのであった。
大して怖がりもせず、ダダダダッと走って行き、家で忘れ物を取ってすぐに帰ったものだった。

あの頃、先の写真の真ん中を走っていった。
今、向こうに見える学校の建物は傷んでいて、アイボリーホワイトだったのが今は無残に黒カビが生えたようにくすんでいる。



それも当然だ。
私が小学校5年生の時、つまり50年以上前に建てられた鉄筋コンクリートの校舎は、今はもう閉校してから何年もたち、使われなくなってしまっているのだから。


久々に入り込んだ墓場の中。
そこを走って行き来した少年の自分を想像し、しばらくしみじみした気分に浸った。
伯母の墓参りに行ったついでに、伯母に本当によく世話になっていた子ども時代の自分を思い出していたのだった…。

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初冬を感じつつRUN

2020-12-07 21:27:13 | RUN
ここのところ数週間、どうも腰の調子が悪い。
夜寝るときに、横になって寝返りを打とうと動くと、左腰に痛みが走る。
茶の間であぐらをかいて1日生活しているのがよくないのかもしれない。
日中も、いつもより腰が気になって、正座したり負担にならないように姿勢を変えたりして生活するようにしている。

そんな最近だから、走る回数が減っている。
走ると疲れが今までよりも大きい気がするのだ。
だが、1週間も走らないと、さすがに走りたくてうずうずしてくる。
今日は、朝方は雨だったが、午前中青空が広がった時間帯があった。
ならば、と走り出すことにした。

はじめのうちは腰の違和感がある。
だけれど、走っているうちにそれがなくなっていくのが不思議だ。
さすがに走り込み不足から、いつもより早く息が上がった。

そんななか、今日は走りながら、初冬を感じた。
先週先々週にも走った場所の紅葉は、一部を除いて落葉と化していた。


そして、潟には、非常にたくさんのカモがいた。

水の上だけではない。
岸に上がって休んでいるカモの多いこと。

もともと住んでいたものに、渡ってきた種類のものが加わって、相当の数のカモがいる。
朝夕は、白鳥も、ここで生活する。
この時間帯、白鳥たちは田んぼに餌をあさりに行っている。

そばを走っていっても、ほとんど動かないカモたちだった。

11.5km走り終わるころには、空はすっかり曇ってしまった。
そして、午後からは雨が降った。
雨→晴れ→雨という変わりやすい天気も、新潟の初冬特有の天候。

落葉、カモ、変わりやすい天気。
これらに初冬を感じながら、走ったのであった。
けれども、好きなこと(走ること)をやっている間、腰痛は気にならなかった。
…そうか!
ひょっとすると、腰痛も、初冬―つまり季節の変わり目だから起こっているのじゃないか!?


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1+1が0に見えるような、惨敗 ~アウエー松本山雅戦~

2020-12-06 16:54:21 | アルビレックス新潟
サッカーJ2リーグ第39節、松本山雅対アルビレックス新潟。
隣県だけに、結構多くのサポーターが信州に乗り込んだと聞く。
だが、そんな熱気に反するように、またしても下位に沈んでいる松本山雅に3-1で敗れた。
内容的にも、惨敗。
松本まで応援に行ったサポーターたちは、あまりにもふがいないアルビの戦いぶりにがっかりしたことだろう。

ここのところ数試合、サイドからのクロスで失点している場面の多い新潟。
先日の栃木戦の残像が残っているが、今日も同様にやられ、先制を許す。
そして、前がかりになった裏をとられてキーパーは1対1の局面を迎えてしまい、止められなければ失点となる場面を迎える。
さらに、セルフジャッジしてしまい、ボールウオッチャーになる選手ばかりになったところを、動いている相手選手にやられる。
今日の試合でも、そんな1,2,3点目の取られ方をしてしまった。
千葉戦、愛媛戦の敗戦を思い起こさせるようなシーンでもあった。

せっかく鄭大世が、PKを決めて前半は1-1で終えたというのに、後半、勝ち越された後は、時間はたっぷりあったが、新潟はもうガタガタだった。
気持ちばかり焦っているようで、足が出ない。
セカンドボールは、ほとんど松本の選手に取られてしまった。
足が動かない。
そして、パスがつながらない。
新潟の選手1人に対して、松本の選手は必ず複数でボールを取りに行こうとしていた。
ゴールに迫れる回数も少なかった。

舞行龍が今日はベンチにも入っていなかったように、疲労が蓄積しているのであろうとは思う。
だが、それはどのチームも同じはず。

数試合前までの新潟は、個々の選手の個性を互いに生かし合いながら戦っているので、1+1が3になるような感じだった。
こういうチームは強い、もっと強くなれる、と思って期待でワクワクしながら見ていられた。
だが、今日は、こういう戦い方をしなきゃ、と思うことにこだわり、しかも体が動かない選手が多かった。
互いのよさを生かせず、相手ゴールにも迫れず、1+1が0になっているような、そんな試合を見せられた。
完敗であった。

昇格の望みを失って以降、順位もズルズル落ちていく。
いかんよなあ。
来季につながらない。

ともかく。これで3度目の5連戦も終了。
1週間休んで、残るはあと3試合。
次は、ホーム最終戦だ。
対戦相手は、サスパクサツ群馬。
第1節のアウエー初戦が群馬だったが、ホーム最終戦も群馬。
地元サポーターに、今季一番のいい姿を見せて勝ってほしい、と思うのだが…。

VAMOS NIIGATA !
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「野村克也からの手紙」(野村克也著;ベースボールマガジン社)を読む

2020-12-05 21:11:31 | 読む


ちょっと古くなったが、今年の日本シリーズは、福岡ソフトバンクホークスが、4勝0敗で巨人を圧倒した。
投手陣をしっかりリードして、巨人打線にいいところを全く出させなかったのが、甲斐拓也選手だ。
打つ方でも、効果的なホームランを2本打ったし、攻守にすばらしい力を発揮した。

その甲斐選手が、今年からホークスの「19」番を付けるようになった。
ホークスの19番、といえば、南海ホークスの野村克也氏が強烈な印象を与えた選手だった。
ノムさんこと野村克也氏が入団し、選手として輝かしい実績を残したのは、南海ホークス時代だった。
打者としても、パ・リーグ初の三冠王を獲得したし、捕手としても江夏や江本など多くの投手をよみがえらせるなどした。
ノムさんは、その後監督としても、南海を優勝に導いたり、弱小ヤクルトを日本一にまで引き上げたり、阪神、楽天がその後優勝する下地を作ったりと、手腕は素晴らしかったと思う。

残念なことに、ノムさんは、今年19番を付けた甲斐選手の活躍は見ないまま2月に亡くなってしまったのだった。

ところが、2018年に出された本の中に、甲斐哲也選手にあてた文章もあった。
その本の名前が、「野村克也からの手紙」。
最近、ネットの記事でその本のことを扱っていたので、読んでみたくなり、借りて読んだ。
この本は、ノムさんが野球人生の中で出会った印象的な人々一人一人にあてて書いた手紙で構成されている。
出版された時期は、野村沙知代夫人が亡くなってからおよそ半年後のことだった。
だから、やがて自分も…というような思いで書いたことも伝わってくる。

本の構成は、
① リーダーへ 助言の手紙
  宮本慎也様 稲葉篤紀様 伊藤智仁様 
② 挑戦者へ  激励の手紙
  田中将大様 大谷翔平様 甲斐拓也様 清宮幸太郎様
③ 個性派へ  忠告の手紙
  江本孟紀様 門田博光様 江夏豊様 古田敦也様 新庄剛志様
④ 恩師、友へ 学んだことへのお礼の手紙
  鶴岡一人様 杉浦忠様 稲尾和久様 長嶋茂雄様 王貞治様
⑤ 家族へ   愛の手紙
  母ちゃんへ 克則へ 沙知代へ
⑥ 遺言    日本プロ野球にかかわる人たちへ リーダーの皆さんに

…というような6章21通の手紙でできている。

甲斐選手に対しての手紙では、テスト生≒育成選手、母子家庭、反省する捕手ということで、共感・好意を持ち、「感謝の気持ちをもつ人間は強い」と表記しながら、
「失敗と書いて、せいちょうと読む」
「準備野球、実践野球、反省野球の1日3試合のススメ」
「功は人に譲れ」
などの言葉でエールを送っている。

それ以外の20の手紙も、今までのふれあいや付き合いで起こった事実をもとに、ノムさん自身の学びとしながら、感謝と励ましの言葉を各人に送っている。
印象深かったのは、仕えた鶴岡監督からただ一度、「お前、ようなったな」というたった一言に、大きな自信を抱くことができたことができたということ。
だけど、鶴岡氏からは好かれていなかったということ。
それは、少し悲しかった。
だが、「監督のさり気ないひと言が、選手の自信とやる気を育てる」という言葉は、私自身の人生経験から、心にずしりと響くものがあった。

そして、「家族へ」の章は、夫人との永訣があり、やはり切ないものがあった。

ノムさんの著した本は何冊も読んだし、どれも「ハズレ」がなく、説得力がある。
これからも読むかもしれないが、この本がやはり「遺書」的な存在なのだろうなと実感した。

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寒さに負けずまだがんばっている「ど根性クレオメ」

2020-12-04 22:03:28 | 草木花
7月にここで、コンクリートの隙間に生えた、2本のクレオメについて書いた。

紹介してから、9月にもう一度、8月の洪水にも負けなかったこと、1本は風で倒されたが枯れずに生きようとしていることなども書いた。
コンクリートの隙間から生えて育っているだけではなく、生き続けようとしているのは、なかなかのど根性である。

さて、その後も毎日咲き続け、どんどん背丈を伸ばしていった。
ただ、大きく枝分かれして育ったので、成長や風の影響を受けて、それぞれの枝が重みで裂けてしまう心配があるようになってしまった。
そこで、10月にビニルひもを1本輪にして、枝分かれしたクレオメに掛けてやった。

すると、すごいことに、クレオメが、4つに枝分かれしたもの同士でバランスをとりながら、生き続けようとしているのである。
まさか、強風が吹いても、自分でバランスをとって立ち続けるとは思わなかった。
もし、ビニルひもの輪をかけなければ、完全に裂けてしまうこともあっただろう。

1本のクレオメは、倒れながらも生き続けていたのだが、夜に通った車にひかれて、完全に折り切られてしまい、残念だった。
だが、もう1本は、まだ立ち続け、咲き続けている。

4本あった枝も、風邪などに折られ、2本になってしまった。


今、日に日に寒さが増してきて、冷たい雨が毎日降っている。
クレオメが枯れるのも時間の問題のようにも見える。

どうやら、このまま立ち続け、「クレオメの立往生」となりそうだ。


最後まで、「ど根性クレオメ」を貫いて生き続ける姿に、拍手!
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ヒイラギの花 ~葉のごつさと対照的な可愛い小さい白い花~

2020-12-03 21:28:31 | 草木花
11月に埼玉の家の庭で、クリスマスリースや飾りなどによく使われる木を見た。
その葉は、ギザギザしていて、肌に刺さったり傷つけられたりしそうな気がしてしまう。
よくこんな絵で表される。


その名は、ヒイラギ。
イラスト等では、いつも赤い実がついているのだが、それがどんな花が咲くのか、ということは、今まで考えたことがなかった。
今回、初めてその花を見た。

意に反して、白い可愛い花だった。

ヒイラギは、漢字で表すと「柊」。
冬に花が咲くから、「柊」なのだろうけど、「疼木」とも書くそうだ。
たしかに、葉のふちにうっかり触ると、とげに当たって、ひりひり痛む。

うずくような痛みをもたらす木、なのでヒイラギと名付けられたという。

とげがあることで、生き物から、自分の身を用心深く守るような様子があるから、「用心深さ」という花言葉をもつそうだ。

たしかに、花に近づこうとすると、葉のとげに当たって痛い目にあいそうだ。



堅い葉、突き出たごついとげと対照的な(?)、白く小さい花。
ヒイラギの花は、思いのほか可愛い花だった。



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少し力を抜いて、応援・観戦 ~ホーム栃木戦~

2020-12-02 23:16:55 | アルビレックス新潟
地元紙新潟日報には、月2回、フリーライターの大中祐二さんのコラムが掲載される。
その名も、「大中祐二の 昇格原稿を書きたいんじゃ」。

前節が終わって、アルビレックス新潟のJ1昇格がなくなったが、今回は「戦い抜いた姿に誇り」と題した内容のものが載っていた。

全体の文章が、心から同意でき、さわやかな気持ちになった。
特に最後の方は、感動した。

今季の昇格がなくなった今、心は不思議に穏やかだ。チームが刀折れ、矢尽きるまで戦ったと実感できるからだ。
チームは昇格を目指して戦い続け、ここにたどり着いた。それも、ピッチ内外でさまざまな困難に直面しながら。
下ばかり気にするのではなく、ずっと顔を上げて戦ってきたことが誇らしく、それゆえ強くて確かな達成感を覚える。


今季応援してきたチームの今までを顧みて、思いを代表して言ってくれているような気がした。
さすがライター、心に響くものがあった。

さて、昇格の望みがついえた今、残り5試合、どんな戦いを見せてくれるのか。
期待しかない気分で、少し力を抜いて、ナイトゲームとしてはホーム最終戦となる栃木SC戦に行ってきた。


昇格の望みがなくなったとはいえ、控えメンバーを先発に起用したりはしなかった。

栃木は、とにかくハードワークが信条のチーム。
前からプレッシャーをかけるし、ボールを握れば一気に駆け上がる。
新潟は、ボールを保持し、栃木のプレスをかわしながらゴールに迫ろうとする。
そんなせめぎ合いをしながら、先制したのは新潟。
前半41分、ゴール前で中島が押し込んだ。
栃木の攻勢をしのぎ切れるというのは、チームが成長した証かな?と思ったのだ。


ところが、後半開始から栃木は、前新潟の矢野貴章を起用。

これが、ずばり当たって、後半開始2分にならないところで、矢野の同点ゴールが決まる。
とんでもない「恩返し弾」だった。
それはまだご愛嬌としても、その4分後にゴール前でボールを奪われ、あっという間に逆転された。
1-2から、同点・逆転へ意地を見せたい新潟も選手を3人一挙に代えた。


その執念が実ったときには、アディショナルタイムに入っていた。
交代選手のシルビーニョが、最後に決めて、2-2の振り出しに戻した。

しかし、勝ち越しはならず、またしてもホームで勝ち点3はゲットできずに引き分けた。


試合を見て、来季への課題というと、大きく言って2つ。
〇 つなぐ場面が多いが、つなぐためのつなぎになる場面も多くあること。
  味方選手の動きを見ずに、ボールを失わないことを優先してしまう。
  だから、チャンスなのに、パスを選択してしまうことがある。
  そして逆に、自陣ペナルティエリアでのミスから、安易に失点してしまう。
〇 チャンスで決め切れるようにすること。
  別にきれいでなくてもいいのだ。
  思い切ってシュートを打ち、何人もがゴールに迫るような姿がほしい。
  ゴールに迫る選手が多いと、決め切れるはずだ。
  見ていて、そんなことを思った。

それにしても、矢野貴章。
3試合連続ゴールは、すばらしい。
そして、試合後わざわざサポーターにあいさつをしに来てくれるその誠実さは、もっとすばらしい。

私たちは、貴方の1年前の別れのあいさつを忘れてはいない。
1年前は、J3降格のピンチを迎えていた栃木が、こんなに強くなったのは、貴方の活躍と無関係ではない。
オメキメレ貴章!
これからも、活躍することを祈っているよー!

さて、そんなわけで、今日は、新潟の選手たちと栃木の矢野選手の活躍を楽しんだ試合だったのであった。
森俊介や秋山の出場する姿も見たかったけどね。
あと残り4試合も、楽しませてもらいましょう。
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