信号で止まって街路樹の紅葉に気がつきました。きれいに色づいていました。向こうの山は六甲山です。
μ 六甲山はいまでこそ、“ろっこうざん”と発音されますが、遠い昔は違います。そのむかし、難波の宮から茅渟(チヌ)の海を隔てて“むこう”を見ると山が見えました。“むこう”の山には、百済から日本が漢字を導入してから、「武庫」や「六甲」の字が当てられました。当て字だった六甲が年月が経つうちに、“ろっこう”と読まれるようになりました。
ところで『富士山も記録で最初に登場する奈良時代の常陸国風土記には、「福慈」と書かれている。やや遅れて万葉集では「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」で登場。「富士」と書かれるのは平安時代初期の続日本紀あたりが最初となる。このほか「不死(不老長寿)」「不二(二つとない)」などとも書かれている。』webから引用。
日本の昔からの地名の漢字表記は殆どが万葉仮名の当字ですから、使われている漢字の意味は関係ありません。後世、出来るだけめでたい、いい意味の字が使われるようになってはいきました。古代の“ふじ”という言葉は、列島に広く住んでいた原住系人の言語、アイヌ語で火の山を指す「ふんち」「ぷし」からきていると言う説があります。
μ 六甲山はいまでこそ、“ろっこうざん”と発音されますが、遠い昔は違います。そのむかし、難波の宮から茅渟(チヌ)の海を隔てて“むこう”を見ると山が見えました。“むこう”の山には、百済から日本が漢字を導入してから、「武庫」や「六甲」の字が当てられました。当て字だった六甲が年月が経つうちに、“ろっこう”と読まれるようになりました。
ところで『富士山も記録で最初に登場する奈良時代の常陸国風土記には、「福慈」と書かれている。やや遅れて万葉集では「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」で登場。「富士」と書かれるのは平安時代初期の続日本紀あたりが最初となる。このほか「不死(不老長寿)」「不二(二つとない)」などとも書かれている。』webから引用。
日本の昔からの地名の漢字表記は殆どが万葉仮名の当字ですから、使われている漢字の意味は関係ありません。後世、出来るだけめでたい、いい意味の字が使われるようになってはいきました。古代の“ふじ”という言葉は、列島に広く住んでいた原住系人の言語、アイヌ語で火の山を指す「ふんち」「ぷし」からきていると言う説があります。