藤沢の君が勉強会に参加するため京都に向かったあと、3人は淀屋橋や肥後橋あたりをぶらつきました。その当時はお互いに全く知りませんでしたが、3人は皆このあたりで勤務していたことがあったので、ある意味ノスタルジーウオークでもありました。
○御堂筋と四ツ橋筋の間の淀屋橋周辺には伝統の店や建物がまだ残っています。
トップの画像は「小鯛雀鮨」の有名店。ちょうどご主人が外から戻ってきました。
「小鯛雀鮨」は、ときどき訪問先への手土産に使っていましたが、自家消費用に買って食べた覚えはありません。
大阪工業倶楽部の向こうは鶴屋八幡のお菓子の店。
この花屋で20年ほど前にガジュマルを買いました。今もそれは元気で青々とした葉を茂らせています。昔ここにあったビルの二階に「今橋クラブ」という大きな「雀荘」がありました。同行の一人は昔の自分の戦場を懐かしんでか、店があった場所を見上げてしばし動きませんでした。毎夜連戦連勝だった若き日々を偲んでいたんでしょう、きっと。 時期的には私が今橋クラブに通った20代の日々にやや重なるのですが、幸か不幸か店で鉢合わせすることはありませんでした。一週間のうち6日間、17:05には卓に座ってサイを振っていた・・、何年もの、そんな生活のツケは後々間違いなく廻ってくるもんですね。
花屋の隣の消防署の建物はそのまま流用されていて、右のフランス語の店の名前は「消防署」なんだそうです。ファサードに残る消防署の紅いラムプにご注目!
○御堂筋と四ツ橋筋の間の淀屋橋周辺には伝統の店や建物がまだ残っています。
トップの画像は「小鯛雀鮨」の有名店。ちょうどご主人が外から戻ってきました。
「小鯛雀鮨」は、ときどき訪問先への手土産に使っていましたが、自家消費用に買って食べた覚えはありません。
大阪工業倶楽部の向こうは鶴屋八幡のお菓子の店。
この花屋で20年ほど前にガジュマルを買いました。今もそれは元気で青々とした葉を茂らせています。昔ここにあったビルの二階に「今橋クラブ」という大きな「雀荘」がありました。同行の一人は昔の自分の戦場を懐かしんでか、店があった場所を見上げてしばし動きませんでした。毎夜連戦連勝だった若き日々を偲んでいたんでしょう、きっと。 時期的には私が今橋クラブに通った20代の日々にやや重なるのですが、幸か不幸か店で鉢合わせすることはありませんでした。一週間のうち6日間、17:05には卓に座ってサイを振っていた・・、何年もの、そんな生活のツケは後々間違いなく廻ってくるもんですね。
花屋の隣の消防署の建物はそのまま流用されていて、右のフランス語の店の名前は「消防署」なんだそうです。ファサードに残る消防署の紅いラムプにご注目!