今朝の東京・千葉など関東地方は平地にも雪が積もりました。
船橋社中の社主から頂いた便りです。
「窓を開けると、並んだ鳥達が、いつもの様に空中キャッチのパンを取らないのです。
ひよちゃんをよく見るとしっぽの羽に凍り付いた雪!眠っている間に羽に雪が積もったのでしょうか?
でも、我が家まで飛んできたのは、えらい。」返信メールにこう書きました。
「羽の先に凍った雪がくっついていて飛ぶのは、ものすごいハンディだと思います。よくまあ飛んで来ましたね!!
それにしても鳥は小刻みに体を動かすものと思っていましたが、ぐっすり寝込んでしまうこともあるのでしょうか?
社主の家に行けば食事にありつけると必死のフライト!!いじらしいです!!」
撮影は写真家“栗田 格”さんです。栗田格さんのHPはこちら。
♪楽屋ネタ
東京都江戸川区の今朝の女の子
M会のお付き合いの線から、自分には全く縁遠い三味線や端唄の世界の方々の新年会に
潜り込ませてもらいました。着物の世界がしっかり息づいている空間で、夢心地の時間を過ごしました。








「鈴江」は昭和21年花隈で開業した料亭です。平成17年に花隈から三宮の現在地に移転しました。
神戸新聞から引用;(掲載日:2002/12/17)
シリーズ盛り場ブルース13.世の中、段々せちがらなって
福原の風俗街を離れ、花隈へ向かう。かつて、神戸で花街といえば、この一帯をさした。
坂道にある老舗(しにせ)の寿司屋に寄った。カウンターで杯を手に主人と話す。六十一歳。
中学卒業後、板前修業を積み、三十八歳で父から暖簾(のれん)を託された。
「昔はね、お座敷に出る芸者衆で通りが華やいだ。子ども心にあこがれた」
が、今はその面影はない。料亭、お茶屋、仕出し屋…。戦後五十軒あった店は次々と姿を消し、
二十軒を切る。代わってマンションが建ち、街の風情は様変わりした。
主人の紹介で近くに住む元芸者を訪ねた。八十一歳。「多美枝」の源氏名で、十四歳から五年間、花柳界に身を置いた。
「あのころは芸者が千人近くいてた。お客さんは皇族から財界人までそうそうたる顔ぶれでね、
海軍の山本五十六元帥のお座敷にも出たんよ」
日を替えて、別の女性と会った。現役時は「豆千代」と言った。六十三歳の今、三宮でスナックを経営する。
「海運や造船に勢いがあった時代が懐かしい。ひと晩に四つのお座敷から声がかかった。けど、私が現役をやめた十三年前には、
ほとんどのうなって」
「何でまた?」
「ご時世かな」
さらにこう付け加えた。
「世の中が段々せちがらなって、花街で遊ぶ度量が薄れたんやろね。その上、大会社が本社を東京へ移したでしょ」
地元に検番はなくなった。もしも今、花隈で芸者を呼ぶなら、直接本人に電話するか、別の検番を通してとなる。
ただし三味線などの地方(じかた)はいない。福原などから招く。
郷愁の流れる街を歩きながら、再び寿司屋をのぞく。近くの飲食店仲間がいた。座はこんな話題で盛り上がった。
「景気づけに花隈音頭を復活できんものか」「お座敷で、観光客に芸者の格好をしてもらったらどうやろ」
呼び込みも派手なネオンもない花街の夜が、静かに更ける。
潜り込ませてもらいました。着物の世界がしっかり息づいている空間で、夢心地の時間を過ごしました。








「鈴江」は昭和21年花隈で開業した料亭です。平成17年に花隈から三宮の現在地に移転しました。
神戸新聞から引用;(掲載日:2002/12/17)
シリーズ盛り場ブルース13.世の中、段々せちがらなって
福原の風俗街を離れ、花隈へ向かう。かつて、神戸で花街といえば、この一帯をさした。
坂道にある老舗(しにせ)の寿司屋に寄った。カウンターで杯を手に主人と話す。六十一歳。
中学卒業後、板前修業を積み、三十八歳で父から暖簾(のれん)を託された。
「昔はね、お座敷に出る芸者衆で通りが華やいだ。子ども心にあこがれた」
が、今はその面影はない。料亭、お茶屋、仕出し屋…。戦後五十軒あった店は次々と姿を消し、
二十軒を切る。代わってマンションが建ち、街の風情は様変わりした。
主人の紹介で近くに住む元芸者を訪ねた。八十一歳。「多美枝」の源氏名で、十四歳から五年間、花柳界に身を置いた。
「あのころは芸者が千人近くいてた。お客さんは皇族から財界人までそうそうたる顔ぶれでね、
海軍の山本五十六元帥のお座敷にも出たんよ」
日を替えて、別の女性と会った。現役時は「豆千代」と言った。六十三歳の今、三宮でスナックを経営する。
「海運や造船に勢いがあった時代が懐かしい。ひと晩に四つのお座敷から声がかかった。けど、私が現役をやめた十三年前には、
ほとんどのうなって」
「何でまた?」
「ご時世かな」
さらにこう付け加えた。
「世の中が段々せちがらなって、花街で遊ぶ度量が薄れたんやろね。その上、大会社が本社を東京へ移したでしょ」
地元に検番はなくなった。もしも今、花隈で芸者を呼ぶなら、直接本人に電話するか、別の検番を通してとなる。
ただし三味線などの地方(じかた)はいない。福原などから招く。
郷愁の流れる街を歩きながら、再び寿司屋をのぞく。近くの飲食店仲間がいた。座はこんな話題で盛り上がった。
「景気づけに花隈音頭を復活できんものか」「お座敷で、観光客に芸者の格好をしてもらったらどうやろ」
呼び込みも派手なネオンもない花街の夜が、静かに更ける。