阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

追悼特集 女優 高峰秀子 アンコール  シネヌーヴォ@九条・大阪

2012年11月14日 | 音楽・絵画・映画・文芸
上映日程

上映作品






上映作品の続きはこちら 映画館“シネヌーヴォ”のHP


 高峰秀子 略歴(シネヌーヴォのHPから引用)
◆1924年3月27日、平山錦司・イソ夫婦の長女として北海道函館市に生まれる。4歳の時に母を失い、父親の妹・志げの養女となり東京にやって来る。5歳の時、養父と松竹蒲田撮影所を見学に行くが、この日は偶然『母』の子役のオーディションの日で、養父がその列に加えたことから、審査員で監督でもある野村芳亭により大抜擢される。『母』(29年)は大ヒットし、一躍子役として認められる。

芸名の高峰秀子は、養母が女活弁士として活躍していた時の名前。秀子と命名したのも志げだった。以後、ことあるごとに口をはさむ志げとの葛藤は長く高峰を苦しめるとともに、親族が彼女の収入に頼ることになる金銭関係の問題など、人間への不信感にもなった。養母との関係を知ってか、五所平之助、東海林太郎らが養子にと働きかけるが、養母が尽く反対する。その後も小津安二郎『東京の合唱』(31年)、清水宏『情熱』(32年)、五所平之助『不如帰』(同)など数多くの名匠の作品に出演。37年P.C.L.に移籍。山本嘉次郎の『綴方教室』(38年)は初期代表作になる。

足掛け3年を費やした『馬』(41年、山本嘉次郎)では、天才子役から女優へと成長。助監督を務めた黒澤明に恋心を抱くが、養母の反対で別れさせられた。山中貞雄追悼作品『その前夜』(39年、萩原遼太郎)、大阪でロケをした『花つみ日記』(同、石田民三)や、41年には成瀬巳喜男監督との初主演作『秀子の車掌さん』に出演。演技面では、彼女の明るいキャラクターから「デコちゃん」の愛称でみんなにかわいがられ、戦時下でも明るい娯楽作品が多かった。出征兵の中には高峰のブロマイドを胸に戦地へと旅立った者もおり、戦後の彼女の反戦思想に大きな影響を与えた。戦時中の代表作には『婦系図』(42年)、『阿片戦争』(43年、いずれもマキノ正博)などがある。

◆戦後、東宝争議に際して、争議に反対し、大河内伝次郎、長谷川一夫、原節子、山田五十鈴らと「十人の旗の会」を結成し、その後新東宝に移籍。『春の戯れ』(49年、山本嘉次郎)、『細雪』(50年、阿部豊)、『宗方姉妹』(同、小津安二郎)などに主演。『細雪』の原作者・谷崎潤一郎や日本画壇の巨匠・梅原龍三郎らと親交を結び、可愛がられる。50年フリーとなる。51年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』(木下惠介)に出演。以後木下作品の重要な俳優となる。養母とのごたごたから逃れるように、フランスに半年留学。帰国後、『朝の波紋』(52年、五所平之助)、『稲妻』(同、成瀬巳喜男)と傑作に相次いで出演。53年に五社協定が結ばれるが、フリーであることから、どこにもに拘束されず数々の映画会社の作品に出演。女優としての日本映画の黄金時代に数々の名監督とコンビを組み、大車輪の活躍を見せる。

54年は、国民映画とも呼ばれ、日本中を涙で包み込んだ『二十四の瞳』、続いて『女の園』に出演。いずれも木下惠介の傑作で、キネマ旬報ベストテン1位・2位に輝く。高峰も女優賞を独占。翌55年は成瀬・高峰の最高傑作にして日本のメロドラマ史上に輝く最高峰『浮雲』に出演。その絶頂期、木下組の助監督だった松山善三と結婚。財布を養母に握られていたことから結婚費用がなく、借金しての挙式だった。その後も、日本のトップ女優として企画を選びつつ数々の傑作・話題作に出演。とりわけ、木下惠介と成瀬巳喜男作品には競うように出演(木下作品へは13本、成瀬作品には17本出演している)。61年には夫・松山善三のデビュー作『名もなく貧しく美しく』に出演する。成瀬巳喜男とは「最も相性の合う」監督で、69年に成瀬が亡くなったときは、「私という女優も終わったと思う」と語り、それは「殉死」の気持だったという。

◆79年、木下惠介『衝動殺人 息子よ』の撮影中に、女優廃業を宣言し、引退。同年初のテレビ脚本『忍ばずの女』を執筆。以後、エッセイストとして活躍し、『わたしの渡世日記』『台所のオーケストラ』など多くの著書がある。2010年12月28日、肺ガンにより死去。昭和の時代にあって、日本映画史を体現した大女優であった。2012年、生誕88年を迎えた。
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昨日(11/13)のランチは「トーストとからし菜、焼ソーセージ、ポーチドエッグ&焼かぼちゃ」

2012年11月14日 | ある日のランチ
夜は祝い事があって、ちらし寿司でした。具がざっくりと大きいのでぬる燗の肴になります。

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