同行者がもう20年ほど前から利用していると言うドイツワインの輸入商社がやっているドイツ料理の店「Rote Rose」に行きました。入口から地下に降りていくと店内が広いのに驚きました。ワインも料理もおいしくてまた来ることになりそうです。5人の会食はビールとドイツワインとお喋りで楽しく過ぎました。Mさん、元気にご退院されますように。

オーストリアのリンツで食べて旨かったウインナーシュニッツエルはあちこちのレストランでメニューにあれば必ず試しますが、この店の子牛のカツレツには初めて満足しました。
ザワークラウトはそれほど酸っぱくなかったのは少し残念ですがこの程度にしないとオーダーがなくなるのかもしれません。
阿智胡地亭の「海外あちこち記#34オーストリア篇」から。 1977年10月出張。2000年頃記す。
オーストリアのリンツに本社がある鉄鋼&エンジニアリング会社のフェストに技術の課長と二人で出張しました。韓国の浦項製鉄向け商談に応札した結果、ショートリストに残ったので技術応札仕様書の説明を求められての出張です。商社はM社だったと思いますが、テクネゴのとっかかりなので商社の同行はなくメーカーの我々だけの出張でした。
*リンツの空港で同行の課長のトランクがその日のうちに受取れず、調査を頼んで結局、翌日の便で途中経由したロンドンのヒースロー空港から到着したが、トランクはバールでこじ開けられ中を荒らされ鍵も壊されていた。当時、日本からの手荷物がヒースローでの積み替え時に、軒並みこじ開けられ中の現金が抜かれていた頃だった。日本のツアーの人たちがまだトランクの表に大きくローマ字で名前を書いたり、荷物の中に現金を入れていると思われていた昭和52年頃の話です。トランクの中身は技術資料だけで金目のものはなく、実害はなかったけど不愉快なことでした。彼のトランクは買い替えたばかりの新品で、私のはもう何年も使い古し、宿泊したインドやインドネシアのホテルのベルボーイが宣伝の為に勝手に貼るホテルラベルがべたべた貼られた年代物だったのが、日本人の物とおもわれず、彼らの目をつける対象外になったのかもしれません。
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打合わせが終って、リンツのホテルの近くの食堂で、夕食にウインナーシュニツエルを食べてうまかった話はだいぶ前に書いたことがありますが、この本場の子牛のカツレツはパリっと仕上がっていて本当にうまかった。その後、日本のレストランでメニューにウインナーシュニツエルがあれば必ずオーダーしますが、同じ味に巡り合ったことがありません。向こうでは普通の(おばんざい)でしょうから、何と言う事はない「土地の料理法」がうまさにつながっているのかも知れません。
*仕事が終ってウイーンに出ました。路面電車の走る薄暮の町を歩き、ここで中華メシでなくともと思ったが、英語が通じるかどうかわからん肩の凝るレストランを避けて、ヨーロッパのどこの国にもある支那飯屋に入りました。店の女の子は東洋人のバイトの子で、聞くと声楽の勉強で留学している日本人でした。定番の焼き飯とヤキソバをオーダーし、結構本場の味付けのうまいものでした。ヨーロッパでも、どこも支那飯屋のコックは中国人のオヤジだからまず間違いはありません。
余談ながら、このあいだ日経の夕刊の「旅は未知連れ」というコラムにウイーンの「スシ」店のことが出ていました。90年代に日本人の経営ではない「スシ」店が現れ、数年にして20を越す店がひしめくようになったとある。20数年前には、ウイーンの町には日本飯屋はあったかもしれないが、寿司屋はなかった。
ヘルシーがキーワードとは言えここまで世界を席巻するとは驚くが、これも寿司ロボット、回転すしベルトのハイテク装備の開発、輸出がバックにあってこそらしい。北陸地方のみにいくつかあるこれらのメーカーは商売運営のソフト込みで世界に回転寿司ビジネスをいまだに売り込み中らしい。ロンドン、パリ、モスコーなど経営者は中国人か韓国人が殆どのようだ。
いまやみんなで仲良く平成温泉に浸かって(茹でガエル)になってしまったヤマトンチューは、リスクが一杯の海外で個人ビジネスが出来るのは誰もおらんとで、生意気と言われ今の世間から外されたカブキ(傾き)者の出現を待つしかないかもサー。おらんことはないから楽しみサー。(このところ時に沖縄料理を食するのでウチナンチュー言葉が入り、失礼)
*ウイーンには当時の私の勤務先からJETROに出向していたTさんが駐在されていた。日本から連絡しお願いしていたこともあり、翌日の日曜日に車で市内を案内して頂いた。
印象に残っているのは;
「ウイーンの森」の大木がどこまでも連なるその下の地面に雑草が全くといっていいほどないこと。ずうっと土が見えている。緯度が高いので太陽光のエネルギーが日本なんかと比較にならないほど弱くて、夏でも雑草が生えないのではないかとの説明だった。一口に森といっても、全然違った。オモテは音楽の都ではあるが、実際は東西の情報戦の最前線であると聞いた事。
ベルリンの壁が崩される日が来るなどと誰も想像だにしていなかった頃で、ここに住む西側、東側の各国の人間は表面の職業はいろいろだが、殆どCIAなど全世界の国のインテリジェンス関連の人間だと聞いた。
お上りさんとしては当然、映画「第三の男」で(オーソン・ウェルズ扮する)ハリーの愛人の女性がチターの演奏をバックにコツコツと歩み去った枯れ葉の積もった並木道にも連れて行ってもらったはずだが、こちらはあまり覚えていない。
後はまあ、オーストリア帝国時代の宮殿や大聖堂などヨーロッパの一つの貴族文明の拠点を示す凄い建築物と庭園があったと思うが、8年間の貿易部所属時の海外出張で撮った写真類はこの20年間段ボール箱に全て放り来んだままで整理してないので、おぼろげな記憶であります。