阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

渋谷駅周辺はまだまだ大工事中  複合ビル「ヒカリエ」の展望階、   ’15年一月東京あちこち その7/8

2015年02月15日 | 東京あちこち
両国から中央総武線で新宿へ、新宿で山手線に乗り換えて渋谷。両国駅のホームから見える江戸東京博物館も国技館も雪に煙っていた。

予定の時間より早く渋谷駅に着いたら、駅はまだまだリニューアル中の工事のようで迷路のような通路が四通していた。
 見ると「ヒカリエ」というビジネス商業ビルの案内が出ていたので上から見晴らすのが好きなので上がってみた。







レストラン階を見て回ると那覇の「うりずん」があるのを見つけた。表に出ていたメニューでプライシングを見ると東京の物価の高さを実感する。


『那覇で見たもの』 2006年9月15日掲載

夜はコープコウベの「ステーション」で紹介されていた沖縄料理の店「うりずん」に行きました。地元のグループと観光客でチョー満員でした。

元の武家屋敷の道を歩いていたらガジュマルの根がきれいと言うか怪奇と言うかの模様を描いている場所がありました。
ここまでになるのにどれだけの年数がかかったのかと思いました。

空港から那覇市内へモノレールが走っています。沖縄県では唯一のレールを使った交通機関だそうです。左右をキョロキョロ見るのに忙しかった。

首里城にはいくつも門がありました。これは最初の歓会門(かんかいもん)です。どの門も実戦のための門ではありません。琉球国は中国と薩摩の間に立って、
広く東南アジア貿易で立国する国策を取ったため「尚武」の国ではなく「文の国ー守礼の国」を通しました。
そのためか琉球の武家の礼服は他国であれば文官と見られるに違いない服装です。

復元された首里城の正殿。ベンガラの朱色が建物によくマッチしていました。
沖縄、屋久島、種子島の旅はこちら

☆ちゅら海水族館へ行くため、レンタカーで沖縄道を那覇から北へ走り、終点の許田インターで下りました。
その間、日本の高速を走ってこれだけ次ぎ次ぎと米軍の基地が現われるのは沖縄県だけでしょう。
調べてみると沖縄県の面積の10.7%が米軍の基地になっていました。
又、日本全国の米軍基地のうちほぼ75%が沖縄県にあるそうです。引用ここまで。
2015.02.08 ~ 2015.02.14 閲覧記事数:21437 PV、訪問者数:1470 IP、ランキング:2934 位 / 2127620ブログ
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国宝「桜ヶ丘銅鐸」の複製、      神戸新聞動画報道から

2015年02月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事
1964年に神戸市灘区の六甲山麓で見つかった国宝「桜ケ丘銅鐸」の複製を作り、製造された弥生時代の姿を再現する催しが同市中央区熊内竹中大工道具館であった。
復元された銅鐸の表面には、本物では摩耗し見えにくくなった巻き模様が浮かび上がり、参加した考古学ファンが歓声を上げた。


尼崎の弥生人が信州中野や小田原に移住していた! 公開講座『摂津の弥生時代』by大手前大学史学研究所』  2013年10月28日掲載

募集人員120人だったが希望者多く補助椅子を出して140人になっていた。それでも断ることになったとのこと。早くにメールでエントリーしておいて良かった。
銅鐸は家から歩いて15分ほどの桜が丘で、昭和39年に同時に14個も埋まっていたのが見つかったので、銅鐸が何故埋められていたのかと知りたかった。
当時の社会変動が原因らしいが、諸説の紹介と講師の考察があって納得した。また土器の全国への伝播などなど全く居眠りする暇のないほど惹きつけられるお話だった。













年配の男性が多かったが、女性の聴講者も多く、普段は経験できない集団の中で、あまり使わない脳のあちこちに電流を流してもらう
面白い話を聞かせてもらった。
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