(トップの画像はグリ・アミールの大天蓋と残月)
丸亀市にお住まいのTさんが昨年10月、関西空港からウズベキスタン航空を利用し、ウズベキスタンはタシケント空港にご夫婦で直航されました。
昭和39年ごろのある日「世界中で最も訪ねてみたいところはどこか」を、新婚のお二人で話し合った事があったそうです。
当時はまだ海外旅行などは「夢のまた夢」の時代です。お二人の希望地がたまたま一致しました。それが当時はソ連圏にあったサマルカンドやタシケント、
つまり現在のウズベキスタンだったそうです。
それから何十年も経って、体力などを考えるとそろそろ行かなければと焦りを感じ始めたある日、ウズベキスタンのグループツアー(9泊10日)が目に留まり、
ほぼ1400キロメートルを走る強行軍の旅であることが少し気になったそうですが、迷う暇もなく、あっという間にこれに参加することにされました。
ヒバの城壁。
明け行くヒバ。
ブハラのカラーン・モスク遠望。
カラーン・モスクで声を上げて祈る学生。
遺骸から復元されたウルグ・ベクの顔。
家路に急ぐ人々(タジキスタンの道路)
ウズベキスタンは奥さんにとっては、アムダリア(アム河)とシルダリア(シル河)の流れる大地、そして東西交易と南北交易の交わる地点であり、
ご主人には、わずかの期間に大帝国を築いたティムールと、その孫で天文学に秀で、実の息子に殺されたウルグ・ベクが支配した地域でした。
奥さんは高校時代の人文地理の時間にこれらの地名を耳にし、いっぽう、ご主人は高校時代の世界史の時間にこれらの地名を耳にした、その土地がウズベキスタンでした。
♪このシャープな一連の画像が、常にウエットな空気が流れる日本と言う國の風土との違いを、視覚で瞬時に知覚させてくれます。
青いタイルの大天蓋に昼の白い月、家路にいそぐ人々など全写真に唸りました。灼熱に空気そのものが炎上しているような気配を感じます。
常に水分を含む空気がある日本の自然との異質さを切り取りながらも、やはりここにも太古から人間が住むんだと。東西の文明の灼熱の十字路の地!! 地球は広いですね。
ウズベキスタンの参考情報はこちら。