☆中津さんが6月15日に亡くなられたとお知らせを頂いた。享年85歳。以下のエントリーは2010-09-24に掲載した。追悼の記として再掲載します。☆ 「よう来てくれはった。話も聞いてもろてよかった。 ちょっとキツかったかも知れんけど、あんたのためやと思て言うたんやから、気ィ悪うせんといてや」 3歳から12歳まで旧ソ連のウラジオストックで過ごし、戦後すぐに占領軍の特別電話局で英語と出合って格闘し、 56年から65年まで米国で留学生活をするという、まれな経歴をもつ。 74年に『なんで英語やるの?』で第5回大宅賞を受け作家活動を始めるとともに、「言葉の後ろにある文化を理解することなしに、言葉を学ぶことはできない」という考えから、 異文化コミュニケーションを訓練する未来塾を始め、現在に至る。著書には他に、『母国考』『風のシカゴ』など多数。
力強く生き抜いてきた女流作家の、迫力の戦中戦後史でもあります。 いま中津さんが異文化と向き合った頃よりも、我々の世代は精神力も感受性も発信力も劣化しているように思いました。
そして、マルシアさんという白系ロシア人に育てられて、伝統ロシア文化という、日本以外の知的精神世界があることも、無意識にも知ったからこそ、 福岡でアメリカ人の社会や生活を理解出来て、米軍の電話交換手時代、人種差別の激しい時代のシカゴの留学生生活を、人間として臆することなく乗り切って、 しかもエンジョイできたのだと思います。 例え、変人の父親であっても、その父親に歯向かうことは出来なかったし、しなかった。 彼は彼の父親も、時代に生きるしかなかったことを理解していた。 また、マルシアさんのロシア語で、母親から伝えてもらうのとは違う別の知的精神世界があることも知りました。 ウラジオストックの遊び仲間や、日本人学校で彼女は痛いほど知ったからの発想だと思います。 |
☆2010-08-19ブログ初出。☆ 戦時中の日本で女学生時代を送った。敗戦後はアメリカへ留学し、帰国してから通訳をし、英会話教育に携わり、現在85歳になった。名前を中津燎子さんと言う。 彼女は小さいときから心の中に怒りをもち続けてきた。
webから引用: 戦争とは、自殺のことなんだヨ ”クセあり”老婆のオサラバ伝言! 戦後もたびたび「ああ、またか」と思うことが多いなぁ 私の戦争の記憶は、蝉の声に占領されっぱなしだった。 いよいよ「終わりか」と感じたとき、私の全身に昭和12年に帰国してからの8年間の記憶が一気によみがえり、強烈な憤怒で破裂しそうになった。 「国は国民をそうまでして殺したいか!」「一度でいいから、生きて幸せになれ!と言えないのか」沸騰した鍋のふたがブッ飛ぶように、私は怒鳴っていた。 蝉の声は秋も冬も、戦後もずっと、私の耳の中で響きつづけている。】 実際、何に対して彼女が怒ってきたのか?それをこの本で是非読んで欲しい。 感情をそのまま無思慮にぶちまけることもなく、自分の物差しを持って、真っ当に怒って、その怒りを我慢せずに今日まで生きてきた。 そんな英語教育の現場を踏んで、英語と日本人の深い溝に向き合った著者の言葉の体験、つまり言葉を使うことが生きることだ、を語る口調は軽くはない。 しかしなぜか諧謔の香りも時折文間から上がってくる。文章は読みやすくぐんぐん読み進める。 わずかながらでも共通体験があるので、中津さんの思いが多少なりとも想像できるからかもしれません。 あの時代にこういう生を過ごした日本人がいたことを書いたもので残したいと思われて当然だと思います。 |
中津燎子の英語未来塾から引用(今回追加) “I”と誰の前でも言えるようにならなければ英語にならない。その“I”を言えないんですよ、日本人の99%は。なぜかというと日本語に“I”がないから。 自分を出す「わたくし」というのがないんです。出したとしても、へりくだる“I”です、打ち出す“I”ではないわけ。 自分では恐縮と思ってないんですよ。これはもう持って生まれた我が文化ですのでね。 そこのところをはっきりと、英語はコレ、日本語の場合はコレっていう風にね、使い分けるっていうセンスを持たなくちゃいけない。 そうすると、この“I”というのは基本なんです。自分がこれを言う、あなたに言う。常にそのスタンスをはっきりと掴んだ表現でないと言いたい事が伝わりません。 その要領はね、とにかく誰がしゃべるのか、誰にしゃべるのか、何を、そこをハッキリさせるわけです。 そうすると、こちらは外国人ですので大体みんな間口を広げて聞いてくれるんで、それをキレイに戦略的に利用するんです。 我々は第二言語としてやってるんだから、それでベストを尽くすという態度さえあれば、どんな外国人だって聞く耳を持ってますから。 スピーチしても、全体的に「私は取るに足り無いものでございますが…」なんていうのが音声に入ってきた場合に、相手がいくら間口を広げても聞く熱意を失っちゃうんですね。 受け入れる根気が無いっていうか。 22世紀くらいには日本のカラーが世界に行くかもしれませんけど、とても100年待てないので。さしあたっては覚悟しなくてはいけない。 これまでそれなりに英語をものにしたいと思ってきましたが、全然使いものにならないのは、こういうベースから変えないといけないとは! |
【ミニ解説・玄海原発の安全対策は十分か?】 安全上重要な設備に海水が入らないようにする浸水対策、それに、水素爆発を防ぐための装置の設置といった抜本的な対策が終わるまでには3年程度の期間が必要だとしています。 |
☆九電の担当の課長さんはこれまでいつもやってきたことだから、なんの疑問もなく今回もメールを出したのだろう。下請け業者4社に出したあたりにそれが伺える。 嫌な渡世でも、戦後66年くにたみが作ってきて、いま生きているこの国の現実だ。これから関電や中電、四電がらみの公聴会でも同じように連絡がいくだろうが、 今度からはメールで流すようなヘタはうたないだろう。ピンポイントでの電話の依頼になる。 九州電力が、関連会社に対し、運転再開を容認する立場でメールを送るよう指示していたことが分かりました。 九州電力の眞部利應社長は「説明会の信頼性を損なう結果となった」と述べ、謝罪しました。 この説明会は、地元のケーブルテレビやインターネットで中継され、放送中、メールやファックスでも意見を受け付けました。 関連会社4社に対し、玄海原発の運転再開を容認する立場でメールを送るよう指示していたことを認めました。 眞部社長は「説明会の信頼性を損なう結果となったことを心からおわび申し上げたい」と述べ謝罪しました。 「原子力の安全性を事業者の立場から意見を述べて住民の理解を深めたいと考えた」と答えました。 眞部社長は問題の責任は自分にあるとしましたが、進退については「まだ、そこまで考えていない」と述べるにとどまりました。 さまざまな立場からの率直な意見や質問に答えるという番組の趣旨を損なう言語道断の行為で、番組を主催した経済産業省として極めて遺憾である」という談話を出しました。 関係会社が社員らに対し、一般市民を装って運転再開を支持する意見を寄せるよう指示していたことを明らかにした。公平性が担保されるべき説明会で、 当事者である九州電力が偏った意見形成を意図していたことに批判が起こるのは必至だ。 |
☆全国の幼稚園の連合組織が改革を嫌い、幼児教育よりも経営の既得権を守る運動を長くやってきた。政権交代によりその厚い壁に少しずつ穴が開いてきたが、
ようやく前よりは多少進んだ施策がまとまりそうになってきた。
働く男親、女親たちにとっては、政局がウンヌンよりも、こういう日常生活の改善につながる方策がどんなに重要なことか。 家業が政治屋さんの、二世三世の人らの家庭ではわからない世界だ。☆
全保育所を幼保一体化施設に 政府の新子育て施策最終案 2011/07/06 02:02 【共同通信】 政府の新子育て施策「子ども・子育て新システム」の制度設計に関する最終案が5日、判明した。小学校就学前の子どもに教育を提供するため、 一定期間後にすべての保育所を幼稚園と保育所の一体化施設に移行すると明記した。
近く、少子化社会対策会議で正式決定し、2012年の通常国会に関連法案を提出、13年度からの段階的実施を目指す。 制度実施に先立ち、市町村の意向を施策に反映させやすくするため、労使代表なども参加する「子ども・子育て会議」を設置し具体的な制度設計を検討する。
|
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます