
「キルギス紀行の最後のアルバムは今回の旅の目的の花です。北緯43度、標高2000mの山間に咲く花ですが、一部は乾燥地帯に咲く花もありました。
写真を見たら140種類くらいの花、果実のなる木がありました。豊かな自然が残っています。
6月末にTVで紹介された日本食レストラン/「咲顔」で夕食をとりました。生ビール中ジョッキ180円だったので2杯飲み売上に協力しました。
「咲顔」の現地スタッフ
「咲顔」のママ
「キルギスの話を少ししますね。
(3,000人)
キルギスへの日本人旅行者は2~3,000人/年程度です。日本から直行便はなく、タシケント/ウズベキスタン経由またはモスクワ経由になります。
タシケントには成田から週1便、仁川からは複数便が出ています。
(日本語)
イバラットさんはキルギス民族大学日本語学科(5年制)を卒業、国費留学生として大阪外大で1年、千葉大で4年日本語を学びました。
日本語学科には20人入学したが、3年生くらいになると卒業して日本語を生かせる仕事があるか不安になりロシア語、英語等に変わる人もでできたとのこと。
同期で卒業したのは8人で、3人が日本大使館等政府機関に就職でき、残る5人は海外に留学したそうです。
(ドゥンガン)
中国の回族で19世紀にムスリムゆえの迫害を受けキリギスに移住した人たち。イシククル湖畔の村には中国風モスクを建てています。
他部族と交わらず純血を維持していますが、最近はそうにもいかないことが起こるようですが、親子の縁を切って結婚するとのこと。
ドッンガン人はよく働くことでしられ、農場等の経営者、作業者に向いているようです。もっともキルギス人は遊牧民ですからガムシャラに働くとは思えませんが・・・
ドゥンガンの民家で夕食をとりましたが、あっさりしでスパイスのきいた中華料理で美味しかったです。
(タムガ村)
イシククル湖畔にタムガ村という小さな村があり、サナトリウムがあります。ソ連時代は共産党の幹部、スポーツ選手の保養所でしたが、今はキルギス軍の管理下にあります。
ここの診療所はシベリア抑留者125人が建設に当たりました。気候、村人の支え等もあり125人全員が無事帰国出来たとのこと。
昨年キルギスの国会議員を中心とする調査団が来日して、生存者に聞き取り調査を行ったとのこと。したがってキルギスに日本人墓地はありません。
(アクベシム遺跡)
天山南路、天山北路の合流点の遺跡で、玄奘三蔵が通った場所ですが、現在は原っぱに大きな穴があるだけです。
ここの出土品はサンクトペテルブルクに持っていかれています。遺跡の本格的な調査はこれからの様です。
撮影した沢山の写真はとてもメール添付では送りきれないので、阿智胡地亭さんにキルギスの音楽のBGMをつけて編集したDVDを送りますね。」
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