阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「坂の上の雲」と阿智胡地亭の伊予言葉とのご縁

2022年09月22日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年11月30日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

NHKが事前に大々的に番組紹介をプロモートしていた「坂の上の雲」というテレビドラマを見ました。

今の日本の閉塞状況にカツを入れたいという製作者側の意図も感じましたが、それはそれとして脚本はまともで、

司馬遼太郎の原作を読んだ時と同じように、ドラマも面白く見ることが出来ました。

 加えて個人的には、舞台である松山の伊予言葉が画面に流れるのも、このドラマを楽しむことが出来た理由の一つです。

私が就職した会社で はじめて配属された愛媛県の工場の職場の課には、女子社員が3人いました。

その中に正岡姓の人がいました。しばらく経ってから、ああ、正岡子規の正岡姓だと気がつきました。

 あちこち自分が転々としてきた ほかの土地で、それまで正岡さんという苗字の人に出会ったことはありませんでした。

自分がいま、正岡子規の生まれ育った伊予の国にいるのだと、正岡姓のおかげでその時 強く感じました。

 勤務地は伊予の国の中でも東予と言われるところで、松山がある中予ではありませんでした。

だんだんわかってきたのですが、伊予言葉はやはり国の中心である松山の言葉が雅やかで、東予の言葉は荒っぽい言葉と言われていました。

 しかし、よそ者の私にはそんなことはわからず、2年半ほど職場と工場内の各所で、伊予言葉のシャワーを浴びて毎日を過ごしました。

その後、大阪や東京へ転勤して直接的には伊予言葉とは遠ざかりましたが、仕事の上での日々の工場とのやりとりの中で、

結果的に 結局人生の30年ほどを伊予弁と付き合うことになりましたそれは殆ど偶然から起こったことでした。

 20歳を過ぎて知った言葉ですから、伊予言葉の微妙なアクセントはついに身につきませんでしたが、30年も付き合えば いまでも第2の母語のように伊予弁は身体の中に入っています。

そんなご縁が出来た伊予の国が主な舞台だった「坂の上の雲」の第一回の放映は、俳優さんたちの時に中途半端な伊予アクセントに心中クレームをつけながらも

ドラマの展開と、ドラマの中で話される伊予言葉を懐かしぅ、じんわり楽しんで最後まで見たけんね、えぇ。


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