
高校生の頃、中尾佐助さんが書いた「秘境ブータン」という本を読んで、ブータン人は丹前によく似た衣服を身につけ 注連縄を張って結界にし、弓を引くことが国民共通の楽しみなどを知って親しみを持った。 それから日本だけではなく、日本とそれ以外の国や地域のことに急激に興味を持つようになった。 何となく日本は遅れているという考えからすると、新鮮でまことに嬉しかった。 生産はモノのことと思い込んでいるところへ、実は眼に見えない知的活動のアウトプットに、やり方次第で大いに生産性の差がある、という発想はこれまた新鮮で驚いた。 朝日新聞web「天声人語」2010年7月9日から引用 生態学から文明批評へ、究めた領域と足跡は理系文系の垣を越えて広がる。そしてどの「売り場」も千客万来だった ▼本人を前に、哲学者の鶴見俊輔さんが先見性をたたえたことがある。「過去50年については、私の知る限りで最もよく当たった人です」と。 〈情報産業〉なる造語で今日を見通したのは半世紀近く前。国家を語っても、女性や日本語を論じても眼識は鋭かった ▼「本というのは、しょせん誰かが先に言ったことが書いてあるだけ」と、文献より実地調査を重んじた。世界を歩き回り、自らの耳目で紡いだ新説は独創にあふれ、 時の常識を覆しもする。「梅棹学」の真骨頂だろう ▼欧米への劣等感がくすぶる時代に、ユーラシア大陸の端という共通点から、日欧の文明を対等に論じた。 日本を特殊視する欧米人には「こんな事例は世界史にいくらもある」と反論し、返す刀で優越に浸る日本人を戒めた ▼米国から名高い社会学者が訪れた時である。日本の学者はみな英語で話すのに、梅棹さんだけ通訳を介した。 いぶかるゲストに「私の考えは、私の英語で話すにはデリケートすぎる」。楽しい会話は後輩たちを魅了し、いつも談論風発の中にいた。 ▼65歳で失明するも「雑用が減った」と前を向き、口述で活動を続けた。書斎でもあった国立民族学博物館は、研究資料の扱いを思案中だという。 公開するならひと仕事だ。なにせ梅棹デパート、在庫の量が半端でない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 千里・万博公園の民博(国立民族学博物館)に行く - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)click 国立民族学博物館のウメサオタダオ(梅棹忠夫)特別展の展示click |
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