元の武家屋敷の道を歩いていたらガジュマルの根がきれいと言うか怪奇と言うかの模様を描いている場所がありました。
ここまでになるのにどれだけの年数がかかったのかと思いました。
空港から那覇市内へモノレールが走っています。沖縄県では唯一のレールを使った交通機関だそうです。左右をキョロキョロ見るのに忙しかった。
首里城にはいくつも門がありました。これは最初の歓会門(かんかいもん)です。どの門も実戦のための門ではありません。
琉球国は中国と薩摩の間に立って、広く東南アジア貿易で立国する国策を取ったため「尚武」の国ではなく「文の国ー守礼の国」を通しました。
そのためか琉球の武家の礼服は他国であれば文官と見られるに違いない服装です。
復元された首里城の正殿。ベンガラの朱色が建物によくマッチしていました。
夜はコープコウベの「ステーション」で紹介されていた沖縄料理の店「うりずん」に行きました。地元のグループと観光客でチョー満員でした。
☆ちゅら海水族館へ行くため、レンタカーで沖縄道を那覇から北へ走り、終点の許田インターで下りました。
その間、日本の高速を走ってこれだけ次ぎ次ぎと米軍の基地が現われるのは沖縄県だけでしょう。
調べてみると沖縄県の面積の10.7%が米軍の基地になっていました。又、日本全国の米軍基地のうちほぼ75%が沖縄県にあるそうです。