グラッパ
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グラッパ(Grappa)はイタリア特産の蒸留酒で、ブランデーの一種。ワインを蒸留して作る一般的なブランデーとは違い、ブドウの搾りかすを発酵させたアルコールを蒸留して作る。多くは樽熟成を行わないので無色透明であるが、ブドウの香りを程よく残す美酒。アルコール度数は30から60度。香り付けしたものもある。 イタリアではポピュラーな酒で食後酒としてよく飲まれる。バールにも置かれている。 グラッパは度数が高いためリキュールを作成する際にも使用される。 またイタリア中部では、エスプレッソコーヒーに3~4杯の砂糖を入れてかき混ぜずに飲み、カップの底に砂糖が溜まっているのでそこにグラッパを注ぎ、飲むという変わった方法がある。
EUの法律でグラッパと呼べるものはイタリアで作られたものと決められている。 ブドウの絞り粕をもとに製造するため「かすとりブランデー」といい、フランスのマール(Eau-de-vie de marc)などもこれに含まれるが、長期の樽熟成を経てから製品化される点がグラッパとは異なる。ただし、グラッパでも樽熟成をしたものもある。 グラッパはイタリア全土で作られるが、有名な町としてはヴェネツィアの北西にあるバッサーノ・デル・グラッパがありグラッパによる町興しが盛んである。 この町にはポーリ (Poli) 社によるグラッパ博物館がある。


勿論ごはんはパラパラでなくては。チャーハンの記事はこちらにも。
『■蔵元紹介~高温山廃仕込みに賭ける“超”個性蔵
創業は明治12年だから歴史は比較的新しい。しかしこの蔵は全国でも希な酒造りを行っている。それは「高温山廃仕込み」と呼ばれる酒母の仕込み方である。普通酒は雑菌の繁殖を嫌い一貫して低温で酒造りをするが、この蔵では生の乳酸を使い、それを高温で酒母を仕込むのである。ここでは詳しく説明できないが、それによって非常に力強い、しっかりとしたボディの酒が産まれる。その成果は下の製品説明でも伺えるだろう。その酒たちは十年、二十年と長期の熟成にも絶えうる。当蔵のもっとうは「未来永劫自然醸造」。それゆえ有機栽培米の使用にも熱心で、率先して健康志向の酒造りに取り組んでいる。比較的大人しかった千葉の酒の中で、全国でも異彩を放っている! 』webから引用。
原酒から飲みはじめました。なんとまろやな!!こんな味の日本酒は初めてです。
口に含んだ瞬間、至福を感じました。20年ものはどんな味なのか想像もできません。
つい先日、日経新聞で社長が自社の日本酒の古酒について話した記事を読んだところでした。こんなに早くその酒が飲めるとは思いもよりませんでした!!

JR新三田駅から歩いて5分ほどの距離です。体調不良のため当日プレーはせず電車で忘年会だけに出かけました。阪急西宮北口で阪急宝塚線に乗り換え、宝塚でJR宝塚線に乗り換えました。
(阪急宝塚駅)

(阪急とJRの駅をつなぐ歩道者用デッキ)

(左はこれまでのJR宝塚駅。右は間もなく完成らしい新駅)


(現在のJR宝塚駅)


去年までのメニューはフグコースと決まっていたのですが、今年は経費節約と罰金の合計額との兼ね合いで「寄せ鍋」でした。宴会で前菜などはなく、即鍋というのは初めてでしたが、鍋の味はうまかったです。

余談ながら、三田市には江戸時代に九鬼藩の儒家を勤めた白洲家の菩提寺があり、白洲次郎と正子夫妻はいま当地三田に眠っています。。
Hong Kong Kai Tak Airport (1925 - 1998) 香港機場
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風の強いある日、啓徳空港に着陸態勢に入った飛行機が(もうアパートが横に見えていました)ふたたびエンジンを吹かして上昇に転じたとき、目の前に座っていたスッチー二人が身体を硬くして目をつぶったのを見てしまいました。ミスか何かで着陸をやりなおしたようです。キャビン・アテンダントも初めて体験する事態のようでした。
だいたい、人にイノチ預けている時は、じたばたしてもしゃあないと思うタチですが、さすがにこのときだけは、もしかしたらもうアカンかもと全身が硬直しました。そのときのことを思い出しました。今となっては恐ろし懐かしの思い出です。
For any of you who ever lived in or visited Hong Kong before 1997 and were fortunate to land at the old Kai Tak Airport you will love this!! For any of you who missed this experience you may still get an idea of what skilful pilots were needed to land a large plane on a narrow strip of land that ran out into the Hong Kong Harbour. Often we joked that we could look in the window of apartment 39 B and see what they were having for their supper upon our approach. Someone did a fantastic job of compiling different shots of many flights at various times of the day. Good memories.
The Old Kai Tak Airport in Hong Kong...The Most Exhilarating Landing Experience in The World.
(このYouTubeを紹介して頂いた船橋倶楽部オーナーのメールにあった、オリジナル紹介文を引用しました。)

元S商事ビルの道を隔ててた斜め前のビルの一階でした。おいしいコーヒーやおかきが無料で提供されています。カフェーの中は男女を問わず幅広い年齢構成の人で賑わっていました。帰りについ3袋千円の徳用品を買ってしまいました。
看板のキャッチフレーズに「日本一おいしいおかき」とありましたが、いつもの悪い癖で「日本一かどうかは、そちらさまが前もって決めるんやなしに、食べるほうが決める話やと思うけど」と独りゴチながら、おかきの袋を抱えて店を出ました。
2009年12月8日に掲載したエントリーの再掲載。
1998年7月まで香港の国際空港だった[啓徳空港]。 中国本土の出張の行き帰りなどで、昭和51年から58年までの間、何十回もこの空港に離着陸しました。
着陸しつつある飛行機の窓から、通過中の横のアパートの部屋の夕食のおかずがわかるほど、というのが大げさではない高層アパート群の中に飛行機は突っ込んでいくのです。
なんとも懐かしいです。
Youtube こちら
風の強いある日、啓徳空港に着陸態勢に入った飛行機が(もうアパートが横に見えていました)ふたたびエンジンを吹かして上昇に転じたとき、
目の前に座っていたスッチー二人が身体を硬くして目をつぶったのを見てしまいました。
ミスか何かで着陸をやりなおしたようです。キャビン・アテンダントも初めて体験する事態のようでした。
だいたい、人にイノチを預けている時は、じたばたしてもしゃあないと思うタチですが、さすがにこのときだけは、もしかしたらもうアカンかもと全身が硬直しました。
この動画を見てそのときのことを思い出しました。今となっては恐ろし懐かしの思い出です。
For any of you who ever lived in or visited Hong Kong before 1997 and were fortunate to land at the old Kai Tak Airport you will love this!! For any of you who missed this experience you may still get an idea of what skilful pilots were needed to land a large plane on a narrow strip of land that ran out into the Hong Kong Harbour. Often we joked that we could look in the window of apartment 39 B and see what they were having for their supper upon our approach. Someone did a fantastic job of compiling different shots of many flights at various times of the day. Good memories.
The Old Kai Tak Airport in Hong Kong...The Most Exhilarating Landing Experience in The World.


好物のポテトサラダはバルサミコ酢を使っているのでやや浅黒ながら、ポテサラにはもうこの酢は欠かせません。貝割れとハムを巻いた生春巻きサラダ、リブステーキ、ローストビーフに付け合せはオカひじきとボイルしたキノコ。若者向けの洋風メニューなので、当方は量で調整しました。スープはブイヤベース風。
上の画像は震災前までは最上階に“第一楼”があった明海ビルの前から海岸の方角のショット。第一楼は、神戸の旧知を夫婦で訪ねた庄野潤三の小説「早春」に出ています。
全壊して新築された明海ビルのテナントはすっかり入れ替わったようです。この二つの店に客の姿はありませんでした。


通りに面したブランドの店のディスプレーはクリスマスツリー。


このビルの先に日本郵船の元神戸支店のレトロなビルがあります。
写真のビルは戦後から長く、S商事の神戸支店のビルでした。親しくなった方が課長職になり、転勤で出られて今度は支店長で戻って来られるほど長い間、仕事で大阪からこの支店に通ったのでビルも懐かしい。もう売却されているようですが、個人的にはいつまでも残って欲しい建物です。

数年ぶりに会場を歩きましたが、当初の規模よりは縮小されているように見えました。以下点灯前のルミナリエのスケルトンです。





明海ビルのオフィスから6時半ごろ出ると、会場はもう点灯されていました。

神戸新聞撮影の点灯された会場のYouTubeはこちら

阪急百貨店の大リニューアル工事も外観はかなり完成に近いように見えました。
右の建物は阪神百貨店。

大阪で用事が終わってから、阪神電車で神戸に移動しました。阪神西宮駅で、なんば線経由尼崎駅から阪神線に乗り入れてきた、奈良発三宮行きの近鉄電車の車両をみかけました。
