買い物があって神戸・元町に出ました。南京町の催しイベント広場は京劇の
衣装をつけた人たちの演技をやっていましたが、とても近づけませんでした。
写真は通りのシーンのみです。


元町商店街もデコレーションで盛り上げていました。

衣装をつけた人たちの演技をやっていましたが、とても近づけませんでした。
写真は通りのシーンのみです。


元町商店街もデコレーションで盛り上げていました。

太陽酒造に行くためにJR明石駅で下りて、山陽電車に乗り換えました。明石には10年ぶりに来ましたが、
JRと山陽電車が同一のターミナルビルになるなど大きく変わっていました。


新快速に乗ると三宮から明石までたったの15分!こんなに近かったのかとびっくりしました。
明石は中学校の教科書で「子午線(東経135度)のまち」と知っていましたが、駅に近づくと天文台に
そう書いてあるのが見えました。

駅の向こうにすぐ城跡があるのは福山城址に接近しているJR福山駅と明石駅が双璧です。







JRと山陽電車が同一のターミナルビルになるなど大きく変わっていました。


新快速に乗ると三宮から明石までたったの15分!こんなに近かったのかとびっくりしました。
明石は中学校の教科書で「子午線(東経135度)のまち」と知っていましたが、駅に近づくと天文台に
そう書いてあるのが見えました。

駅の向こうにすぐ城跡があるのは福山城址に接近しているJR福山駅と明石駅が双璧です。








今朝の東京・千葉など関東地方は平地にも雪が積もりました。
船橋社中の社主から頂いた便りです。
「窓を開けると、並んだ鳥達が、いつもの様に空中キャッチのパンを取らないのです。
ひよちゃんをよく見るとしっぽの羽に凍り付いた雪!眠っている間に羽に雪が積もったのでしょうか?
でも、我が家まで飛んできたのは、えらい。」返信メールにこう書きました。
「羽の先に凍った雪がくっついていて飛ぶのは、ものすごいハンディだと思います。よくまあ飛んで来ましたね!!
それにしても鳥は小刻みに体を動かすものと思っていましたが、ぐっすり寝込んでしまうこともあるのでしょうか?
社主の家に行けば食事にありつけると必死のフライト!!いじらしいです!!」
撮影は写真家“栗田 格”さんです。栗田格さんのHPはこちら。
♪楽屋ネタ
東京都江戸川区の今朝の女の子
M会のお付き合いの線から、自分には全く縁遠い三味線や端唄の世界の方々の新年会に
潜り込ませてもらいました。着物の世界がしっかり息づいている空間で、夢心地の時間を過ごしました。








「鈴江」は昭和21年花隈で開業した料亭です。平成17年に花隈から三宮の現在地に移転しました。
神戸新聞から引用;(掲載日:2002/12/17)
シリーズ盛り場ブルース13.世の中、段々せちがらなって
福原の風俗街を離れ、花隈へ向かう。かつて、神戸で花街といえば、この一帯をさした。
坂道にある老舗(しにせ)の寿司屋に寄った。カウンターで杯を手に主人と話す。六十一歳。
中学卒業後、板前修業を積み、三十八歳で父から暖簾(のれん)を託された。
「昔はね、お座敷に出る芸者衆で通りが華やいだ。子ども心にあこがれた」
が、今はその面影はない。料亭、お茶屋、仕出し屋…。戦後五十軒あった店は次々と姿を消し、
二十軒を切る。代わってマンションが建ち、街の風情は様変わりした。
主人の紹介で近くに住む元芸者を訪ねた。八十一歳。「多美枝」の源氏名で、十四歳から五年間、花柳界に身を置いた。
「あのころは芸者が千人近くいてた。お客さんは皇族から財界人までそうそうたる顔ぶれでね、
海軍の山本五十六元帥のお座敷にも出たんよ」
日を替えて、別の女性と会った。現役時は「豆千代」と言った。六十三歳の今、三宮でスナックを経営する。
「海運や造船に勢いがあった時代が懐かしい。ひと晩に四つのお座敷から声がかかった。けど、私が現役をやめた十三年前には、
ほとんどのうなって」
「何でまた?」
「ご時世かな」
さらにこう付け加えた。
「世の中が段々せちがらなって、花街で遊ぶ度量が薄れたんやろね。その上、大会社が本社を東京へ移したでしょ」
地元に検番はなくなった。もしも今、花隈で芸者を呼ぶなら、直接本人に電話するか、別の検番を通してとなる。
ただし三味線などの地方(じかた)はいない。福原などから招く。
郷愁の流れる街を歩きながら、再び寿司屋をのぞく。近くの飲食店仲間がいた。座はこんな話題で盛り上がった。
「景気づけに花隈音頭を復活できんものか」「お座敷で、観光客に芸者の格好をしてもらったらどうやろ」
呼び込みも派手なネオンもない花街の夜が、静かに更ける。
潜り込ませてもらいました。着物の世界がしっかり息づいている空間で、夢心地の時間を過ごしました。








「鈴江」は昭和21年花隈で開業した料亭です。平成17年に花隈から三宮の現在地に移転しました。
神戸新聞から引用;(掲載日:2002/12/17)
シリーズ盛り場ブルース13.世の中、段々せちがらなって
福原の風俗街を離れ、花隈へ向かう。かつて、神戸で花街といえば、この一帯をさした。
坂道にある老舗(しにせ)の寿司屋に寄った。カウンターで杯を手に主人と話す。六十一歳。
中学卒業後、板前修業を積み、三十八歳で父から暖簾(のれん)を託された。
「昔はね、お座敷に出る芸者衆で通りが華やいだ。子ども心にあこがれた」
が、今はその面影はない。料亭、お茶屋、仕出し屋…。戦後五十軒あった店は次々と姿を消し、
二十軒を切る。代わってマンションが建ち、街の風情は様変わりした。
主人の紹介で近くに住む元芸者を訪ねた。八十一歳。「多美枝」の源氏名で、十四歳から五年間、花柳界に身を置いた。
「あのころは芸者が千人近くいてた。お客さんは皇族から財界人までそうそうたる顔ぶれでね、
海軍の山本五十六元帥のお座敷にも出たんよ」
日を替えて、別の女性と会った。現役時は「豆千代」と言った。六十三歳の今、三宮でスナックを経営する。
「海運や造船に勢いがあった時代が懐かしい。ひと晩に四つのお座敷から声がかかった。けど、私が現役をやめた十三年前には、
ほとんどのうなって」
「何でまた?」
「ご時世かな」
さらにこう付け加えた。
「世の中が段々せちがらなって、花街で遊ぶ度量が薄れたんやろね。その上、大会社が本社を東京へ移したでしょ」
地元に検番はなくなった。もしも今、花隈で芸者を呼ぶなら、直接本人に電話するか、別の検番を通してとなる。
ただし三味線などの地方(じかた)はいない。福原などから招く。
郷愁の流れる街を歩きながら、再び寿司屋をのぞく。近くの飲食店仲間がいた。座はこんな話題で盛り上がった。
「景気づけに花隈音頭を復活できんものか」「お座敷で、観光客に芸者の格好をしてもらったらどうやろ」
呼び込みも派手なネオンもない花街の夜が、静かに更ける。
明石市江井ヶ島に「太陽酒造」という小さな小さな酒造会社があります。従業員は社長夫婦と勤務6年目の若衆一人。
千石蔵で一升瓶を年に10万本作る能力はありますが、純米酒の最高級品だけをつくるため、材料米の山田錦の質量からのしばりもあって
生産量を押さえているとのことでした。試飲したのは澄んだ上澄みと白く濁ったふなくちの2種類。あっさりしているのにコクがあって
確かに別物の日本酒でした。





千石蔵で一升瓶を年に10万本作る能力はありますが、純米酒の最高級品だけをつくるため、材料米の山田錦の質量からのしばりもあって
生産量を押さえているとのことでした。試飲したのは澄んだ上澄みと白く濁ったふなくちの2種類。あっさりしているのにコクがあって
確かに別物の日本酒でした。






○冬のほうれん草は葉が広がって厚い。緑色が濃くてきれいだ。
エノキもジャガイモもタマネギも冬の野菜は甘くておいしい。
○ひさしぶりのコロッケだった。ブロッコリーの緑が美しい。

2012.01.15 ~ 2012.01.21
閲覧数: 11456 PV
閲覧者数: 1980 IP
gooブログランキング: 2859 位 / 1675324ブログ
エノキもジャガイモもタマネギも冬の野菜は甘くておいしい。
○ひさしぶりのコロッケだった。ブロッコリーの緑が美しい。

2012.01.15 ~ 2012.01.21
閲覧数: 11456 PV
閲覧者数: 1980 IP
gooブログランキング: 2859 位 / 1675324ブログ
Chloe saying "bye" at the Copley Place Mall
Copley Place Mallはボストンにあるモールです。

Copley Place Mallはボストンにあるモールです。

Ryu兄と十三の〝第7芸術劇場〟で「無言歌」を観たあと、〝やまもと〟でねぎ焼きを食べ、居酒屋〝丸一屋〟で軽く熱燗を飲りながら、今見た映画の話を暫く楽しんだ。そのあとRyu兄と別れ、淀川通りを歩いてJR神戸線の塚本駅まで歩いて電車に乗り、六甲道駅に戻った。
その途中、何人かの友人・知人が卒業した府立北野高校の前を通った。北野高校が十三にあるのは知っていたが場所を特定したのは
今回が初めてだった。北野高校は旧制中学時代は淀川の向こうの中津にあったらしい。



漫歩計:9120歩
♪楽屋ネタ
その途中、何人かの友人・知人が卒業した府立北野高校の前を通った。北野高校が十三にあるのは知っていたが場所を特定したのは
今回が初めてだった。北野高校は旧制中学時代は淀川の向こうの中津にあったらしい。



漫歩計:9120歩
♪楽屋ネタ


十三の「第7芸術劇場」で中国国内で上映禁止になった映画「無言歌」を見た後、「やまもと」の前の人の列も
終わっていたので、初めて入ってみた。それなりの有名店が映画館の入っているビルの斜め前の空き店に、昨年9月に新規オープンした。
私はイカねぎ焼きを、Ryu兄はブタねぎ焼きをオーダー。旨かった。食べ終わっての二人の感想は同じだった。
「旨いけど950円は高いわ。750円やったら次もまた来るけどなぁ」



映画は国のためになることなら何でも言ってくれ、百家争鳴でいいからと言われて、当時の毛沢東支配共産党を批判した
人々が受けた迫害と苦難を描いている。沢山の人が改善のための発言をしたが、その翌年毛沢東は突然方針を180度変えて、発言者を捕らえ
思想改造という名目で強制労働のため辺境の農場キャンプに送り込んだ。そのためキャンプでは多くの人が病死や餓死をした。
この映画はかろうじて生き残った一人が、鎮魂と記録のために書いた本を原作に作られている。
人は人にここまで酷いことが出来る生き物だと示し、そしてまたその中にも必ず人間の心を持つ人もいることを描いている。
中国と言う国に住む人たちのしんどさは凄いが、それは別に中国だけのものではないことも、別の意味で透けてみえた。
終わっていたので、初めて入ってみた。それなりの有名店が映画館の入っているビルの斜め前の空き店に、昨年9月に新規オープンした。
私はイカねぎ焼きを、Ryu兄はブタねぎ焼きをオーダー。旨かった。食べ終わっての二人の感想は同じだった。
「旨いけど950円は高いわ。750円やったら次もまた来るけどなぁ」



映画は国のためになることなら何でも言ってくれ、百家争鳴でいいからと言われて、当時の毛沢東支配共産党を批判した
人々が受けた迫害と苦難を描いている。沢山の人が改善のための発言をしたが、その翌年毛沢東は突然方針を180度変えて、発言者を捕らえ
思想改造という名目で強制労働のため辺境の農場キャンプに送り込んだ。そのためキャンプでは多くの人が病死や餓死をした。
この映画はかろうじて生き残った一人が、鎮魂と記録のために書いた本を原作に作られている。
人は人にここまで酷いことが出来る生き物だと示し、そしてまたその中にも必ず人間の心を持つ人もいることを描いている。
中国と言う国に住む人たちのしんどさは凄いが、それは別に中国だけのものではないことも、別の意味で透けてみえた。