阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

楠公会館の昼食会に参加した。

2018年01月13日 | 神戸あちこち
11月と12月の昼食会は欠席したので3か月ぶりの昼食会だった。
恒例の新年の最初の講演をされたのは今年93歳になられる新野幸次郎先生だ。
演題:「資本主義が生き残る条件」は今の時世にぴったりのお話で、
AIが社会にもたらした変化に人間はどう対処できるのかあるいは出来ないのか
一筋縄ではいかないお話だった。




楠公会館は湊川神社の境内にある。今年は喪中なので湊川神社の参詣は控えた。
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蝋梅がようやく咲き始めた!

2018年01月12日 | 花・草・木・生き物
いつもの年なら年末から咲きだすのだが今年はかなり遅い。
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阪神御影で散髪したあとガード下の商店街で焼き鳥を買った

2018年01月11日 | 神戸あちこち








2008年から通ったこの店も今回が最後になりそうだ。店の人にお礼とお別れの挨拶をして店を出た。

☆この店にお世話になる前はドイさんにずっとやってもらっていた

 床屋のドイさんにサヨナラを・・・ 2003.5.08記

4月も終りのある日 昼休みが終って事務所の席に座ると 床屋さんから
お電話ですと言われた。床屋から電話をもらうとは誰からで、何だろうと首をひねりながら受話器を取った。

「ビルの床屋のドイです。えらい急な話やけどワタシ4月一杯でココ止めますねん。
今日来はったHさんから阿智胡地亭さんの会社の電話番号教えてもろたんで電話したんですわ。
長い事お世話になったお客さんも仰山いてはるから、黙って止めるんもなんやし、社長に言うて5月21日まで勤めさせてもらうことにはしたんです。
そやからそれまでに来られるんやったら前日に電話して、時間を言うてください。」
と言って電話は切れた。

いつもは当日電話で予約して行くのだが、今回は連休前に電話を入れておいた。
堺筋本町から淀屋橋までは、20分ほどで歩くのにちょうどいい距離だ。

ドイさん担当の椅子に座ると「来てもろて有難うございます。電話で言いましたけど、急やけど
やめる事になったんですわ」と言った。「始めあれば終りあり、ですか」と返すと「そうなんですわ」
と言って、こうなった経緯や今後の事を、しかし散髪の手は休めず話し出した。

ドイさんにはもう16年の間、髪を切ってもらっている。何も言わずに椅子に座れば、
後は寝込んでもちゃんとやってくれる。夏季、汗かきの私が入室するとさりげなく
クーラーの温度も操作してくれ、濡れタオルを出してくれる。整髪料は私が家で使っている
のと同じものをキープしてくれている。広島時代も月に一回の大阪での会議の日にやって
もらって結局ほとんど16年間毎月続けてやってもらった事になる。

この理髪店は先代が店の社長の時にこのビルに入り込んで、昭和43年に私が新居浜から
転勤で来た頃は広い面積をとって営業していた。今回ドイさんに聞いたら当時は理髪椅子が
12台あり理容師が15人居たという。それでも一日中フル回転だったそうだ。ドイさんは昭和
44年に入店したとのことで、それから34年ビルの地下の職場で働いた事になりますと言った。

昭和62年に転勤で東京から大阪に戻り、再度、ビルの理髪店に行き出した頃は理容師は
5、6人になっていたが、行き出してすぐドイさんを指名するようになった。理由ははっきりは
覚えてないがこちらの状態を見て、床屋政談をしたり、眠りたい時はずっと眠らせてくれたり
と色々あったが、やはりウデが良かったのだ。口八丁手八丁で客あしらいもうまかったけど。
 本人の自慢は「カットした後の最初の一週間は、職人の誰がやってもおんなじやけど、
それからが違いまんねん。そっからのモチ(持ち)が違うんですわ。ワタシは一人一人の頭の恰好を
見て全部カット変えてますから」という事で、私はそれはその通りだと実感していた。

退職するにいたった大きな理由は「この仕事はやっぱり刃物を使いまっしゃろ、まだまだ自信は
ありまっけど、もしこっちが手えでも滑って怪我でもさしてから止めるのはいややし。」
 という事だったが、それは自分が納得するため自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
ドイさんの話しから推測すると、理髪室はここのところ3人の理容師でやってきたが、ビルの就業
人口の減少から、来店客数が減り続け、いまや理容師は二人で充分という事になり、店の社長から
ドイさんに退職勧奨があったようだった。 ドイさんの話しに、何で私がやめないかんねん
という思いが時々覗いているような気がした。彼は負けん気の強い、ずうっと自分の仕事に誇りを
持っていた男だった。

頭を黒く染めているのは知っていたが、肌の色はピンク色で艶々しており、顔にはしわ一つ無い。
自分よりちょっとくらいは年上かと想像しながら散髪が終って椅子をたつ直前に、
「若こうに見えるドイさん、時においくつになったん?」と聞いたら、67歳ですわとの答えだった。
とてもその年には見えない。頭のサエもなんら変わらず、腕もまだまだやれると思った。
 
後は家ででも床屋やるんと聞くと、ハサミはもう握らないと言った。

昭和44年頃は名前は知らなかったが、なんとなくその頃から彼に見覚えがあり、
昭和62年からは毎月一回はバカ話や床屋政談や居眠りをさせてもらった。また彼は
元の勤務先のOBや知人の動向の情報センターでもあった。  
 にしても長い付き合いになっていたものだ。

 
そんなことで阿智胡地亭さんには長いことお世話になりました。
いや、こちらこそお世話になりました。私もちょうどこの6月で会社終りです。
そうでっか、このビルに来たんは阿智胡地亭さんが一年違いの先輩で退職が
一緒の年やなんてまあご互いご縁があったちゅうことですわな。
そういうことや。ほなお元気で。
お元気で。ご縁があったらまたどっかで会えまっしゃろ。

こんな会話を交わしたあと、用意していった気持ちだけの餞別を渡して店の外に出た。        

 

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カレーラーメンを阪神御影の「喜多楼」で試してみた。

2018年01月10日 | 食べる飲む
カレーラーメンはこれまで江戸川区の大衆中華料理店で食べたのが一回目だった。日本人はカレーをうどんで試しラーメンともコラボする応用力が凄い。
玉ねぎがたっぷりで楽しい食べ物だった。完食した。またオーダーしそうだ。


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新幹線の中からきれいに富士山が見えたそうです。

2018年01月08日 | 身辺あれこれ
12月26日の富士山だそうです。写メールが届きました。
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昨日と今日の夕飯は豚しゃぶとタコ飯に麻婆豆腐

2018年01月05日 | ある日の肴/夕食
酒はお燗をした紹興酒

明日からまた自分でメニューを考える日が続く。
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寒いけど元気です! 頑張れ!!一歳半の女の子

2018年01月04日 | 身辺あれこれ
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おいしく食べています。居酒屋❝e❞の日々のメニュー

2018年01月04日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食






平川農園産の下仁田ネギとかしわがよく合った。

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小説家「庄野潤三」さんの奥様千壽子さんが亡くなられていた。

2018年01月03日 | 乱読は楽しい

阿智胡地亭が50年以上読んでいる作家は庄野潤三さんと野坂昭如さんだ。
庄野潤三さんは一家のことやご近所の事、住まいやその周辺のことをよく題材にされた。
 そのせいかご本人や奥さん子供さんはまるで知り合いの人のように自分の胸の内に住んでいる。
夫亡きあと千壽子夫人はどうされているか気になっていたが、今日次のようなコンテンツを知った。

 ⇒
2017/12/01 (Fri) 09:50:30
新年のご挨拶に代えて

こちらのサイトに初めて連絡する庄野潤三の長男、庄野龍也と申します。
亡くなって八年以上になりますが、今なお、父の作品を懐かしみ、また新しい発見を共有して下さっている皆様方にまずは深くお礼を申し上げます。またこのような読者の皆様の交流の場を作ってくださった管理人様にも改めて家族一同の感謝をお伝えします。


さて、父は生前家族がマスコミに出ることを極力避けてきました。
私どももその遺志を守って参りましたが、年の瀬にあたり一つだけお伝えしなければならないことがあります。
去る6月2日に母、千壽子が永眠(享年91歳)致しました。最後は自宅でという母の希望通り、父と同じように生田の家で家族に囲まれて、穏やかな晩年を送る中、静かに旅立ちました。

なお、「山の上の家」の今後の利用については、敷地内に居を構える龍也家族が中心となり何らかの形で読者の皆様のお役に立つ方法がないか模索中です。例えば、父の仕事の現場に直接触れることで、作品への理解を深めて頂くようなことが出来ないかと考えています。

これからも皆様の傍らに父の作品があり、日々の生活に彩を加える一助として頂けるなら家族として優る幸せはございません。
どうか良き一年をお過ごしになられますように。

                 平成29年12月1日
                       庄野龍也
                       今村邦雄
                       今村夏子

引用元

 庄野潤三さんの本をどうするかは別にして、古本屋巡りもして購入した本を記録に残すことにした。









庄野潤三」。
1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。

kotobank.jp

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
小説家。大正10年2月9日大阪に生まれた。兄に児童文学作家庄野英二がいる。父貞一の創立した帝塚山(てづかやま)学院の小学部から、住吉中学、大阪外国語学校を経て九州帝国大学法文科で東洋史を専攻する。中学時代の国語教師に伊東静雄がおり、大学時代は島尾敏雄(としお)、林富士馬(ふじま)(1914―2001)らと交わり、1943年(昭和18)同人誌『まほろば』を刊行した。同年、戦時(第二次世界大戦)の繰り上げ卒業のあと、海軍予備学生から少尉に任官、伊豆で敗戦を迎えた。復員後、大阪府立今宮(いまみや)中学、市立南高校などに勤務するかたわら、1946年(昭和21)島尾、林らと同人誌『光耀(こうよう)』を創刊。『愛撫(あいぶ)』(1949)、『舞踏』(1950)などで注目される。朝日放送に入社後、1953年東京支社に転勤し、安岡章太郎、吉行淳之介(じゅんのすけ)らいわゆる「第三の新人」の仲間に加わった。『プールサイド小景』(1954)によって第32回芥川(あくたがわ)賞を受賞。
 初期の作品は、小市民の家庭の微妙な危機があらわされている。長編『ザボンの花』(1956)あたりからその危機は作品の背後に潜められるようになった。1957年(昭和32)ロックフェラー財団の奨学金を得てアメリカに留学、『ガンビア滞在記』(1959)を得た。このころ「第三の新人」たちの同様なアメリカ留学が続いた。さらに『静物』(1960)によって新潮社文学賞を受賞したあたりで名声は定まった。『浮き燈台(とうだい)』(1961)、『流れ藻(も)』(1967)、『紺野機業場』(1969。芸術選奨)などは聞き書き風の作品であるが、徹底して事実に即し、自分の見聞したことだけを書くという姿勢に貫かれている。『夕べの雲』(1965。読売文学賞)は、多摩丘陵の一角に居を構えた夫婦と子供たちのささやかに平和な日常を、細心のいたわりをもって描く。庄野文学の本領である。この作風は『絵合せ』(1971。野間文芸賞)、『明夫と良二』(1972。赤い鳥文学賞、毎日出版文化賞)と続いている。
 1970年代後半から80年代には、アメリカ留学の回想である『シェリー酒と楓(かえで)の葉』(1978)や『ガンビアの春』(1980)を、またイギリス旅行を機に『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(1984)を発表した。『ぎぼしの花』(1985)、足柄(あしがら)山の雑木林の中の一家の生活を描く連作小説『インド綿の服』(1988)などもある。1990年代以降になると、孫とのふれあいや老夫婦の生活などをテーマとするものが多くなる。『さくらんぼジャム』(1994)、『貝がらと海の音』(1996)、『ピアノの音』(1997)、『せきれい』(1998)、『庭のつるばら』(1999)、そして『夕べの雲』から35年の月日が流れ、2人になった多摩丘陵の老夫婦の暮らしを描く『鳥の水浴び』(2000)へと続く。その後の作品に『山田さんの鈴虫』(2001)、『うさぎのミミリー』(2002)などがある。
 なお、『クロッカスの花』(1970)、『エイヴォン記』(1989)などの随筆や、師友を回顧する『文学交遊録』(1995)もある。1973年(昭和48)芸術院賞受賞。78年芸術院会員となる。[鳥居邦朗]
『『庄野潤三全集』全10巻(1973~74・講談社) ▽『浮き燈台』(1979・新潮社) ▽『シェリー酒と楓の葉』(1978・文芸春秋) ▽『ガンビアの春』(1980・河出書房新社) ▽『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(1984・新潮社) ▽『ぎぼしの花』(1985・講談社) ▽『エイヴォン記』(1989・講談社) ▽『さくらんぼジャム』(1994・文芸春秋) ▽『ピアノの音』(1997・講談社) ▽『せきれい』(1998・文芸春秋) ▽『庭のつるばら』(1999・新潮社) ▽『鳥の水浴び』(2000・講談社) ▽『山田さんの鈴虫』(2001・文芸春秋) ▽『うさぎのミミリー』(2002・新潮社) ▽『明夫と良二』(岩波少年文庫) ▽『ガンビア滞在記』(中公文庫) ▽『プールサイド小景』『文学交遊録』『貝がらと海の音』(新潮文庫) ▽『夕べの雲』『絵合せ』『紺野機業場』『インド綿の服』(講談社文芸文庫) ▽『ザボンの花』(角川文庫)』
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生田緑地で庄野家の方々を思う。→ こちら。

 

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秋田犬とワンワン散歩初め 発祥の地・大館市で

2018年01月03日 | ゲストルーム
秋田犬とワンワン散歩初め 発祥の地・大館市で
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今年もきました。ヒヨちゃん、スーちゃん。    船橋社主から初荷が届きました。!

2018年01月02日 | 船橋社中
船橋社中の社主さんから初荷が届きました!
⇒今年もきました。ヒヨちゃん、スーちゃん。
メジロは、今月末です。毎日パンをやってやっと、パンおばさんを
認識してくれた様です。ヒヨちゃんは、パンをキャッチします。
船橋は山には、いろいろいますが、窓から撮るなんてイージーですが。
中々、見えても撮れないのです。

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ハート印のUターン、   ViralHog

2018年01月02日 | びっくり画像・映像
Two Hearts U-Turn || ViralHog
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一月一日 一歳半の女の子

2018年01月01日 | 身辺あれこれ
元気に神戸でお兄ちゃんたちと年末年始を過ごしています。頑張れ!
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