丹波篠山の立杭焼きの里から荷物が届いた。中から自分が形を作るまでやった作品がそれなりに(殆どプロの手が入って)仕上がって現れた。
相方に片口だよ、お酒入れてと頼んだら、「おでん」が満載で出てきた!小鉢にちょうどいいよと!(笑)。
丹波篠山の立杭焼きの里から荷物が届いた。中から自分が形を作るまでやった作品がそれなりに(殆どプロの手が入って)仕上がって現れた。
相方に片口だよ、お酒入れてと頼んだら、「おでん」が満載で出てきた!小鉢にちょうどいいよと!(笑)。
新書版なのになかなか前に読み進めず、とうとう最大一カ月の借り出し期間を3回繰り返してようやくなんとか読み終えた。
この本を読んで初めて知ったが、何回か講演を聞いたことがある高村薫さんは、母方は全員がお寺さんの一族だったそうだ。しかし本人はミッション系の学校で学んでいる。
南直哉という禅僧の存在はこの本で知ったが、この人も殆ど洗礼を受ける直前までキリスト教に親しんだ経歴がある永平寺での修行僧だった人だ。
それ故に、ただ仏教だけというのではなく、人間にとって宗教とは何かというやりとりが出てくるのも当然の成り行きだ。
この本を読んでいるうちに学生時代から座禅を今も毎日続けているYさんのことが頭に何回か浮かんだ。彼は座禅する、念仏を唱える、社会的活動をする、を絶やしたことがない。
この本を読んだ今の結論は、宗教は頭でどうこう考えるだけものではなく、「行為」することを伴って初めて存在するものらしいという考えてみれば当たり前のことのようだ。
ほんの一部の内容。
【目次より】
生死に出会い、惑う――髙村薫
第一章 生命と死の門――2011年1月25日
黒衣のダース・ベイダー/ふたつの「サンガ」/「紅顔の修行僧」への違和感/近代理性で〝仏〟に迫る/〈生命〉という到達点/阪神大震災と「死の門」/生死の構造
第二章 坐禅の先にあるもの――2011年1 月25 日
オウムに決定的に欠けているもの/懐疑の訓練/「葬式仏教の崩壊」から始まること/信心というハードル/縁起する実存/作家と禅僧の間にある〝一線〟/これからの僧侶に必要なこと/仏教の可能性と復興の必要条件
断章I 道元がたちあらわれるところ――髙村薫
断章II 運動する『正法眼蔵』――南直哉
断章III 空海が現代人ならと想像させる書――南直哉
断章IV 信心不問の仏教史――髙村薫
第三章 信心への懐疑――2018年9月13日
「住所不定住職」/「仏教の突破」/究極の宗教論/「人ではなく、神を信じなさい」/私の原点/「信じる」への違和感/「最初の人」と「次の人」/「悪人」という自覚
第四章 生死の覚悟――2018年9月13日
震災文学の決定版/生死の覚悟/自己からの逃走と宗教への接近/自己であることの負担に耐え続ける/池の奥底にある問い/南海トラフ地震/宗教家の条件/僧侶のある苦い経験/ふたたびオウム真理教について/終わりなき振り子運動/救世主になろうとした人/空海が現代に生きていたら……/自己を解体するために自己を保つ/「お前のやっているのは、仏教ではない」/「信じる」という主題
悲しみの中に立ち続ける――南直哉
1953(昭和28)年、大阪市生まれ。作家。1990年『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。1993年『マークスの山』で直木賞受賞。著書に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』『空海』『土の記』等。
1958(昭和33)年、長野県生まれ。禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1984年、出家得度。2018年、『超越と実存』で小林秀雄賞受賞。著書に『老師と少年』『恐山』等。
☝来年の干支の字を書こうと先生に言われて、生まれて初めて一人で毛筆を持って、半紙を前にしてお手本を見て、みんなの一番先に自分で書いたと言う。
しかも書いたのは事前練習なしでこの一枚だけという。
思わず、えっ本当?と聞いてしまった。 なんべん聞いてもそうだよと言う。 内心驚愕・驚倒。 by JJBK(ジジ馬鹿)。
襄山三水会の忘年会があって有楽町の帝劇地下街にある六甲クラブに3か月ぶりに行った。
会が終わってから帝劇ビルから東京駅までぶらぶら歩いた。
昼のビールが効いたので必ず座って帰れる東京駅丸の内北口始発の都営バスに乗って錦糸町までうとうとしながら帰った。
バスの窓から一枚。
そろそろザルそば食べに行こうとリクエストがあったので出かけた。彼は蕎麦は大盛を頼んでペロリと平らげた。
私は蕎麦湯割りの焼酎
アテに銀杏と卵焼き 野菜の天ぷらもシエアーしてもらった。 卵焼きは半分家に持ち帰って喜ばれた。
広大な公園が赤く黄色く染まっていたそうです。元は日立モートルの工場があった場所だそうですが、今は大木が生い茂って
周囲に多い幼稚園や保育園の園児たちが安心して集い遊ぶ場所にもなっています。
Shot by MM
この国はどこへ これだけは言いたい ノンフィクション作家・石川好さん・72歳 国民は「被支配」を自覚せよ
石川好さんといえば、1987年に始まった頃の「朝まで生テレビ!」が浮かぶ。レギュラー陣の大島渚さんや野坂昭如さんはよく大声で怒鳴り、議論下手の日本人を象徴していたが、石川さんは決してがならず、冷静な雰囲気をまとっていた。それでいてインテリ臭もない。舛添要一さんのように鋭敏さで相手をねじ伏せるところもなく、当時40代なのに、長老のような語り口が印象的だった。
「ノンフィクション作家」という肩書もあの頃は斬新で、レギュラー陣には同じ肩書に猪瀬直樹さんがいた。猪瀬さんが綿密な取材と頭脳で作品を量産していたのに対し、石川さんの大宅壮一ノンフィクション賞受賞作「ストロベリー・ロード」(88年)は米国の日系移民としての青春物語であり、汗がほとばしるような臨場感があった。
石川さんの作品群を読んで気づくのは、未来を占う直感の鋭さだ。95年出版の佐高信さんとの対談録「辛口甘口へらず口」では、二人で散々日本人をくさした末、この国の問題は笑い、ユーモアがないことと語り、その一因に「天皇」を挙げた。
そもそも天皇が笑いを抑えられた存在であるため、日本人の笑いも突き抜けたものにならず、薄笑い、くぐもった下卑た笑いにしかならないと指摘し、こんなふうな石川さんの発言が続いた。「ただ、お二人の結婚で、少しは変わってくるかな。というのはお二人とも相当な英語を話される。するとお二人の英語の善しあしが必ず外側で議論される。つまり、天皇が初めて国境を突破し、外側に向いた存在、国際的な商品性を持ってきたということになる」
それが日本が変わるきっかけとなり「日本人もそこそこの世界的な国民になれるんじゃないか」と石川さんは見通した。「お二人」とは、5月に即位された天皇陛下、そして皇后雅子さまのことである。
「そこそこの」と言ってはいるが、要は卑下もせず尊大にもならず、異文化とも隣国とも偏見なく接することができる柔軟な人を指しているようだ。
先の発言から24年、東京の仕事場でこの点を聞くと「よく、そんなところを読んでくれたね」と表情を崩した。
「陛下も英語を話されますが、雅子さまの英語のほうがネーティブに近い。幼少期にロシアという不思議な国で暮らし、のちに米ハーバード大を卒業された、まさに日本の外にいた人なんです。日本人が内にこもらず、より外を見なくてはいけない、国際化しなきゃいけないと言われているこの時期に皇后になられたのは、絶好のタイミングという気がします」
伊豆大島の大工の家に生まれた石川さんは、家を助けるため渡米した兄を頼って18歳で米国に渡った。外交官の家に生まれた雅子さまとは違い、いわば底辺から米国に分け入った人だが、10代で異国に同化せざるを得なかったという点は同じだ。
「成人前の外国経験は単に外国語が堪能になるということを超えた何かがある。皮膚感覚というか、内側と外側の2方向から日本を見ることができる。陛下が雅子さまに好意を持った理由は、そこだと思いますね」
ただし、それはあくまでも外国育ちの雅子さまの資質であり、日本人全般が「そこそこの世界的な国民」になることにどうつながるのか。石川さんはその答えとして、象徴天皇制の「象徴」としての役割が、以前よりもより身近になり分かりやすくなった点を挙げる。
「93年のご結婚前の会見で、皇太子時代の陛下が『雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』と求婚されていたことが明らかになった。あのご発言で天皇、皇后両陛下の存在は少し下に降りてきた、つまり、庶民に近づいたと思うんです。普通どこの国でも次の国王になる人が『嫁さんを一生守る』とはなかなか言わない。ご発言は皇室が庶民に近づく新たな時代の幕開けだった。その前提があったから、お二人は国民のウケもいいんです」
つまり、ずっと上にいる「お上」よりも一段下りたことで、象徴としての影響力が増し、国民は二人にあやかり「そこそこの世界的な国民」になろうとする、ということなのか。いぶかっていると「全く別の話だけど」と他の事例を持ち出した。
「来日したローマ教皇が陛下と会いましたが、教皇は滞在中、核廃絶を徹底的に訴えました。そこに天皇の象徴としてのあり方がうまく一致した。長く憲法に規定された象徴という言葉は日本人にも謎でしたが、平成の天皇が絶対的な平和主義を宣言し、戦争の被害者を弔い、災害の被害者に寄り添ってこられたことで、国民は象徴の意味を理解するようになった。代替わりした今年も水害は続き、天皇、皇后両陛下は被災者に寄り添うことで象徴の役割を踏襲した。そんなときにローマ教皇が訪れたことで、天皇制の持つ意味が非常に分かりやすくなった」
つまり核廃絶を訴える教皇となごやかに会見されている陛下を目にした人々に、核に対する意識でなにがしかの影響を与え得るということだ。「米国に遠慮して核廃絶の先頭に立てない政府と違う形で、お二人が国民に影響を与えていくと思います」
敗戦後の占領期を経て、日本人は常に「米国という義眼をはめて世界を見てきた」と石川さんは言う。米中貿易摩擦にしても中国の視点はなく、常に米国側の立場で見ていると。だが、こうした一辺倒に「象徴」の目が加味されることで、日本人の世界観も相対化されるという期待が石川さんにはある。
かつて石川さんは「新堕落論」(91年)で、日本人の気質は豊臣秀吉が16世紀に農民から武器を奪った刀狩りに起因していると説いた。徹底的に武装解除された人間には抵抗という観念がひとかけらも残されていない、と。95年、物書きでは飽き足らず、石川さんは参院選に出馬。敗北を喫した経験を経て、日本の政治の問題は有権者にあるのではないかと思うに至った。
「国には統治者と被統治者がいる。本来『我々は統治されている』という自覚をもって政治権力と付き合うのが国民のあるべき姿。でも日本の場合、その感覚が極めて薄い。政治家について文句は言っても、支配されている意識がないから政治に緊張感が生まれない。政治家にもそれがなく、桜を見る会とかモリ・カケ問題など、ばかげたことを平気でやるわけです」
では、国民が「被支配」を自覚するには、どうすればよいのか。
「月並みな言い方だけど教育です。例えばこのところ2代続けて文部科学省の大臣がしょうもない人になっているのは、教育が軽んじられているからです。明治期の文部大臣は花形のポストで、厚生労働相がどの国でもそうであるように、行政の中で最も重要な位置づけでした。ところが二つとも軽量になって、制度をいじくりまわしては問題を起こしている」
日本人が鍛えられる可能性は「移民」、増え続ける外国人居住者にかかっているという。「日本の最大の課題は外国人がどう暮らせるかです。日本は世界中の政治、経済難民にとって最後のフロンティア。移民という言葉を政府が使いたくないだけで、とっくに始まっている。受け入れ態勢を整えるには国民的なエネルギーがいるのです」
この先、外国人との摩擦が起こるだろうが、それが日本人を鍛えると石川さんは言う。「外国人は日本に打ち解けてきている。越境者の方が同化力があり、日本人が気にする以上に彼らは平気なんです」
50代で初めて中国を訪ねた石川さんは人脈がみるみる広がり、習近平国家主席ら多くの政府関係者に会ってきた。「中国のお偉いさんは日本を桃源郷だって言います。来日した途端、ゆったりでき、おかしなことが起きないからですね」。中国人に限らず、国をまたぎ、二つ以上の文化を経験してきた人たちから日本人は学べると石川さんは言う。そうすれば私たちもいずれ「そこそこの世界的な国民」になれると。【藤原章生】
■人物略歴
1947年、東京都大島町生まれ。大島高卒後の65年に渡米し69年に帰国後、慶応大を卒業し再度渡米。83年に「カリフォルニア・ストーリー」で作家デビュー。
2007年まで秋田公立美術工芸短大学長。近著に「南京大虐殺記念館からはじまった 漫画家たちのマンガ外交」がある。=宮武祐希撮影
毎日新聞2019年12月13日 東京夕刊
2007年12月9日のエントリー:
もうどれくらい前になるのか、工場のある新居浜に出張するためJRで本土と四国の間を行き来する時は、宇野と高松を結ぶ“宇高連絡船”に乗った。まだ瀬戸大橋が出来る前の話だ。
船に乗るとなぜか甲板上にあるうどんコーナーで、国鉄職員である船員がぬるい湯でゆがき、冷水でさらすわけでもない、そううまくもないうどんを食べるのが通例だった。今は、もうそんなことを思いだす事もなく列車は瀬戸大橋を轟々と渡っていく。
新神戸駅の下りホームから。上りホームはすぐ山が迫って布引の滝に登る登山道も見えますが・・
下りホームで。ジパング倶楽部は「のぞみ」は割引対象ではないので見送りです。
窓から桁をかいくぐって写真を撮るのはなかなか大変です。
共同通信
12/15(日) 21:20配信
岡山県玉野市の宇野港と高松市の高松港を結び、本州―四国間の主要な航路として利用されてきた「宇高航路」の最終便となるフェリーが15日夜、高松港を出航し、宇野港に到着した。16日以降、宇高航路は休止となり、1910年に「宇高連絡船」として運航が始まって以来、109年の歴史に幕を下ろした。
高松港では最終便の出発時刻となった午後7時50分ごろ、フェリーを運航する四国急行フェリー(高松市)の堀本隆文営業部長が最後の出航を知らせる鐘を鳴らした。集まったファンや住民らは「ありがとう」と歓声を上げ、船の姿が見えなくなるまで手を振った。
画像クリックで本文に飛びます。【特高警察が証言】共産党員大検挙「三・一五事件」の知られざる内幕 #三・一五事件 #文春オンライン https://t.co/doGhhPY20f
— achikochitei (@achikochitei1) December 15, 2019
画像クリックで本文に飛びます。東京新聞:関電第三者委、700人超を調査 年内報告断念、金品問題:社会(TOKYO Web) https://t.co/zMmiSHWhtF
— achikochitei (@achikochitei1) December 15, 2019
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— achikochitei (@achikochitei1) December 15, 2019